2012年7月、8月、9月分の日記です。
2012年7月3日、火曜日
大往生したけりゃ医療とかかわるなの本"
地方新聞である新潟日報のシリーズ記事「みとりを考える」第4回は「胃ろうをめぐる悩み」でした。胃ろうとは自力で口から食べられなくなった患者さんのおなかに穴を開け、管で直接栄養を入れる仕組みです。一昔前なら口から食べ物が入らなくなったら、あとは死を待つのみでしたが、現代は医療で命をつなぐことができるようになりました。
今回ご紹介する本は「大往生したけりゃ医療とかかわるな、自然死のすすめ」です。2012年1月初版で現在まで40万部を売り上げる大ベストセラーになっています。
著者で医師の中村仁一先生は終末期医療、高齢者医療について、
1.医療がおだやかな死をじゃましている。
2.できるだけの手を尽くすは、できるだけ苦しめることである。
3.がんは完全放置すれば痛まない。
4.自分の死について考えると、生き方が変わる。
5.「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけよ。
と主張され、特別養護老人ホームの配置医師として過去12年間に経験した、一切の医療を介さないで死を迎えた「自然死」の数百の臨床例と、大学病院や民間病院での臨床経験との比較検討から、現代の高齢者医療、終末期医療のあり方を批判しています。それは哲学者イヴァンイリッチが、その著書「脱病院化社会、医療の限界」で展開した現代医療批判にも通じる内容となっています。
日本老年医学会は今年1月、高齢者の終末期に関する立場を10年ぶりに改めました。胃ろうについても「差し控えや撤退も選択枝として考慮する必要がある」と言及しています。超高齢化社会を迎えた今、「死」をめぐる問題は人々の意識の中に大きな不安として認識されだしたと思います。死に方に良いも悪いもないのでしょうが、死を考えることは生を考えることでもあり、それは正解のない問題なのでしょう。

2012年7月8日、日曜日
渡り蟹のパスタ"
写真は新潟市万代にあるイタリアンカフェ、イルマッケローネさんの渡り蟹のパスタです。濃厚な渡り蟹の旨みが最高です。フォカッチャが一切れ付いて1,000円です。イルマッケローネさんの店内はテーブルとテーブルの間が広くて清潔感があるのも好感がもてます。

2012年7月15日、日曜日
こわれものの祭典のステージ写真"
新潟市総合福祉会館多目的ホールにおいて開催された「こわれものの祭典、ピアパワー仲間の力」を見てきました。
こわれものの祭典とは病気(主に精神疾患)が原因で社会のなかで生きづらさを感じている当事者たちが、病気の体験発表と病気に関するパフォーマンスをする団体名であり、イベント名です。
こわれものの祭典は病名に自慢という言葉を組み合わせて、アルコール依存症自慢の月乃さんというような表現をすることに象徴されるように、病気である自身を肯定するとともに、現代社会で生きづらさを感じている全ての人を肯定するというスタンスで、新潟市を拠点に活動されています。2002年の初公演から日本精神障害リハビリテーション学会、新潟看護大学、精神障害リハビリテーション施設など全国で8年間に50回以上の公演を行い、メディアにも大きく取り上げられるようになりました。
今回の公演は第1部がトークライブ、休憩をはさんで第2部がパフォーマンスという構成で、1時30分から4時まで2時間30分たっぷりと”こわれものの世界観”を堪能しました。チケットは当日券で1,000円でした。
第1部のトークライブは、こわれものの祭典代表の月乃光司さんと、摂食障害の会、吃音者自助グループ、ひきこもりサポートグループの各代表者、それに精神科医の川嶋義章先生が加わり、生きづらさをかかえて生活する人の日常を切り取って並べたかのようなステージでした。研究会のシンポジウムなどとは一味違い、司会のリードによる会話形式で進めるトークライブは立体感が出て、より迫ってくるものを感じました。
第2部のパフォーマンスは、こわれものの祭典代表で、アルコール依存症自慢、ひきこもり自慢の月乃光司さんによる自作の詩の絶叫朗読に始まり、摂食障害自慢、ひきこもり自慢のkaccoさんによる女装パフォーマンスと続き、強迫行為自慢のアイコさんによるパフォーマンス。トリは脳性マヒブラザーズによる漫才という内容でした。一番印象に残ったのは強迫行為自慢のアイコさんのパフォーマンスで、機能不全家庭に育ち家庭内暴力、リストカット、不登校などを経験してきた苦しみを詩の朗読で表現されたのですが、原稿が赤い紙で、一枚読み終わると、それを下に落とすという演出は、こころから流れ出た血を表現したものではないかと感じました。
世の中には生きづらさを感じながらも、それは自分だけの問題として、辛さを閉じ込めている人も多いと思います。そんな人は一度こわれものの祭典を見に行ってみたらどうでしょう。何か変わるかも知れません。
パフォーマンスの最後に会場も一体となって「病気だよ!全員集合!」と叫んですべてのプログラムは終了となりました。誰も外さない、全員を認めることって気持ちがいいと久しぶりに思いました。

2012年7月17日、火曜日
耳で考える、脳は名曲を欲するの本"
医学と音楽のかかわりというと、音楽を意図的、計画的に使用することで、音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きにより、心身の障害の回復、機能の維持、改善、生活の質の向上、行動の変容などが期待できるとして、音楽を臨床に取り入れる音楽療法があります。今年の6月には新潟市の朱鷺メッセで、日本音楽療法学会信越北陸支部第10回学術大会が開催されました。
音楽が生体に及ぼす影響を客観的に評価することは可能なのか、科学と芸術の接点にとても興味がわくところですが、今回読んだ本は音楽家の久石譲さんと解剖学者の養老孟司さんによる対談集「耳で考える、脳は名曲を欲する」です。私には久石さんの音楽イコール北野武監督の映画作品で、この時期だと「菊次郎の夏」のすずやかなピアノのしらべが浮かんできます。
この本では、なぜ人は音楽で感動するのか、人間が音楽を美しいと感じるメカニズムとなどについて語り合っています。
養老さんは、外の世界をとらえる目と、自分の身体にとって必要な目である松果体の例を挙げて感覚器の二重構造を説明しています。これは耳についてもいえることで、身体の平衡感覚をつかさどる前提器官と音を聞く部分がそれにあたります。ただ、耳は少し特別で、目は古い感覚である松果体が退化してきているのに対し、耳の古い感覚である前提器官は退化しておらず、聴覚は脳の古い部分に直接届き情動に強く影響するといいます。音楽家、小説家、画家の三人のうち、恋人にするなら誰を選びますかという問いに、男女問わず音楽家を選ぶ傾向があるそうですが、その訳がこの本を読んで分かった気がしました。

2012年7月23日、月曜日
メディアは連日、2011年10月に滋賀県大津市で起こった、いじめによる中学生の自殺事件を報道しています。いじめ問題はこれまでにも大きな社会問題として取り上げられ、その度に有識者が集まり対策を考えて実施されてきたはずです。なのに・・・。
私の住む地域にも保育園があり、長い間、園長先生をされていた田中先生という方がおられました。残念ながら50代の若さで他界されましたが、いじめ問題について実に興味深いお話をされていたことを思い出します。
いじめは保育園からすでに始まっていると田中先生は指摘され、その背景としてあるのが0才児保育に代表される長期間に及ぶ保育園での生活ではないかと推測されていました。
私は親元から早く離して集団生活を経験させたほうが教育上いいのではないかと思って聞いてみると、田中先生は即答でまったく逆ですと答えられ、もちろん保育園でもひとりひとりを大切にしているけれども、家庭で家族の方がずっと一緒にいて愛情をかけるのと同じようにはいきません。 小学校入学時に心が成長しているのは保育園の利用期間が短い子供たちです。保育園の利用はできれば2年間にとどめたほうが良いのではということでした。
三つ子の魂百までといいますが、田中先生の仮説が正しいかどうか私には分かりません。けれど、いじめの問題を考える新しい視点として有意義ではないかと思います。

2012年7月29日、日曜日
映画ヘルタースケルターのバナー"
映画「ヘルタースケルター」を観ました。監督は蜷川実花さん、主演は沢尻エリカさんです。原作は岡崎京子さんのコミック作品です。沢尻さん演じる”りりこ”という主人公の生き方が、現実世界に生きる沢尻エリカという女優のキャラクターと重なって、観客をひきつけてやまない、キワモノであり芸術でもある完璧な見世物に仕上げられた作品だと思います。
映像的には、冒頭にanan、CanCan、JJなど実在する女性ファッション雑誌の表紙をすべて”りりこ”が飾っているという設定で、実際に蜷川さんが撮影した何十枚もの写真を一気に見せるという演出がされているのですが、この一枚一枚の写真のクオリティが高く、そのままリアルに雑誌の表紙として使ってもいいくらい、沢尻さんの美しさが際立って圧巻でした。
醜悪なまでに美にこだわる女性の姿は、現代が生み出したモンスターであり虚像なのでしょう。そして虚像と知りつつも、切にそれを求める私たちがいる。この欲求に全てをさらして魅せてくれた沢尻エリカさんは、すごい女優さんだと思いました。

2012年8月3日、金曜日
新堕落論の本"
東京都知事である石原慎太郎さんの尖閣諸島を東京都が購入するという発言に日本と中国、アメリカの関係は今後どうなっていくのか、一抹の不安を感じている人も多いのではないでしょうか。
そこで、今回読んだ本は石原慎太郎さんの論文「新堕落論、我欲と天罰」です。2011年7月に初版、2012年4月に第16刷とあるので、社会の関心の高さをうかがわせます。
本論文で石原さんは1945年8月の日本の敗戦から今日まで続いてきた平和がもたらしたものは、平和の毒による日本国と日本国民の本質的な悪しき変化と堕落であるとし、米国の間接的支配に甘んじてきた日本国民は他力本願になり無気力化した。そのため国民を含めた国家全体が堕落し衰退したと断定しています。そして、堕落した日本を芯から立て直すには、憲法を改正し、核武装せよと主張しています。
確かに、今の日本は国としての在りようを失い、語るべき未来の形も見えてこない状態であると、私も含め多くの国民は感じていると思います。しかし、そこから脱却する方法は憲法を改正し、核武装することしかないのでしょうか。
精神科医の香山リカさんは、日本人からモラルが失われつつあり「正当な権利」と「個人の身勝手」が混同されてしまっていることを批判して、日本人は劣化したと指摘されましたが、日本人の多くは自分たちが劣化したことを自覚していると思います。ならば、問題意識があるわけですから、強制的な力を行使しなくても自助的な努力で回復することも、まだ可能ではないでしょうか。
坂口安吾さんは「堕落論」の中で「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と述べています。

2012年8月12日、日曜日
ツギハギブタ"
新潟市新津美術館において開催されている「鉄腕アトム連載60周年、映画ブッダ製作記念、手塚治虫展」を観てきました。アトムにレオ、そしてブラックジャック。手塚マンガのヒーローたちがせいぞろいして迎えてくれました。
今回の展覧会では、手塚さんが生涯に描いたマンガとアニメーション作品の中から、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ブラックジャック」「火の鳥」などの直筆マンガ原稿やアイデアメモ、手塚さんが実際に使用していたトレードマークのベレー帽やメガネ、仕事用の筆記用具などが展示されていました。
私が特に好きな作品は少年チャンピオンに連載されていたブラックジャックで、Oヘンリの短編小説のような、ユーモアとウィット、時にペーソスに彩られた命をめぐるドラマを毎週楽しみにしていました。
奇形のう腫からブラックジャックが助け出し、必死のリハビリで手術の器械出しができるまでになったという設定の「ピノコ」は、まっすぐで優しくて可愛くて、手塚マンガのキャラクターの中でも大好きです。写真は作品中、ワンポイントで登場するツギハギブタというキャラクターです。
手塚さんの作品はメッセージ性が高いことでも知られています。「鉄腕アトム」では科学と人間とのディスコミニュケーション。「ジャングル大帝」では自然と生き物との関係。「ブラックジャック」では医者とは何か、人の幸福とは何か。「海のトリトン」では人間の浅はかさと本当に大切なもの。「アドルフに告ぐ」では正義とは何か。そして「火の鳥」では生と死。
大人からの真剣なメッセージなら子供たちは耳を傾けてくれる。だからマンガにメッセージを込めるのだと手塚さんは言います。手塚さんが描き出した優しい目をしたキャラクターたちがおりなす最高の物語を、今を生きる子供たちにも、ぜひ読んでもらいたいと思います。

2012年8月15日、水曜日
生きづらさはどこから来るか、進化心理学で考えるの本"
3日前にお墓を掃除していて転倒し、手首を傷めたという83才の男性が急患で来られました。橈骨下端骨折でした。
さて、人類は地上に現れてから農耕が始まる約1万年前までの約200万年間は、小さな集団で狩猟採集生活を営んでいたと考えられています。生物の進化という視点でみると1万年という時間はあまりに短く、私たちは狩猟採集生活をしていた頃から生物学的には進化していないといえます。これは心理学的にみたときにもいえることで、小さな集団で狩猟採集生活をして生きることに適応した、認知、感情は現代人まで何も変わっていません。このことを探求していく分野を進化心理学といい、今回読んだ本「生きづらさはどこから来るか、進化心理学で考える」は、現代を生きる私たちが感じる生きづらさや、環境に適応しようとして生じるストレスはなぜ起こるのかを、進化心理学をヒントに考えるという内容です。
人間のあらゆる感情や自由意思にもとづいているように見える行動にも、生物が進化してきた歴史にその理由があるという進化心理学の考え方には説得力がありました。
私たちには、心理的に安心できる居場所や信頼できる人が必要であるといわれますが、なぜ、それを求めるのか、このことを明らかにしないと、居場所や仲間とは何かという問いに、生きづらさの克服に、的確な解答が出せません。これからも進化心理学に注目していきたいと思います。

2012年8月19日、日曜日
アサリのパスタ"
今日は社会保険の研修会でした。厚生労働省関東信越厚生局新潟事務所、全国健康保険協会新潟支部それぞれから派遣していただいた講師に、大変分かりやすい指導をしていただきました。
写真は長岡市坂之上町にあるイタリアンレストラン、クッチーナヒコさんのアサリのパスタです。ゆで加減がアルデンテより少し硬めなのがいいです。アイスコーヒーが付いて1,080円です。

2012年8月26日、日曜日
ほろ苦ブラック冷珈琲フロート"
エイリアンシリーズでで有名なSF映画の巨匠リドリースコット監督作品「プロメテウス」を観てきました。地球が誕生して46億年、最初の文明を創造したのは人類だったのか?それより以前に地球を訪問した知的生命体はいなかったのか?人類の起源にせまるというキャッチコピーでしたが、内容はエイリアンシリーズ第1作につながるストーリー展開の作品でもあり、エイリアンの起源を描いた作品でもあります。エンディングも第2作があるというニュアンスを漂わせるラストシーンでした。
プロメテウスはギリシア神話に登場する、人間を創造した神です。宗教によっては、人間は創造主である神に似せてつくられた特別な存在であるとされていますが、あらゆる命はすべて横並びで、特別はないという東洋的な感覚の私には、この作品やゾンビ映画は、いまひとつなじめないところがあります。
そして、プロメテウスは人間に火を与えた神でもあります。人間とエイリアンの関係もこの作品では見どころですが、現代の科学では完全なコントロールは不可能で、全人類を死滅させることも可能な危険な火”核兵器”は、絶対的な破壊力を持つ凶暴な怪物エイリアンのようです。
写真はUCCカフェプラザの夏限定メニュー「ほろ苦ブラック冷珈琲フロート」です。コーヒーのカキ氷にバニラアイスをトッピングした感じで、バニラアイスの甘さが、きりっとした味わいのアイスコーヒーにマッチしてガムシロップなしで美味しくいただきました。

2012年8月31日、金曜日
ブルームーン"
今夜は特別な夜でした。
月の初めに満月になると、その月の終わりに再び満月がめぐってくる場合があります。この時、1回目の満月を”ファーストムーン”2回目の満月を”ブルームーン”と呼び、今夜の満月はブルームーンに当たります。BSNラジオのアナウンサーの話によると、ブルームーンを見ると幸せになれるそうですが、幸せになれるかなぁ(笑)

2012年9月2日、日曜日
映画「あなたへ」のワンシーン"
2012年8月25日公開の映画「あなたへ」を観ました。監督は降旗康男さん。主演は高倉健さんです。
高倉さんが演じる倉島英二は、各地の刑務所で刑務官として働いたあと退職し、現在は嘱託で富山の刑務所で木工作業の指導技官をしています。お祭りのおみこしなど、高度な技術が要りそうな作業を指導する姿はまるで頼りになる大工さんの親方のようです。
そんな日常の中で、田中裕子さんが演じる倉島の愛妻、洋子が悪性リンパ腫で53才の若さで亡くなり、意気消沈する倉島の前に現れたのが、NPO遺言サポートの会の女性でした。洋子に依頼され保管していた手紙2通のうち1通を倉島に渡しますが、もう1通は洋子の故郷である長崎県平戸の薄香の郵便局に局留めで送るので、それを読んでほしいという洋子からの言伝を伝えます。封筒には洋子からの絵手紙が入っていました。そこには、小枝に止まった一羽のすずめと灯台が描かれ、故郷の海に散骨してほしいと書かれてありました。
洋子の真意を計りかねる倉島でしたが、仕事を辞めたら洋子と二人で旅行する目的で作った手作りのキャンピングカーに乗って長崎を目指して出発するのでした。
富山から長崎までの一人旅。行く先々で知り合う旅人たちとエピソードを重ねていく、その中で、倉島を含め登場人物一人一人が口にできない切ない思いを抱えており、物語が進むにつれ少しずつ謎が解けていく仕掛けは、ロードムービー、プラス、ミステリーのようでした。作品の前半、倉島が童謡歌手として刑務所に慰問に来た洋子と知り合って結婚するまでのいきさつが何気に描かれていますが、ここに絵手紙に託した洋子の真意を想像するポイントがあったように”私は”思います。
この映画の謎解きは完全に明らかになっていません。それは、鑑賞した人の解釈、感性にまかせて、あれこれ語り合って欲しいという監督の意図ではないか。そう思います。
愛おしい誰かと人生を過ごす事の幸せと難しさを感じる、大人のための映画でした。

2012年9月7日、金曜日
眼の誕生の本"
イギリス自然史博物館研究リーダー、アンドリューパーカーさんの著書「眼の誕生、カンブリア紀大進化の謎を解く」を読みました。 実は”眼の誕生”というタイトルだけ読んで、生物における眼という感覚器の発生や進化を中心に書かれた本だと早合点して購入してしまった本ですが、実際は生物の進化に関する新しい学説を市民向けに優しくていねいに解説した内容でした。
地球に最初の生命が誕生したのが約40億年前。ここから生命は約34億年もの時をかけて、やっとクラゲのような生物に進化しました。ところが、5億4300万年前のカンブリア紀に、生物は突如として爆発的に進化し、わずか500万年で多様な形態を持つに至りました。このカンブリア大爆発と呼ばれる爆発的な進化はなぜ起こったのか?この積年の謎に生物学、地質学、気象学、物理学、化学などあらゆる科学分野を縦横無尽に精査し、導き出した現在最も有力な仮説、それが”光スイッチ説”です。
生物はカンブリア紀以前から光合成生物などが太陽光線の恩恵を受けてはいましたが、太陽光線を視覚信号として本格的に利用し始めた、つまり、生物が本格的な”眼”を獲得したのがカンブリア紀初頭のことであり、そのことで世界が一変したというのが”光スイッチ説”の骨子です。捕食生物が視覚を獲得したことで、食う、食われるの関係が激化し、身体をヨロイのような殻で固める必要がでてきた、それが爆発的な進化を引き起こしたというのです。 本書の中で”眼”に関して本格的な解説が始まるのは、終わりに差しかかる7章からであり、1章では生命進化概要の解説と、これまでのカンブリア紀大爆発の仮説と反論。2章では化石の復元作業と生命進化の歴史を考える上で化石が持つ意味。3章では光と色彩の一般概念と、それらが生物に与える進化上の影響。4章ではでは深海や洞窟などの暗闇など太陽光線が届かない場所での進化。5章では太陽光線と生命進化の関係をまとめ、6章でカンブリア紀の生物に色があったのかどうかを検証していき、7章になってようやく”眼”が登場します。 あらゆる科学の知見を総動員して核心に迫るというスタイルは、科学エッセイとしても面白かったです。買って損はありませんでした。

2012年9月9日、日曜日
PCメガネ"
写真はパソコン使用時に使う、眼の保護用メガネです。以前から気になっていましたが思い切って購入しました。JINSさんで税込み5990円でした。メガネを買ったなんて子供の時以来です。
パソコンのディスプレイからは当然、可視光線が出ているわけですが、紫外線に近い380から495ナノメートルという波長の光をブルーライトといい、強いエネルギーを持った青色の光で,眼への影響が指摘されています。また、最近のパソコンやiPadなどのモニターには、バックライトに発光ダイオードが使用され、よりブルーライトの影響が増えていることも懸念されています。
そこで本製品の登場となるわけですが、このメガネに使われているレンズ”NXT”はブルーライトを約50パーセントカットして眼を保護する機能と、よりクリアな視界を確保する機能があります。私が買った製品は度は付いていませんが、NXTは度付きレンズにも対応できるそうです。透明色のレンズも選択できますがフレームとレンズが別料金で割高になります。
使ってみた感じは、レンズがごく薄い茶色なのですが、モニターの色合いが変わって見えるようなことはありません。眼の疲れに関しては、こらから使ってみてですが、私は仕事以外でパソコンを使うのは一日あたり1時間程度と決めていますから、あまり変わらないと思います。まぁ、私の場合、気分の問題ということでしょうか(笑)ただ、ブルーライトの眼に対する影響について日本眼科医会などからは何の情報もなく、エビデンス(医学的な証拠)があることなのかどうかは分かりません。
気分の問題で5990円が高いか安いか、それはアナタ次第です。(笑)

2012年9月15日、土曜日
数学に恋したくなる話の本"
数学者の秋山仁さんの著書「数学に恋したくなる話」を読みました。
私たちの遠い祖先の時代には、生活上の知恵や方法論であったことが、やがて生活から切り離されて学問と呼ばれるようになりました。本書は学問を生活に引き戻し、数学の面白さや科学が持つ意味をやさしく教えてくれています。といっても数学でしょ、方程式なんか見るのもイヤ!という方も多いと思いますが、この本には数式はひとつも出てきません。数学エッセイという感じなので数学アレルギーの患者さんも安心して読めます(笑)
さて、医学の世界では数学の一分野である統計学を使い、国や地域を調査し、病気の原因と考えられる要因と病気の発生の関連性について調査したり、患者さんの生活の質を客観的に測る尺度を作って、病気や障害が日常生活に与える影響を評価したり、治療やケアの結果を評価したりしています。
そこで最近思うことは、雑誌の医療記事などに出てくるデータのことです。特に治療成績5年生存率など”率”の話をするときには注意が必要です。分子の間違いはあまり見かけませんが、分母が違っているのでは?と思える比較データが結構あります。数字の怖いところは悪意のある人が故意に間違ったデータを流して、大衆の意識を誘導することさえできてしまうことです。
数学は自然を解明するための科学研究の手法の一つであり、自然や真理に対して私たちは常に謙虚でなければいけないという秋山さんの思いに共感しました。

2012年9月26日、水曜日
終の信託の本"
現役の弁護士で作家でもある朔立木(さくたつき)さんの小説「終の信託」を読みました。
医師、折井綾乃は、重度の喘息患者、江木秦三の主治医として18年間のかかわりの中で深い信頼関係を築いてきました。その上で、江木の「最後の時は、苦しみを長引かせないでほしい」という自分に対する切望を受け止め、気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与することで叶えます。
それから3年の月日が経った今、折井が江木に対して行った行為は医療ではなく、法の下に殺人であると刑事訴追され、巧妙にして執拗な検事の取調べの末に手錠をかけられます。
この小説は、医師が重症喘息患者の気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与して死亡させたとして、殺人罪に問われた事件”川崎協同病院事件”をモデルにしており、事実関係はほぼそのまま描かれています。患者本人と家族と医師との関係性、LivingWill(生前の意思)、積極的安楽死、終末期医療の現場でおきる非常に困難な状況判断について”生命を尊重する”とはどういうことなのか、登場人物それぞれの立場と心情、そして法律上の見解を描き、深く考えさせられる作品です。
日本では尊厳死の手続きなどを明確に定めた国の指針や法律はなく、超党派の国会議員で作る尊厳死法制化を考える議員連盟が、2005年から法制化を検討し、本年、議員立法として法案をとりまとめました。
この法案では終末期の定義を”適切な医療でも回復の見込みがなく、死期が間近と判定された状態”としています。これに基づき、患者本人が書面などで尊厳死を望む意思を示している場合に限り、終末期の判定は2人以上の医師が行い、尊厳死に関与した医師は刑事、民事、行政上の責任は問われないとしています。
人の生死を法律で規定することが正しいのかどうか、難しい問題です。障害者など弱者の切捨てにつながるのではないかという議論もあり、生の保障という視点からの議論がもっとあってもいいのではないでしょうか。

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