日常のささいなことを綴った不定期更新の日記です
2025年6月29日 日曜日

写真は、長岡駅の西口と東口を結ぶ連絡通路に掲示されていた広告パネルです。
通りすがりに見た時、長岡中央循環バス「くるりん」の車内広告にある美容専門学校のものとデザインが似ていたので、同系列の学校のものかと思いましたが、よく見ると「雨のち、ハレーション」というアイドルグループに所属している彩瀬りりさんの誕生日を祝う催し物の宣伝告知でした。
さらによく見ると、「こちらのポスターは有志作成です。ご本人または所属事務所に問い合わせはしないで下さい」とあり、掲出期間は令和7年6月26日から7月9日までとなっていました。つまり、驚いたことに芸能事務所やレコード会社が制作したものではなく、ファンが個人で制作し、JR東日本と契約した広告パネルのようです。
「推し活」もここまでくるとすごいですね。
通りすがりに見た時、長岡中央循環バス「くるりん」の車内広告にある美容専門学校のものとデザインが似ていたので、同系列の学校のものかと思いましたが、よく見ると「雨のち、ハレーション」というアイドルグループに所属している彩瀬りりさんの誕生日を祝う催し物の宣伝告知でした。
さらによく見ると、「こちらのポスターは有志作成です。ご本人または所属事務所に問い合わせはしないで下さい」とあり、掲出期間は令和7年6月26日から7月9日までとなっていました。つまり、驚いたことに芸能事務所やレコード会社が制作したものではなく、ファンが個人で制作し、JR東日本と契約した広告パネルのようです。
「推し活」もここまでくるとすごいですね。
2025年6月28日 土曜日

朝倉かすみさんの短編集「棺桶も花もいらない」を読みました。
朝倉さんの作品は、2019年9月に紹介した「平場の月」が初読みでしたが、市井の一コマを撮った白黒写真の中にある大人の恋物語。それを詳細な筆致で描いた朝倉さんの文体に魅せられました。
本作は、コロナ禍前後の社会情勢を背景に、市井の人が直面する厳しい現実や、日々の生活をなんとか回していくための葛藤をつづった短編集です。幸せかどうかは分からないけれど、生まれてきたから生きている。そんな諦念と、それでも今日を生き抜こうとする執念を抱える人々の生きざまが、淡々と、しかし鮮やかに描かれています。
1.令和枯れすすき:主人公は60代女性、日雇い派遣
2.ドトールにて:主人公は50代男性、早期退職者
3.もう充分マジで:主人公は大学受験を失敗した若者
4.非常用持ち出し袋:主人公は貧困世帯の女子中学生
5.みんな夢の中:主人公はサレ妻のシングルマザー
の5編が収録されています。
どの作品にも、少し忌々しいくらいにコロナ禍の影が落ちていて、コロナ禍が平場に生きる私たちを、こんなにも直撃したことを思い出させるものでしたが、特に印象にのこったのは「令和枯れすすき」でした。
夫に不倫をされて離婚。30年以上勤めた会社を人員整理で解雇され、日雇い派遣として働いている61才の「わたし」は、派遣会社の事務所で思いがけず近しくなった「あの人」から、「ずっとのおうち」の話を聞かされます。滑舌が悪く、「老若男女という言葉があるが、そのどれに当てはまるのか、ぱっと見では分からなかった」という「あの人」。「あの人は愚者のようにも、賢者のようにも、また、外出許可を得た入院患者のようにも見えた」
「あの人」と「わたし」と「ずっとのおうち」の関係がわかった時、切なさと、悲しさと、虚しさが混じったような感情が沁みだしてきました。
現代社会の縮図ともいえる市井の人々の生きざまを描いた本作。全体として、読んでいて決して明るい気持ちにはなりませんが、登場人物たちの心持ちや、曖昧な世界の描き方が、読後に独特の余韻を残す作品です。
朝倉さんの作品は、2019年9月に紹介した「平場の月」が初読みでしたが、市井の一コマを撮った白黒写真の中にある大人の恋物語。それを詳細な筆致で描いた朝倉さんの文体に魅せられました。
本作は、コロナ禍前後の社会情勢を背景に、市井の人が直面する厳しい現実や、日々の生活をなんとか回していくための葛藤をつづった短編集です。幸せかどうかは分からないけれど、生まれてきたから生きている。そんな諦念と、それでも今日を生き抜こうとする執念を抱える人々の生きざまが、淡々と、しかし鮮やかに描かれています。
1.令和枯れすすき:主人公は60代女性、日雇い派遣
2.ドトールにて:主人公は50代男性、早期退職者
3.もう充分マジで:主人公は大学受験を失敗した若者
4.非常用持ち出し袋:主人公は貧困世帯の女子中学生
5.みんな夢の中:主人公はサレ妻のシングルマザー
の5編が収録されています。
どの作品にも、少し忌々しいくらいにコロナ禍の影が落ちていて、コロナ禍が平場に生きる私たちを、こんなにも直撃したことを思い出させるものでしたが、特に印象にのこったのは「令和枯れすすき」でした。
夫に不倫をされて離婚。30年以上勤めた会社を人員整理で解雇され、日雇い派遣として働いている61才の「わたし」は、派遣会社の事務所で思いがけず近しくなった「あの人」から、「ずっとのおうち」の話を聞かされます。滑舌が悪く、「老若男女という言葉があるが、そのどれに当てはまるのか、ぱっと見では分からなかった」という「あの人」。「あの人は愚者のようにも、賢者のようにも、また、外出許可を得た入院患者のようにも見えた」
「あの人」と「わたし」と「ずっとのおうち」の関係がわかった時、切なさと、悲しさと、虚しさが混じったような感情が沁みだしてきました。
現代社会の縮図ともいえる市井の人々の生きざまを描いた本作。全体として、読んでいて決して明るい気持ちにはなりませんが、登場人物たちの心持ちや、曖昧な世界の描き方が、読後に独特の余韻を残す作品です。
2025年6月22日 日曜日

関根光才監督作品「フロントライン」を観ました。
2019年12月に中国(武漢市)で発見され、世界的パンデミックとなった新型コロナウイルス感染症。
2020年2月、船内で感染者が確認され、乗客乗員の検疫と健康診断のため横浜港に帰港した豪華クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号。日本でのパンデミックはここから始まったように思えます。
本作は、ダイヤモンドプリンセス号の乗客乗員を船外に安全に移送する仕事に奮闘したDMAT(災害派遣医療チーム)とその家族、乗務員、厚生労働省の職員、受け入れ先の病院職員、そしてワイドショーのレポーターが織りなす、実話をもとにした群像劇です。
56カ国の乗客2,666人と1,045人の乗務員、計3,711人を乗せたダイヤモンドプリンセス号は、1月25日、香港で下船した乗客1人に新型コロナウイルスの感染が確認されたため、予定を早め2020年2月3日、横浜港に帰港しました。
2月5日にはPCR検査で陽性となった人が10人になり、ここから14日間の検疫が開始されます。1月25日からここまでの間、船内では通常のサービスが提供されており、症状のある乗客の隔離等の感染対策は全くされていませんでした。
2月10日には感染が拡大し、100人を超える乗客が症状を訴えるようになりました。この時点で災害派遣医療チーム(DMAT)の出動要請が発令されます。この時のDMATは、地震や洪水など災害対応のスペシャリストではあるけれども、未知のウイルスに対応できる経験や訓練はされていませんでした。(現行のDMATは訓練を受けています)
対策本部で指揮を執るのはDMATを統括する結城と厚労省の立松。船内で対応に当たることになったのは結城とは旧知の医師である仙道。愛する家族を残し、船に乗り込むことを決めたDMAT隊員、真田医師、そして羽鳥をはじめとした乗務員と乗客たち。彼らは、ワイドショーのレポーター上野ら、マスコミの加熱報道が世論を煽る中、致死率も治療方法もわからない未知のウイルスがまん延する船内で、全員が安全に下船することだけを目標に、自身の命を危険に晒しながら必至に診察をします。しかし、2月18日には感染者は540人を超えてしまいます。
ここで感染症内科医で海外での経験も豊富な六合がDMAT隊員として乗船します。六合はまず医療者の安全確保を進言しますが、なぜか下船を命じられます。六合は、船内で安全な区画と、安全でない区画の区別ができておらず、感染対策がほとんどされていないと自身のYouTubeチャンネルで配信します。これを受けてワイドショーはDMATを批判する報道をしますが・・・。
あれから5年。ダイヤモンドプリンセス号の帰港ニュースは今も記憶に生々しいし、あの時の報道や、ネット上での騒乱も覚えています。
パンデミックが広がる客船の対応に当たる関係者や、そこに乗り込んだ医療スタッフたちの群像。目の前の命を救うことと、感染拡大の阻止を天秤にかけながらの対応の描き方はリアルでした。
何より、この時点で新型コロナウイルスが未知のものであり、自身の命さえどうなるかわからない状況下で体を張ったDMATの隊員たちの勇気には胸が熱くなりました。
また、報道の在り方や偏見、差別も視野に入れた物語は奥行きがあり、特にケアをする人のケアは誰がするのかという問題を扱ったことは映画だからできる問題提起だと思いました。
残念だったのは感染症内科医、六合の描かれ方です。恐らくモデルになったのは岩田健太郎さんだと思いますが、DMATのカタキ役になっていたのは酷いと感じました。当時、岩田さんのYouTubeを拝見していましたが、少なくともDMATに敬意を表していたし、専門性を生かして事態を良い方向へ導こうと努力されたことは伝わってきました。
新型コロナウイルスをめぐっては、後遺症の問題、ワクチン後遺症を薬害と認めるか否かという問題など、まだ現在進行形の問題として苦しんでいる人がいることも忘れてはいけないでしょう。
2019年12月に中国(武漢市)で発見され、世界的パンデミックとなった新型コロナウイルス感染症。
2020年2月、船内で感染者が確認され、乗客乗員の検疫と健康診断のため横浜港に帰港した豪華クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号。日本でのパンデミックはここから始まったように思えます。
本作は、ダイヤモンドプリンセス号の乗客乗員を船外に安全に移送する仕事に奮闘したDMAT(災害派遣医療チーム)とその家族、乗務員、厚生労働省の職員、受け入れ先の病院職員、そしてワイドショーのレポーターが織りなす、実話をもとにした群像劇です。
56カ国の乗客2,666人と1,045人の乗務員、計3,711人を乗せたダイヤモンドプリンセス号は、1月25日、香港で下船した乗客1人に新型コロナウイルスの感染が確認されたため、予定を早め2020年2月3日、横浜港に帰港しました。
2月5日にはPCR検査で陽性となった人が10人になり、ここから14日間の検疫が開始されます。1月25日からここまでの間、船内では通常のサービスが提供されており、症状のある乗客の隔離等の感染対策は全くされていませんでした。
2月10日には感染が拡大し、100人を超える乗客が症状を訴えるようになりました。この時点で災害派遣医療チーム(DMAT)の出動要請が発令されます。この時のDMATは、地震や洪水など災害対応のスペシャリストではあるけれども、未知のウイルスに対応できる経験や訓練はされていませんでした。(現行のDMATは訓練を受けています)
対策本部で指揮を執るのはDMATを統括する結城と厚労省の立松。船内で対応に当たることになったのは結城とは旧知の医師である仙道。愛する家族を残し、船に乗り込むことを決めたDMAT隊員、真田医師、そして羽鳥をはじめとした乗務員と乗客たち。彼らは、ワイドショーのレポーター上野ら、マスコミの加熱報道が世論を煽る中、致死率も治療方法もわからない未知のウイルスがまん延する船内で、全員が安全に下船することだけを目標に、自身の命を危険に晒しながら必至に診察をします。しかし、2月18日には感染者は540人を超えてしまいます。
ここで感染症内科医で海外での経験も豊富な六合がDMAT隊員として乗船します。六合はまず医療者の安全確保を進言しますが、なぜか下船を命じられます。六合は、船内で安全な区画と、安全でない区画の区別ができておらず、感染対策がほとんどされていないと自身のYouTubeチャンネルで配信します。これを受けてワイドショーはDMATを批判する報道をしますが・・・。
あれから5年。ダイヤモンドプリンセス号の帰港ニュースは今も記憶に生々しいし、あの時の報道や、ネット上での騒乱も覚えています。
パンデミックが広がる客船の対応に当たる関係者や、そこに乗り込んだ医療スタッフたちの群像。目の前の命を救うことと、感染拡大の阻止を天秤にかけながらの対応の描き方はリアルでした。
何より、この時点で新型コロナウイルスが未知のものであり、自身の命さえどうなるかわからない状況下で体を張ったDMATの隊員たちの勇気には胸が熱くなりました。
また、報道の在り方や偏見、差別も視野に入れた物語は奥行きがあり、特にケアをする人のケアは誰がするのかという問題を扱ったことは映画だからできる問題提起だと思いました。
残念だったのは感染症内科医、六合の描かれ方です。恐らくモデルになったのは岩田健太郎さんだと思いますが、DMATのカタキ役になっていたのは酷いと感じました。当時、岩田さんのYouTubeを拝見していましたが、少なくともDMATに敬意を表していたし、専門性を生かして事態を良い方向へ導こうと努力されたことは伝わってきました。
新型コロナウイルスをめぐっては、後遺症の問題、ワクチン後遺症を薬害と認めるか否かという問題など、まだ現在進行形の問題として苦しんでいる人がいることも忘れてはいけないでしょう。
2025年6月19日 木曜日

最近、赤字経営に陥った病院や、医師の偏在問題、医師国家試験を合格して初期研修を終えると、すぐに美容業界に就職してしまう医師が増えている問題、効果が期待できないと知っていながら高額な薬剤を販売するクリニックなど、医療業界が抱える問題がメディアに取り上げられることが多くなりました。
これらは独立した問題でなく、複合的に起こっていると考えられます。そんな状況の中、あまり知られていませんが、外科医、中でも消化器外科医が激減しており、このままだと25年後には現在の半数ほどになると学会は予測しています。偏在問題などを踏まえると、地方では外科医を確保するのが難しいという深刻な事態に陥る可能性がでてきました。
今回紹介する「手術はすごい」の著者、石沢武彰さんは第一線で活躍されている消化器外科医です。本書は、
・外科や手術に1mmくらい興味がある中高生、医学生、研修医、看護師やMEの皆さん。
・OMU肝胆膵外科の手術のポリシーに触れたい若手外科医。
・これから手術を受ける患者さん。
・治療薬や医療機器の開発、販売に関わる皆さん。
・医療ドラマの理解を深めたい、医療メカに興味がある方。
を対象に執筆したといいます。外科医のすごさと仕事の醍醐味が伝わってきて、本書をきっかけに外科医を目指す若者が増えてほしいという石沢さんの強い意志を感じました。
序章 消化器の基本事項
消化器の解剖と生理。
1章 戦略・戦術編
手術だけが成し得ること/マージンとリンパ節郭清/手先の器用さよりも思考過程/求められる病院の総合力 ほか。
2章 武器編
鋼製小物/切開と凝固を行うことができる電気メス/血管シーリングシステム/手術支援ロボットの骨格 ほか。
3章 技術編 基本テクニック
達人への道は道具の持ち方から/堅実な結節縫合か、華麗な連続縫合か/素早く確実に結紮するための糸結び各流派/ ほか。
4章 技術編 応用テクニック
剥離のワザ、神様の糊付けを剥がせ/肝臓とブロッコリーとパリ市街の共通点/達人が魅せる一筆書き手術 ほか。
5章 実践編(詳細な術式スケッチつき)
胆石症に対する腹腔鏡下胆のう摘出術/大腸癌肝転移に対する右肝切除術/肝細胞癌に対するロボット支援肝S8切除術/膵癌に対する膵頭十二指腸切除術 ほか。
という構成で、手術の成り立ちや最近の進歩を分かりやすく解説しています。
武器編・技術編・実践編と、具体的な記述を通して外科医のすごさ、手術のすごさが実感できますが、一般読者には専門的過ぎるかも知れません。それよりも、その前に置かれた第1章が医療の最も大事な部分を示唆しており、頷ける内容でした。
小手先の器用さより、その何倍もの思考過程が手術を成功させるには大切との指摘の中に、外科医の本当の凄さがあります。「安心して下さい、不器用な人間も外科医になっています(筆者である私のことです!)」という一文は、これから外科医を目指す若者へのメッセージなのでしょう。
印象に残ったのは、良い外科医ほど、絵画も上手いのはなぜ?という本書で詳細に扱われた手術例で医師自身による詳細なスケッチに加えられた一文です。
医療職は職種を問わず文章よりもイラストを書いて学ぶという経験をしているはずで、私の場合だと機能解剖をやりながら、その動きをつくる神経節のレベルを色鉛筆で色分けして覚えるなどしたものですが、何度も描いているうちに上手くなってくるものです。外科医は自分が手がけた症例すべてに、メスの軌跡としてイラストを残すというのですから、やはりすごいの一言です。
「お前はもっと勉強しろ!」と言われた気分になりました。
これらは独立した問題でなく、複合的に起こっていると考えられます。そんな状況の中、あまり知られていませんが、外科医、中でも消化器外科医が激減しており、このままだと25年後には現在の半数ほどになると学会は予測しています。偏在問題などを踏まえると、地方では外科医を確保するのが難しいという深刻な事態に陥る可能性がでてきました。
今回紹介する「手術はすごい」の著者、石沢武彰さんは第一線で活躍されている消化器外科医です。本書は、
・外科や手術に1mmくらい興味がある中高生、医学生、研修医、看護師やMEの皆さん。
・OMU肝胆膵外科の手術のポリシーに触れたい若手外科医。
・これから手術を受ける患者さん。
・治療薬や医療機器の開発、販売に関わる皆さん。
・医療ドラマの理解を深めたい、医療メカに興味がある方。
を対象に執筆したといいます。外科医のすごさと仕事の醍醐味が伝わってきて、本書をきっかけに外科医を目指す若者が増えてほしいという石沢さんの強い意志を感じました。
序章 消化器の基本事項
消化器の解剖と生理。
1章 戦略・戦術編
手術だけが成し得ること/マージンとリンパ節郭清/手先の器用さよりも思考過程/求められる病院の総合力 ほか。
2章 武器編
鋼製小物/切開と凝固を行うことができる電気メス/血管シーリングシステム/手術支援ロボットの骨格 ほか。
3章 技術編 基本テクニック
達人への道は道具の持ち方から/堅実な結節縫合か、華麗な連続縫合か/素早く確実に結紮するための糸結び各流派/ ほか。
4章 技術編 応用テクニック
剥離のワザ、神様の糊付けを剥がせ/肝臓とブロッコリーとパリ市街の共通点/達人が魅せる一筆書き手術 ほか。
5章 実践編(詳細な術式スケッチつき)
胆石症に対する腹腔鏡下胆のう摘出術/大腸癌肝転移に対する右肝切除術/肝細胞癌に対するロボット支援肝S8切除術/膵癌に対する膵頭十二指腸切除術 ほか。
という構成で、手術の成り立ちや最近の進歩を分かりやすく解説しています。
武器編・技術編・実践編と、具体的な記述を通して外科医のすごさ、手術のすごさが実感できますが、一般読者には専門的過ぎるかも知れません。それよりも、その前に置かれた第1章が医療の最も大事な部分を示唆しており、頷ける内容でした。
小手先の器用さより、その何倍もの思考過程が手術を成功させるには大切との指摘の中に、外科医の本当の凄さがあります。「安心して下さい、不器用な人間も外科医になっています(筆者である私のことです!)」という一文は、これから外科医を目指す若者へのメッセージなのでしょう。
印象に残ったのは、良い外科医ほど、絵画も上手いのはなぜ?という本書で詳細に扱われた手術例で医師自身による詳細なスケッチに加えられた一文です。
医療職は職種を問わず文章よりもイラストを書いて学ぶという経験をしているはずで、私の場合だと機能解剖をやりながら、その動きをつくる神経節のレベルを色鉛筆で色分けして覚えるなどしたものですが、何度も描いているうちに上手くなってくるものです。外科医は自分が手がけた症例すべてに、メスの軌跡としてイラストを残すというのですから、やはりすごいの一言です。
「お前はもっと勉強しろ!」と言われた気分になりました。
2025年6月8日 日曜日

李相日監督作品「国宝」を観ました。原作は吉田修一さんの同名小説です。
ヤクザの後目に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げ、後に国宝と呼ばれる男の激動の人生を描いた、半世紀に渡る重厚な人間ドラマです。物語の底を流れる大きなテーマは血のつながり。世襲という歌舞伎の世界の慣わしでは、どんなに芸に秀でていても、ギリギリのところで拒絶されてしまいます。そして、そんな不遇の役者にもある血の物語。
3時間の大作ですが、最初から最後まで緩むことがなく、特にクライマックスの曽根崎心中は圧巻で、鳥肌が立つほどでした。ぜひ劇場の大スクリーンで堪能してもらいたい作品です。
物語の始まりは1964年(昭和39年)の長崎。主人公である長崎を仕切るヤクザの後目、立花喜久雄、15才は、組の宴席の余興に歌舞伎の女形を踊り、喝采を浴びていました。たまたま興業の挨拶に来ていた上方歌舞伎の名門、丹波屋の看板役者、花井半二郎は、その姿に天賦の才を感じ目を見張りますが、宴席は突然の銃声と男たちの怒号、血しぶきに染まります。敵対する組から出入りを受け、喜久雄の目の前で父は撃たれ絶命します。
天涯孤独となった喜久雄を花井は部屋子として引き取りますが、半二郎には俊介という喜久雄と同い年の後目がありました。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる喜久雄と俊介。実の兄弟のように分け隔てなく育てられ、切磋琢磨しながら芸を磨いていきました。学校の帰りには2人で練習し、家に帰ると半次郎に木刀で叩かれながら稽古を繰り返しました。喜久雄は体にアザができようとも稽古が楽しく、歌舞伎の魅力に取り憑かれていきます。
喜久雄は人間国宝である万菊の演舞を見て、その技量に圧倒されながらも、いつかは自分もその地平に立ちたいと夢見ます。そしていつしか喜久雄の芸は、幼少から磨いてきた俊介の芸を凌駕するようになっていました。
二人は半次郎のアイディアで女形同士でコンビを組み、丹波屋のホープとして人気になっていきました。そんなある日、半次郎が交通事故で入院し、代役を立てることになりました。通常であれば後目の俊介となるはずが、半次郎が指名したのは喜久雄でした。
その舞台の楽屋で喜久雄は震えながら、俊介に「守ってくれる血がほしい」と涙を流します。俊介は「お前には芸がある」と励ましますが、客席で観ていた俊介は喜久雄の演技に圧倒され、自分の才能の無さに絶望し、丹波屋を去ります。ここから二人の運命は大きく揺らいでいきます・・・。
喜久雄には芸はあったが守ってくれる血がなかった。俊介は喜久雄の才能に打ちのめされて身を崩していく。2人の人生はすれ違い、そして波乱に満ちていきます。その根底にあるのは、歌舞伎という芸術が持つ、血の呪い(世襲)と芸の呪い(才能)だと思いました。
俊介は、歌舞伎を呪い憎みながらも、また歌舞伎に戻ってきます。何年も丹波屋を空けたにも関わらず、何事もなかったかのように受け入れられる。これこそ血の呪縛そのものでしょう。
一方、喜久雄の芸に対する執念はすさまじく、日陰の女性、藤駒に生ませた子供、綾乃の前で神社の鈴を鳴らしながら「もっと歌舞伎が上手くなるよう悪魔と取引した」と言い放ちます。まさに芸の呪いです。
喜久雄は人間国宝に選出された後の取材に「うまく説明できないが、ずっとある景色を探し続けている」と答えます。これは想像ですが、長崎で出入りの夜、雪が舞う中「喜久雄!よく見ておけ!」と叫びながら日本刀と背中の彫り物を振りかざし、凶弾に倒れた父の風景を指しているのではないかと思いました。喜久雄もまた、血に縛れていた。芸を極めながらも最後は血に還る、人間の抗えない本質を描いていたように思えます。
余談ですが、本作を鑑賞した多くの医療関係者は、糖尿病も血の呪いだと考えたと思います。古くは村田英雄さん、渡辺徹さん、最近では佐野慈紀さんなど、芸能界でも糖尿病で苦しんだ人は多いですが、日本人は糖尿病になりやすい遺伝的要素を持っています。健診では空腹時血糖とHbA1cを測りますが、これだと食後高血糖、いわゆる血糖値スパイクの有無はわかりません。食後高血糖がある段階で血管の傷みは相当にあるということがわかってきているので、親族に糖尿病の人がいる方は、できれば食後の血糖値を測ってみることをお勧めします。
ヤクザの後目に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げ、後に国宝と呼ばれる男の激動の人生を描いた、半世紀に渡る重厚な人間ドラマです。物語の底を流れる大きなテーマは血のつながり。世襲という歌舞伎の世界の慣わしでは、どんなに芸に秀でていても、ギリギリのところで拒絶されてしまいます。そして、そんな不遇の役者にもある血の物語。
3時間の大作ですが、最初から最後まで緩むことがなく、特にクライマックスの曽根崎心中は圧巻で、鳥肌が立つほどでした。ぜひ劇場の大スクリーンで堪能してもらいたい作品です。
物語の始まりは1964年(昭和39年)の長崎。主人公である長崎を仕切るヤクザの後目、立花喜久雄、15才は、組の宴席の余興に歌舞伎の女形を踊り、喝采を浴びていました。たまたま興業の挨拶に来ていた上方歌舞伎の名門、丹波屋の看板役者、花井半二郎は、その姿に天賦の才を感じ目を見張りますが、宴席は突然の銃声と男たちの怒号、血しぶきに染まります。敵対する組から出入りを受け、喜久雄の目の前で父は撃たれ絶命します。
天涯孤独となった喜久雄を花井は部屋子として引き取りますが、半二郎には俊介という喜久雄と同い年の後目がありました。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる喜久雄と俊介。実の兄弟のように分け隔てなく育てられ、切磋琢磨しながら芸を磨いていきました。学校の帰りには2人で練習し、家に帰ると半次郎に木刀で叩かれながら稽古を繰り返しました。喜久雄は体にアザができようとも稽古が楽しく、歌舞伎の魅力に取り憑かれていきます。
喜久雄は人間国宝である万菊の演舞を見て、その技量に圧倒されながらも、いつかは自分もその地平に立ちたいと夢見ます。そしていつしか喜久雄の芸は、幼少から磨いてきた俊介の芸を凌駕するようになっていました。
二人は半次郎のアイディアで女形同士でコンビを組み、丹波屋のホープとして人気になっていきました。そんなある日、半次郎が交通事故で入院し、代役を立てることになりました。通常であれば後目の俊介となるはずが、半次郎が指名したのは喜久雄でした。
その舞台の楽屋で喜久雄は震えながら、俊介に「守ってくれる血がほしい」と涙を流します。俊介は「お前には芸がある」と励ましますが、客席で観ていた俊介は喜久雄の演技に圧倒され、自分の才能の無さに絶望し、丹波屋を去ります。ここから二人の運命は大きく揺らいでいきます・・・。
喜久雄には芸はあったが守ってくれる血がなかった。俊介は喜久雄の才能に打ちのめされて身を崩していく。2人の人生はすれ違い、そして波乱に満ちていきます。その根底にあるのは、歌舞伎という芸術が持つ、血の呪い(世襲)と芸の呪い(才能)だと思いました。
俊介は、歌舞伎を呪い憎みながらも、また歌舞伎に戻ってきます。何年も丹波屋を空けたにも関わらず、何事もなかったかのように受け入れられる。これこそ血の呪縛そのものでしょう。
一方、喜久雄の芸に対する執念はすさまじく、日陰の女性、藤駒に生ませた子供、綾乃の前で神社の鈴を鳴らしながら「もっと歌舞伎が上手くなるよう悪魔と取引した」と言い放ちます。まさに芸の呪いです。
喜久雄は人間国宝に選出された後の取材に「うまく説明できないが、ずっとある景色を探し続けている」と答えます。これは想像ですが、長崎で出入りの夜、雪が舞う中「喜久雄!よく見ておけ!」と叫びながら日本刀と背中の彫り物を振りかざし、凶弾に倒れた父の風景を指しているのではないかと思いました。喜久雄もまた、血に縛れていた。芸を極めながらも最後は血に還る、人間の抗えない本質を描いていたように思えます。
余談ですが、本作を鑑賞した多くの医療関係者は、糖尿病も血の呪いだと考えたと思います。古くは村田英雄さん、渡辺徹さん、最近では佐野慈紀さんなど、芸能界でも糖尿病で苦しんだ人は多いですが、日本人は糖尿病になりやすい遺伝的要素を持っています。健診では空腹時血糖とHbA1cを測りますが、これだと食後高血糖、いわゆる血糖値スパイクの有無はわかりません。食後高血糖がある段階で血管の傷みは相当にあるということがわかってきているので、親族に糖尿病の人がいる方は、できれば食後の血糖値を測ってみることをお勧めします。
2025年5月31日 土曜日

成田悠輔さんの著書「22世紀の資本主義」を読みました。
人類は約1万2千年ほど前にユーラシア大陸を中心に農業を始め、紀元前8世紀頃、物々交換の経済に代わり、貨幣を使って経済取引を行う経済システムを確立したとされています。
貨幣の機能には、支払い、価値の尺度、蓄蔵、交換手段があり、これは現代においても変わっていませんが、14世紀にヨーロッパで人類最高の発明の一つとまで言われている複式簿記が登場し、資産という概念が広まり、会計学の普及ととももに資本主義は豊かな生活を保証するシステムとして現在に至っています。しかし、環境破壊や貧富の格差に代表される資本主義の弊害も大きくなっており、私たちの未来に重くのしかかっています。
成田さんは本書で、資本主義社会の弊害から脱するための独自の論理を展開しています。
これまでは希望や欲望をもとに、お金を潤滑油として使うことで、市場でバランスを取りながら発展を遂げてきた、私たちの資本主義社会。それが、リーダーであるアメリカの暴走により、社会の前提が崩れていくように感じます。また、成田さんが指摘するように、売上ゼロなのに時価総額1兆円の赤字上場企業が存在したり、ビットコインなど暗号資産に10年余りで時価総額数百兆円がついてしまうなど、ウソのような経済的超常現象が起き、お金の不公平さが拡大しています。これはまさに資本主義、市場経済の暴走でしょう。
成田さんは、この現実が行き着く未来について、買う人によってモノの値段が変わる、つまり、私たち自体がデータとして扱われ、個人の持つデータによって値段が変わる、市場経済自体が福祉的機能をもつようになると予言します。
これからもグローバル化の歩みは抗いようがなく、平板化、均質化はどこまでも進み、ごく一部の富裕層は、どんどん凝縮され、貧富の差は拡大していくでしょう。搾取する側とされる側の構造がグローバル化によって肥大し、より悲惨なことになっていくような気がします。
人間は、助け合いの心と、欲望との双方を備えた生き物です。けれど、後者がより顕在化しているのは誰もが感じるところでしょう。成田さんは、このバランスを是正するため、私たち一人一人の行動のすべてをポイントとして可視化させ、ポイントを積み重ねるほど豊かになれるアルゴリズムをAIで構築したらどうかと言うのです。このアイデア自体は素晴らしいと思います。
ただ私が問題だと思うのは、それが監視社会に繋がっていく可能性がある点です。個人のデータとすべての行動履歴をAIに把握され、管理されるようになる。これをどう考えるか。AIのアルゴリズムによる管理が行き過ぎると、人間は考えることを放棄するかも知れません。
かつて哲学者の黒崎政男さんはMS-DOSは思考の道具だと言いましたが、記憶も思考も外部化が進むと私たちはどうなってしまうのか。とんでもないディストピアになっていくのではないか。そう思うと怖いです。
富裕層がさらに稼ぐことに熱中し、一生かけても使い切れないほど稼ぎ続けることが、果たして人間として幸せと言えるのか。本書は成田さんの資本主義に対する思考実験であるわけですが、哲学者の斎藤幸平さんは、人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」において、資本主義の利潤追求を止めなければ、人類は野蛮状態に陥ると警告し、これを回避するには時代遅れとされていたマルクス思想にヒントがあると主張します。
22世紀はどんな世の中になっているのでしょうか。
人類は約1万2千年ほど前にユーラシア大陸を中心に農業を始め、紀元前8世紀頃、物々交換の経済に代わり、貨幣を使って経済取引を行う経済システムを確立したとされています。
貨幣の機能には、支払い、価値の尺度、蓄蔵、交換手段があり、これは現代においても変わっていませんが、14世紀にヨーロッパで人類最高の発明の一つとまで言われている複式簿記が登場し、資産という概念が広まり、会計学の普及ととももに資本主義は豊かな生活を保証するシステムとして現在に至っています。しかし、環境破壊や貧富の格差に代表される資本主義の弊害も大きくなっており、私たちの未来に重くのしかかっています。
成田さんは本書で、資本主義社会の弊害から脱するための独自の論理を展開しています。
これまでは希望や欲望をもとに、お金を潤滑油として使うことで、市場でバランスを取りながら発展を遂げてきた、私たちの資本主義社会。それが、リーダーであるアメリカの暴走により、社会の前提が崩れていくように感じます。また、成田さんが指摘するように、売上ゼロなのに時価総額1兆円の赤字上場企業が存在したり、ビットコインなど暗号資産に10年余りで時価総額数百兆円がついてしまうなど、ウソのような経済的超常現象が起き、お金の不公平さが拡大しています。これはまさに資本主義、市場経済の暴走でしょう。
成田さんは、この現実が行き着く未来について、買う人によってモノの値段が変わる、つまり、私たち自体がデータとして扱われ、個人の持つデータによって値段が変わる、市場経済自体が福祉的機能をもつようになると予言します。
これからもグローバル化の歩みは抗いようがなく、平板化、均質化はどこまでも進み、ごく一部の富裕層は、どんどん凝縮され、貧富の差は拡大していくでしょう。搾取する側とされる側の構造がグローバル化によって肥大し、より悲惨なことになっていくような気がします。
人間は、助け合いの心と、欲望との双方を備えた生き物です。けれど、後者がより顕在化しているのは誰もが感じるところでしょう。成田さんは、このバランスを是正するため、私たち一人一人の行動のすべてをポイントとして可視化させ、ポイントを積み重ねるほど豊かになれるアルゴリズムをAIで構築したらどうかと言うのです。このアイデア自体は素晴らしいと思います。
ただ私が問題だと思うのは、それが監視社会に繋がっていく可能性がある点です。個人のデータとすべての行動履歴をAIに把握され、管理されるようになる。これをどう考えるか。AIのアルゴリズムによる管理が行き過ぎると、人間は考えることを放棄するかも知れません。
かつて哲学者の黒崎政男さんはMS-DOSは思考の道具だと言いましたが、記憶も思考も外部化が進むと私たちはどうなってしまうのか。とんでもないディストピアになっていくのではないか。そう思うと怖いです。
富裕層がさらに稼ぐことに熱中し、一生かけても使い切れないほど稼ぎ続けることが、果たして人間として幸せと言えるのか。本書は成田さんの資本主義に対する思考実験であるわけですが、哲学者の斎藤幸平さんは、人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」において、資本主義の利潤追求を止めなければ、人類は野蛮状態に陥ると警告し、これを回避するには時代遅れとされていたマルクス思想にヒントがあると主張します。
22世紀はどんな世の中になっているのでしょうか。
2025年5月22日 木曜日

2025年度にマイナンバーカードの有効期限を迎える人が急増するので、自治体は大量の更新手続きに迫られ、窓口の混雑が予想されていますが、私にも更新の案内が届きました。
マイナンバーカードには、マイナンバーカード自体の有効期限10年(発行から10回目の誕生日まで)と、マイナンバーカードのICチップに搭載された電子証明書の有効期限5年(発行から5回目の誕生日まで)の2種類の有効期限が設定されており、今回の更新はカード自体の更新となります。
面白いのは電子証明書の更新はオンラインは不可ですが、カード自体の更新はオンラインで可能です。これは電子証明書は、オンラインで本人確認を行うためのものであることから、対面での本人確認を経て発行することとされているためです。
カード自体の更新には直近の顔写真のデータが必要ですが、自撮りした写真でもOKとなると、シワをのばしたり、シミを消したり、加工したものを提出する人もいるはずで、大丈夫なのかと思います。
マイナンバーカードには、マイナンバーカード自体の有効期限10年(発行から10回目の誕生日まで)と、マイナンバーカードのICチップに搭載された電子証明書の有効期限5年(発行から5回目の誕生日まで)の2種類の有効期限が設定されており、今回の更新はカード自体の更新となります。
面白いのは電子証明書の更新はオンラインは不可ですが、カード自体の更新はオンラインで可能です。これは電子証明書は、オンラインで本人確認を行うためのものであることから、対面での本人確認を経て発行することとされているためです。
カード自体の更新には直近の顔写真のデータが必要ですが、自撮りした写真でもOKとなると、シワをのばしたり、シミを消したり、加工したものを提出する人もいるはずで、大丈夫なのかと思います。
2025年5月11日 日曜日

ドゥーガルウィルソン監督作品「パディントン 消えた黄金郷の秘密」を観ました。原作はイギリスの作家マイケルボンドの児童書「くまのパディントン」です。
シリーズ3作目となる今作は、ミステリー仕立ての冒険物語の中で、パディントンのルーツが明らかになります。「インディジョーンズ」や「天使にラブソングを」のパロディと思われるシーンもあり、大人が観ても十分楽しめる良作です。
ロンドンでブラウン一家とおだやかに暮らしていたパディントンのもとに、故郷のペルーから1通の手紙が届きます。幼い時、オレンジの木から川に落ちて溺れていたところを助けて、育ててくれたルーシーおばさんの元気がないというのです。早速パディントンとブラウン一家はペルーに行くことに。ところが、着いてみるとルーシーおばさんは何故か失踪していました。
パディントンの里帰りは一転、彼女を探す冒険の旅へと変わってしまいます。都会暮らしになれてしまい野生のカンを失ったパディントンは次々と大ピンチにみまわれます。果たしてルーシーおばさんを見つけることができるのか?そして、パディントンを待ち受ける「消えた黄金郷の秘密」とは・・・?
2022年6月、今は亡きエリザベス女王の即位70周年の祝賀行事の1つとして行われたコンサートのオープニング動画で、エリザベス女王とパディントンが共演し大きな話題となりました。作品冒頭、パディントンにイギリス政府からパスポートが届くシーンがありますが、パディントンはイギリス国民のひとりであるということなのでしょう。
パディントンといえば「マーマレードサンド」ですが、山崎パンのランチパックシリーズで発売したら人気になるんじゃないかなぁ(笑)
シリーズ3作目となる今作は、ミステリー仕立ての冒険物語の中で、パディントンのルーツが明らかになります。「インディジョーンズ」や「天使にラブソングを」のパロディと思われるシーンもあり、大人が観ても十分楽しめる良作です。
ロンドンでブラウン一家とおだやかに暮らしていたパディントンのもとに、故郷のペルーから1通の手紙が届きます。幼い時、オレンジの木から川に落ちて溺れていたところを助けて、育ててくれたルーシーおばさんの元気がないというのです。早速パディントンとブラウン一家はペルーに行くことに。ところが、着いてみるとルーシーおばさんは何故か失踪していました。
パディントンの里帰りは一転、彼女を探す冒険の旅へと変わってしまいます。都会暮らしになれてしまい野生のカンを失ったパディントンは次々と大ピンチにみまわれます。果たしてルーシーおばさんを見つけることができるのか?そして、パディントンを待ち受ける「消えた黄金郷の秘密」とは・・・?
2022年6月、今は亡きエリザベス女王の即位70周年の祝賀行事の1つとして行われたコンサートのオープニング動画で、エリザベス女王とパディントンが共演し大きな話題となりました。作品冒頭、パディントンにイギリス政府からパスポートが届くシーンがありますが、パディントンはイギリス国民のひとりであるということなのでしょう。
パディントンといえば「マーマレードサンド」ですが、山崎パンのランチパックシリーズで発売したら人気になるんじゃないかなぁ(笑)
2025年5月6日 火曜日

大沢在昌さんの小説「リペアラー」を読みました。
愛聴している「大竹まことゴールデンラジオ」2025年3月14日の放送に、大竹さんのゴルフ仲間で作家の大沢在昌さんが出演された折、新作の紹介ということで本作が取り上げられました。
大沢さんの担当編集者が、白血病で39才という若さで急逝されたことで本作を着想されたことや、物語に登場する「ローズビル」登場人物である「デニス」にはモデルがあり、ローズビルは大沢さんが40年前に住んでいた六本木にあった「ローズマンション」で、デニスは、その当時、大沢さんがよく行っていたピアノバーに頻繁に遊びに来ていたアメリカ人だそうです。彼は、ボーイがグリーンカードを取れなくて悩んでいたところ、いとも簡単に取ってくれたことがあり、彼がアメリカに帰った後、実はCIA職員だったことを知ったそうです。
こんな作品にまつわるエピソードを聞くと、読んでみたくなりました。2,310円と単行本としては高いですが、これぞエンタメ!満足の一冊でした。
今から40年前(1985年・昭和60年)に、六本木にあるローズビルの屋上で見つかった遺体。事件性はなく行旅死亡人として記録された、その人物は一体何者であったのか?
木村伊兵衛と名乗る人物から、遺体の身元調査を依頼されたノンフィクションライターの穴川雅、30才。彼女の高校の同級生である五頭想一。二人の間に恋愛感情はまったくないが、スポーツ雑誌専門のイラストレーターである想一は自由な時間が使えるため、依頼元のミヤビから報酬を受け取る契約で、調査に協力することになります。
遺体発見現場であるローズビルの住人たち、不動産賃貸業者、夜の六本木で生きる人々、国家の名のもとに暗躍する官僚、そして現れる年齢不詳の謎の男。一筋縄ではいかない調査が、さらなる謎につながっていき、タイトルである「リペアラー」(修復者)の意味がわかる時、驚愕の真実が明かされます・・・。
本作のポイントは40年という時間経過にあります。今、25才の人にとって40年前の出来事は、いくら想像しても理解できないほど古いことでしょう。でも、私の世代にとって昭和60年(1985年)は懐かしいあの頃です。ページをめくりながら、ストーリーを追いながら、自らの過去を振り返る時間の旅も楽しめました。
本作の時間の壁が浮き彫りにするのは、不都合な真実です。誰にでも、あまり他人に知られたくない事柄との葛藤があるでしょう。真実を隠したまま未来に送らなければならない人間の苦悩こそ、大沢さんが描きたかったことのように思えました。
愛聴している「大竹まことゴールデンラジオ」2025年3月14日の放送に、大竹さんのゴルフ仲間で作家の大沢在昌さんが出演された折、新作の紹介ということで本作が取り上げられました。
大沢さんの担当編集者が、白血病で39才という若さで急逝されたことで本作を着想されたことや、物語に登場する「ローズビル」登場人物である「デニス」にはモデルがあり、ローズビルは大沢さんが40年前に住んでいた六本木にあった「ローズマンション」で、デニスは、その当時、大沢さんがよく行っていたピアノバーに頻繁に遊びに来ていたアメリカ人だそうです。彼は、ボーイがグリーンカードを取れなくて悩んでいたところ、いとも簡単に取ってくれたことがあり、彼がアメリカに帰った後、実はCIA職員だったことを知ったそうです。
こんな作品にまつわるエピソードを聞くと、読んでみたくなりました。2,310円と単行本としては高いですが、これぞエンタメ!満足の一冊でした。
今から40年前(1985年・昭和60年)に、六本木にあるローズビルの屋上で見つかった遺体。事件性はなく行旅死亡人として記録された、その人物は一体何者であったのか?
木村伊兵衛と名乗る人物から、遺体の身元調査を依頼されたノンフィクションライターの穴川雅、30才。彼女の高校の同級生である五頭想一。二人の間に恋愛感情はまったくないが、スポーツ雑誌専門のイラストレーターである想一は自由な時間が使えるため、依頼元のミヤビから報酬を受け取る契約で、調査に協力することになります。
遺体発見現場であるローズビルの住人たち、不動産賃貸業者、夜の六本木で生きる人々、国家の名のもとに暗躍する官僚、そして現れる年齢不詳の謎の男。一筋縄ではいかない調査が、さらなる謎につながっていき、タイトルである「リペアラー」(修復者)の意味がわかる時、驚愕の真実が明かされます・・・。
本作のポイントは40年という時間経過にあります。今、25才の人にとって40年前の出来事は、いくら想像しても理解できないほど古いことでしょう。でも、私の世代にとって昭和60年(1985年)は懐かしいあの頃です。ページをめくりながら、ストーリーを追いながら、自らの過去を振り返る時間の旅も楽しめました。
本作の時間の壁が浮き彫りにするのは、不都合な真実です。誰にでも、あまり他人に知られたくない事柄との葛藤があるでしょう。真実を隠したまま未来に送らなければならない人間の苦悩こそ、大沢さんが描きたかったことのように思えました。
2025年4月27日 日曜日

田坂広志さんの著書「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」を読みました。著者の田坂さんは工学博士で専門は原子力工学です。
本書は、物理学(量子論)から導き出した田坂さんの仮説である「ゼロポイントフィールド仮説」を基に、死後の世界について考察しています。死後、意識の全ての情報は記録される、他者の情報と相互作用を続けるなど、新たな死生観が語られています。
本書を読み解くにはゼロポイントフィールド仮説を理解することが必要ですが、要約すると、
私たちが存在するこの宇宙は、138億年前、莫大なエネルギーを宿した量子真空と呼ばれる場に、突如ゆらぎが起こり、その直後、急激な膨張(インフレーション)と爆発(ビッグバン)が生じ、誕生しました。
量子真空は、ビッグバンとともに消滅したわけではなく、現在も、この宇宙に遍在し、膨大なエネルギーを蓄えています。そのエネルギーを「ゼロポイントエネルギー」といい、現代物理学の定説となっています。
田坂さんは、ここから一歩進めて、量子真空に「ゼロポイントフィールド」という場が存在し、その場には、宇宙誕生以来起こったすべての出来事が波動情報として記録されていると仮定しています。
ここで波動情報とは何かですが、鉄のような硬い物質も、分子、原子と分割して素粒子のレベルで観測すれば(量子力学)波動エネルギーといえます。私たちが鉄を堅固な物質だと感じるのは錯覚であり、量子という次元で見れば、物質の実体は、常にゆれ動きながら存在する波動です。つまり、量子論では物質の本質は、すべて波動です。
なので、ビッグバンから現在に至る宇宙138億年の間に起こったすべての事象、物質現象も生命現象も意識現象も、すべてが波動現象といえ、このことは人体についても同様で、私たちの肌も骨も内臓も、そして脳も、波動である素粒子から構成されており、脳から生まれる意識もまた波動です。
しかし、波動は「エネルギーの減衰」によって消滅していきます。そのため、風によって湖面に生まれた波が自然に消えていくように、波動現象の痕跡は、時間とともに消えてしまいます。けれども、量子真空の中では「エネルギーの減衰」は起こりません。そして、この量子真空は、あまねくこの宇宙に存在していますから、138億年の歳月にこの宇宙で起こったすべての出来事の波動情報が、永遠に波の消えない湖面のように、量子真空の中に記録、記憶されている可能性があり、私たちが生きたすべての瞬間の意識の記憶もまた、このフィールドに波動情報として保存され、存在し続けていく。同様に、すでに他界した故人の意識の情報もまた、消滅することなく存在している可能性がある。これを田坂さんは「ゼロポイントフィールド仮説」と名づけたというわけです。
物理学の中でも量子力学はニュートン力学や電磁気学とは違い、日常の感覚が通用しない難解な学問です。
2024年12月、NHKスペシャルで放送された「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」では、アインシュタインでさえ解けなかった謎「量子もつれ」が証明されノーベル賞を受賞したことを取り上げ、テレポーテーションなどSFの世界が実在することを示唆すこの現象を解説していました。番組では、ここから全く新しい暗号通信や超速コンピューターが実現し、人類は新たなステージに立つだろうと締めくくっていましたが、私は「量子もつれ」を完全には理解できませんでした。
量子力学について最も基礎的なことを、数式を使わず説明されてもわからなかったのに、田坂さんの仮説を理解できるわけがありませんが、人の意識を量子論で説明するのは違うのではないかと思いました。
知の巨人と呼ばれた立花隆さんは臨死体験という事象を通して、あるいはAI研究を通して、人の意識とは何かについて探求され、意識とは脳活動であって、脳活動がなくなれば意識もなくなるという結論に至られました。私はこれが正しいと思います。
ただ、田坂さんが指摘するように世の中には、それでは説明できない不可思議なこと(前世の記憶がある子供など)もあります。その事象が現時点での科学で説明できないからウソだと決めつけるよりも、それを科学で説明することに挑戦する田坂さんの姿勢は素晴らしいと思うし、ロマンを感じました。
本書は、物理学(量子論)から導き出した田坂さんの仮説である「ゼロポイントフィールド仮説」を基に、死後の世界について考察しています。死後、意識の全ての情報は記録される、他者の情報と相互作用を続けるなど、新たな死生観が語られています。
本書を読み解くにはゼロポイントフィールド仮説を理解することが必要ですが、要約すると、
私たちが存在するこの宇宙は、138億年前、莫大なエネルギーを宿した量子真空と呼ばれる場に、突如ゆらぎが起こり、その直後、急激な膨張(インフレーション)と爆発(ビッグバン)が生じ、誕生しました。
量子真空は、ビッグバンとともに消滅したわけではなく、現在も、この宇宙に遍在し、膨大なエネルギーを蓄えています。そのエネルギーを「ゼロポイントエネルギー」といい、現代物理学の定説となっています。
田坂さんは、ここから一歩進めて、量子真空に「ゼロポイントフィールド」という場が存在し、その場には、宇宙誕生以来起こったすべての出来事が波動情報として記録されていると仮定しています。
ここで波動情報とは何かですが、鉄のような硬い物質も、分子、原子と分割して素粒子のレベルで観測すれば(量子力学)波動エネルギーといえます。私たちが鉄を堅固な物質だと感じるのは錯覚であり、量子という次元で見れば、物質の実体は、常にゆれ動きながら存在する波動です。つまり、量子論では物質の本質は、すべて波動です。
なので、ビッグバンから現在に至る宇宙138億年の間に起こったすべての事象、物質現象も生命現象も意識現象も、すべてが波動現象といえ、このことは人体についても同様で、私たちの肌も骨も内臓も、そして脳も、波動である素粒子から構成されており、脳から生まれる意識もまた波動です。
しかし、波動は「エネルギーの減衰」によって消滅していきます。そのため、風によって湖面に生まれた波が自然に消えていくように、波動現象の痕跡は、時間とともに消えてしまいます。けれども、量子真空の中では「エネルギーの減衰」は起こりません。そして、この量子真空は、あまねくこの宇宙に存在していますから、138億年の歳月にこの宇宙で起こったすべての出来事の波動情報が、永遠に波の消えない湖面のように、量子真空の中に記録、記憶されている可能性があり、私たちが生きたすべての瞬間の意識の記憶もまた、このフィールドに波動情報として保存され、存在し続けていく。同様に、すでに他界した故人の意識の情報もまた、消滅することなく存在している可能性がある。これを田坂さんは「ゼロポイントフィールド仮説」と名づけたというわけです。
物理学の中でも量子力学はニュートン力学や電磁気学とは違い、日常の感覚が通用しない難解な学問です。
2024年12月、NHKスペシャルで放送された「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」では、アインシュタインでさえ解けなかった謎「量子もつれ」が証明されノーベル賞を受賞したことを取り上げ、テレポーテーションなどSFの世界が実在することを示唆すこの現象を解説していました。番組では、ここから全く新しい暗号通信や超速コンピューターが実現し、人類は新たなステージに立つだろうと締めくくっていましたが、私は「量子もつれ」を完全には理解できませんでした。
量子力学について最も基礎的なことを、数式を使わず説明されてもわからなかったのに、田坂さんの仮説を理解できるわけがありませんが、人の意識を量子論で説明するのは違うのではないかと思いました。
知の巨人と呼ばれた立花隆さんは臨死体験という事象を通して、あるいはAI研究を通して、人の意識とは何かについて探求され、意識とは脳活動であって、脳活動がなくなれば意識もなくなるという結論に至られました。私はこれが正しいと思います。
ただ、田坂さんが指摘するように世の中には、それでは説明できない不可思議なこと(前世の記憶がある子供など)もあります。その事象が現時点での科学で説明できないからウソだと決めつけるよりも、それを科学で説明することに挑戦する田坂さんの姿勢は素晴らしいと思うし、ロマンを感じました。
2025年4月13日 日曜日

ジェームズハウェズ監督作品「アマチュア」を観ました。原作はロバートリテルの同名小説です。
いわゆるスパイアクションの主人公には、ジェイソンボーンのように知力と戦闘能力に長けた者もいれば、ジェームズボンドやイーサンハントのように、歴史と伝統を築き上げスパイの代名詞のようなヒーローもいます。しかし、本作の主人公チャーリーヘラーはCIA職員ではあるけれども、暗殺はおろか現場での諜報活動は経験がなく、銃もナイフも格闘技もまったくの素人(アマチュア)。そんな彼の武器は、IQ170の頭脳と情報分析官としての経験、それにITスキル。
ストーリーはオーソドックスな復讐劇で、伏線も伏線とわかってしまう展開。派手な殴り合い、銃撃戦もカースタント、ワイヤーアクションもない本作の見どころは、非力な男が自分にできることだけで敵に立ち向かう健気さです。長らく続いてきた「強さ」の概念から離れ、「弱さ」がむしろ魅力になっている。そんな新たなヒーローを感じました。
主人公は、内気な性格で愛妻家のチャーリーヘラー。彼はCIA本部でサイバー捜査、情報分析官として働いています。ラングレー郊外の広い庭付きの家で美しく優しい妻、サラと平穏な日々を過ごしていましたが、ある日、サラがロンドンで無差別テロ事件に巻き込まれ殺されたことで、彼の人生は様変わりします。
テロリストへの復讐を決意したチャーリーは、上司の不正を発見し、これをネタにCIA教官ヘンダーソンによる短期特訓を取り付け、なんとかエージェントとしての基礎訓練を受けることに成功します。しかし、教官であるヘンダーソンに「お前に人は殺せない」と諭されてしまいます。職場であるCIAの協力も得られない中、チャーリーは彼ならではの方法でテロリストたちを追い詰めていきますが、サラが殺された事件の裏には驚くべき陰謀が潜んでいました・・・。
原作は今から約40年前に書かれたものであるため、米ソ冷戦下という背景がない現代という時代設定では物語の底を流れる緊張感がなく、スパイ映画の面白さが半減していたように思いました。ただ、テロ事件が発生したロンドンからパリ、そしてイスタンブール、マドリッド、モスクワとヨーロッパ全土をチャーリーがめぐる中で、複雑に絡み合った諜報機関やテロリストの思惑が明かされていく国際的な陰謀をめぐるサスペンスとしては面白かったです。
いわゆるスパイアクションの主人公には、ジェイソンボーンのように知力と戦闘能力に長けた者もいれば、ジェームズボンドやイーサンハントのように、歴史と伝統を築き上げスパイの代名詞のようなヒーローもいます。しかし、本作の主人公チャーリーヘラーはCIA職員ではあるけれども、暗殺はおろか現場での諜報活動は経験がなく、銃もナイフも格闘技もまったくの素人(アマチュア)。そんな彼の武器は、IQ170の頭脳と情報分析官としての経験、それにITスキル。
ストーリーはオーソドックスな復讐劇で、伏線も伏線とわかってしまう展開。派手な殴り合い、銃撃戦もカースタント、ワイヤーアクションもない本作の見どころは、非力な男が自分にできることだけで敵に立ち向かう健気さです。長らく続いてきた「強さ」の概念から離れ、「弱さ」がむしろ魅力になっている。そんな新たなヒーローを感じました。
主人公は、内気な性格で愛妻家のチャーリーヘラー。彼はCIA本部でサイバー捜査、情報分析官として働いています。ラングレー郊外の広い庭付きの家で美しく優しい妻、サラと平穏な日々を過ごしていましたが、ある日、サラがロンドンで無差別テロ事件に巻き込まれ殺されたことで、彼の人生は様変わりします。
テロリストへの復讐を決意したチャーリーは、上司の不正を発見し、これをネタにCIA教官ヘンダーソンによる短期特訓を取り付け、なんとかエージェントとしての基礎訓練を受けることに成功します。しかし、教官であるヘンダーソンに「お前に人は殺せない」と諭されてしまいます。職場であるCIAの協力も得られない中、チャーリーは彼ならではの方法でテロリストたちを追い詰めていきますが、サラが殺された事件の裏には驚くべき陰謀が潜んでいました・・・。
原作は今から約40年前に書かれたものであるため、米ソ冷戦下という背景がない現代という時代設定では物語の底を流れる緊張感がなく、スパイ映画の面白さが半減していたように思いました。ただ、テロ事件が発生したロンドンからパリ、そしてイスタンブール、マドリッド、モスクワとヨーロッパ全土をチャーリーがめぐる中で、複雑に絡み合った諜報機関やテロリストの思惑が明かされていく国際的な陰謀をめぐるサスペンスとしては面白かったです。