2013年4月、5月、6月分の日記です。
2013年4月1日 月曜日
医者に殺されない47の心得の本
日常診療の中で感じる医療に対する思いや、患者さんに対する思い、あるいは自身の病気に対する思いなどをブログという形で発信している現役医師や患者さんはかなりの数おられます。
仕事に忙殺される勤務医でありながら、また、辛い闘病生活の中からアップされてくる内容はとても密度が濃く、伝えたいという情熱が胸に迫ってきます。
私は現役勤務医のブログを二つと、すい臓がん患者さんの闘病記ブログを読んでいますが、当然のことながらリアルタイムで届く生の声です。
ご自身が直腸がんで人工肛門となられ、再発をした現在も日常診療を継続されている泌尿器科医。
患者さんと一緒に医療の質を高めていくことを目的に「がん患者共同勉強会」を主催されている腫瘍内科医。
余命1年を告知され、標準治療に代替医療、民間療法と、あらゆる治療法を試し40代の若さで散っていった、すい臓がんの患者さん。
腫瘍内科医、がん患者となった泌尿器科医、すい臓がんの患者さん、いずれも私より若い人たちですが、それぞれの立ち位置から見える景色を見比べると、現代医療の中で悩みながら、迷いながら、懸命に生きている人の生の姿が立体的に見えてきます。
これに対して商業出版の分野では、現代医療のあり方に対するアンチテーゼを書いて、ベストセラーを連発している現役医師も出てきています。
なかでも慶應義塾大学医学部講師の近藤誠先生は、1996年に刊行された「患者よがんと闘うな」が大きな波紋を呼び、以来、文藝春秋2011年1月号に掲載された「抗がん剤は効かない」や、今回ご紹介する最新刊「医者に殺されない47の心得」まで、現代医療のあり方に対するアンチテーゼを唱える代表格であり続けています。
「医者に殺されない47の心得」の内容をまとめると、医療が介入することの害と、医療をいかに使わずに元気に長生きするかを「心得」として解説しており、「医者によく行く人ほど、早死にする」「がん検診は、やればやるほど死者を増やす」など、これまでの常識が覆るような「心得」が多く並び、無駄に苦しむだけのがん治療や医原性疾患、悲惨な医療死から身を守るために、「自分で調べて考えること」を説いています。
果たして一般読者は、この心得を肯定するか、否定するか、はたまた「ホンマでっか?」というスタンスで軽く受け流すにとどまるのか。
前出の「がん患者共同勉強会」を主催されている腫瘍内科の先生はブログで、近藤先生のがん治療に対する考え方に、とてもていねいな反論を展開されています。ただ、ある程度、医学について知識がないと理解するのがむずかしいという点で、近藤先生の物言いのような分かりやすさはありませんが、医師として誠実であることが伝わってきます。
患者さんが救われるのは、近藤先生の主張されることなのか、腫瘍内科の先生が反論されていることなのか、私の知識の範囲では判断がつきかねますが、医療は医療者と患者の関係性の中で成立するものですから、まず、お互いを信用することから始めるべきではないでしょうか。最初から疑ってかかるような態度では、満足できる治療は望めないと思います。

2013年4月11日 木曜日
ナマケモノに意義があるの本
池田清彦さんの著書「ナマケモノに意義がある」を読みました。
いつも笑顔で親しみのある語り口が人気で、テレビのバラエティ番組にも出演されている池田さんは生物学者です。
本書は、幸せになるためには、人が作り出した既成概念を取り払ってみることも時には必要であることを気づかせてくれる、生物学的幸福論とも呼べる内容になっています。
世間は働くことに生きがいを見出せ、喜びを見出せとあおるが、本当にそれで幸せになれるのか。働くことに生きがいも喜びも見出せない人は努力が足りないか、能力が足りない欠陥人間だという既成概念があるが、それはフィクションである。仕事を通して自己実現するというのは、すべての人に当てはまる命題ではないと池田さんは主張されます。
映画「モダンタイムス」では、現代文明の中で人間の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世界をチャップリンが笑いで表現してみせてくれましたが、生物学者からみても、現代は相当いびつな世界であるようです。
自己啓発もいいけれど、人生に生きる意味なんて本来は無くてもよく、楽しいことがあれば、それが幸せというものではないか。生物学が教える幸福論は楽しく優しかったです。

2013年4月18日 木曜日
柳観音
JR信越線、来迎寺駅前に安置されている観自在菩薩様は、かつて柳の老木のほこらにあったことから柳観音といわれ地域の人たちに親しまれています。
もともと、この菩薩様は旧和島村の妙徳寺におられましたが、住職の夢枕に立たれ、来迎寺に安置するようにとの啓示があったことから現在の場所に来られたという所以があります。
菩薩像は王朝時代のものといわれ、毎年7月17日にお祭りが行われていましたが、現在は行われていません。
実はこの祭りの日は私の誕生日で、何かの縁を感じます。菩薩様のようにはなれないけれど、近づく努力はしようと思います。

2013年4月21日 日曜日
自由訳、般若心経の本
新井満さんの著書「自由訳 般若心経」を読みました。
般若心経は私のように特別な信仰を持たない日本人にも広く親しまれている有名なお経で、読み解くためのテキストまで出版されています。しかし、これは日本だけに限ったことのようで、海外ではそれほど知られていないようです。
なぜ、日本人はこれほど般若心経に魅了されるのか、とても興味深いものがあります。
さて、今回ご紹介する新井満さんの著書「自由訳 般若心経」はタイトルに自由訳とあるように、普遍的な般若心経の意味や本質を追求したものではなく、新井さん個人の解釈による般若心経の現代語訳です。
作詞家でもある新井さんの現代語訳はとても美しく、「空」とは命の連鎖であり、すべての命には意味があるのだと解きます。
私は、お釈迦様が創始された仏教がニュートン物理学などの古典物理学だとすれば、般若心経に代表される現在の大乗仏教は相対性理論以降の現代物理学と例えると分かりやすく、空とは宇宙の外側までおよぶ、人類が知ることはできない法則のことではないかと思えるのです。だとすると、すべての生死も法則に基づくものであり、すべての生死には意味があることになる。つまり、新井さんの解く空と同じだといえるのではないか・・・。
般若心経を体得するのは、まだまだ先のことになりそうです(笑)

2013年4月28日 日曜日
パイプオルガン
新潟市民芸術文化会館のコンサートホールで開催された音楽祭、ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。
ラ・フォル・ジュルネはクラッシックを気軽に楽しむ目的で、新潟市の姉妹都市であるフランスの港町ナントで生まれた音楽祭です。新潟市でも2010年より毎年この時期に開催されるようになりました。
今年のテーマはモーツァルトで、フルートとハープのための協奏曲ハ長調、クラリネット協奏曲イ長調ほかを、フルートにジュリエットユレル、ハープに吉野直子、クラリネットにラファエルセヴェールという世界的なプレーヤーの演奏で聴くことができました。また、オーヴェルニュ室内管弦楽団も素晴らしく、まさに新しい命が芽吹くこの季節にぴったりの、みずみずしい音の粒がはじけるような演奏でした。
モーツァルトといえば七夕で歌う「きらきら星」や、「トルコ行進曲」を連想する方も多いと思いますが、明るく、おだやかなモーツァルトの調べは、心をほぐす効果があるようです。

2013年5月1日 水曜日
ロングブレスダイエットの本
禁煙して2年7ヶ月が経過しました。開始から半年で約7キロ増えた体重は一向に元に戻る気配はなく、そろそろ何とかしたいと思っていたところに、美木良介さんのロングブレスダイエットというDVD付の書籍と出会いました。
喫煙者は分かると思いますが、満腹になると必ず吸いたくなるし、間食をしても吸いたくなるので、禁煙開始から半年くらいは、満腹にならないように、吸いたくなったらノンカロリーのミントタブレットと炭酸水を口に含むだけで、間食は一切していませんでした。 なので、禁煙開始から半年くらいのカロリー摂取量は、禁煙前に比べ減っていたはずです。それでも体重が増加したのは、加齢とともに落ちる基礎代謝量も関係しているとは思いますが、タバコの有害性の証明になるでしょう。
さて、DVDを観ながら基礎的なロングブレスの姿勢と呼吸法を実践してみた感想ですが、激しい動きは一切なく、ムリなくついていけるくらいの運動量なので、私のような中高年には向いています。
普段、膝や腰が痛いという患者さんに、エラそうに減量の必要性を話していますが、私は身長175センチですから医学的標準値であるBMI22で計算すると、体重は67.3キロです。理想的には10キロ以上の減量が必要ですが、果たしてどこまで頑張れるか。正念場ですね(笑)

2013年5月5日 日曜日
映画「藁の盾」チラシ
三池崇史監督作品、映画「藁の盾」を観ました。 原作は木内一裕さんの同名小説です。最初から最後まで息つく暇がないサスペンスアクションの傑作で、正義とは何かを激しく問いかける奥の深さも併せ持っている作品です。
自分の性的欲求を満たすために、幼女二人を暴行したうえ惨殺し、下水に捨てた絶対悪ともいえる容疑者を、SPは自分を犠牲にしてまで守るのか、それとも、自分の同僚や国民が下す“容疑者を殺すという正義”を見て見ぬふりをするのか。凶悪殺人犯を守るという任務を与えられた人間が、その盾になれるかを問うことで、人間の良識を推しはかるという厳しい表現に圧倒されました。
近親者を殺された悲しみを、殺した人間を同じように殺すことで癒すことは、きっとできないことのように思えるし、それは罪を犯すことであり、正義ではないと思います。マイケルサンデル教授なら、この作品を観てどういう感想を述べるか、ぜひ、聞いてみたいものです。
私が子供の頃は「死んでお詫びする」という言葉がありました。それが今は「お前が死んでいくらになるんだよバカヤロー」というくらい命は軽いものになっています。この作品のキャッチコピーは「この男を殺してください。御礼に10億円差し上げます」でしたが、凶悪殺人犯の命に10億円の価値があるという設定が、そんな現代を皮肉っているようにも感じました。

2013年5月8日 水曜日
セブンコーヒー
うちの近所のセブンイレブンでも、いれたてコーヒーの販売「セブンカフェ」が始まりました。
レジでお金を払うとカップを渡されるので、レジのとなりに設置してある、セブンイレブンオリジナルのコーヒーマシンに自分でセットして、ボタンを押します。すると、コーヒー豆を挽き、蒸らし、抽出まで待つこと約45秒。いい香りの、いれたてコーヒーのできあがりです。
ここで私が注目したのは、コーヒーマシンのインターフェースです。黒いパネルに白く大きな表示のボタンは、コントラストがよくて見やすく、押しやすい形状で、視力の弱い人や高齢者でも使えるように、よく考えられていて好感が持てました。
ホットはレギュラーで100円、ラージだと150円。アイスはレギュラーで100円、ラージだと180円です。
味はマクドナルドのコーヒーと同じレベルでしょうか。それでも缶コーヒーが120円ですから、こちらを飲んだほうがお得感があります。それに、お店に入った時にコーヒーの香りがするのは、とてもいいものです。

2013年5月18日 土曜日 Part1
理学療法学会会場
第62回理学療法学会に出席しました。
東京駅から丸の内線、半蔵門線を乗り継いで学会会場のある神保町駅に降りました。長岡では使えないSuicaが東京では使えて、ケータイで地下鉄に乗れるのは便利です。
今回の学会は日本におけるリハビリテーションの考え方の移り変わりや、確立された治療技術の確認と、新しい治療技術の学習を一度にできるプログラム構成で、中でも次の3つの演題を楽しみにしていました。
国立障害者リハビリテーションセンター総長、江藤文夫先生による「リハビリテーションと運動」
整形外科医の松本不二生先生による「軟部組織に対する評価と治療」
理学療法士の赤羽秀徳さんによる「腰痛の自己管理を目指した評価とアプローチ」
江藤先生の演題は、1950年代に医療で使われるようになったリハビリテーションという言葉の定義の確認から始まり、病気の治療を目的として、日常生活における活動性を改善するための運動の意義を、疾患の重症度を分類するツールとしてのスケールの適応。人口の高齢化と慢性疾患の相対的増加に伴う、活動の制限を最小限にするトリートメントの重要性。ヒト特有の二足起立歩行を考える時に運動器だけではない複合的な生物活動としてLocomotionを捉えることの重要性に分けて解説し、高齢化社会においては、生活機能の低下を予防する手法として、歩行を主とした各種運動が位置づけられ注目されているけれども、多様な健康状態における特異的な運動の意義に対するエビデンスの蓄積は、まだ不十分であると締めくくられました。
これまでWHOが推奨してきたような医療モデルの限界を示唆するかのような江藤先生の講演は、医療者より患者のほうが共感するのではないかと思えました。

2013年5月18日 土曜日 Part2
はとバス車内からの風景
写真は、はとバスの車両「はとまるくん」の車内から撮った、東京駅丸の内南口はとバス乗り場の様子です。今回の学会は東京開催ということで、夜の懇親会はパスして「はとバス」を初体験しました。
ほぼ満員のバスは午後6時40分に丸の内を出発して、銀座を抜け、レインボーブリッジを渡り、お台場で1時間の自由行動。帰りは隅田川沿いを東京スカイツリーのライトアップを楽しみながら東京ゲートブリッジを渡り、午後9時に丸の内に帰るというコースでした。寒くはない夜の海風の中を、キレイなバスガイドさんが持つ黄色い旗の後をついて歩くのはなんだか楽しくて、なぜか癒されました。
お台場の自由散策では、駆け足でダイバーシティ東京、アクアシティをまわりましたが、どちらもショッピングとアミューズメントが複合した商業ビルで、キラキラしてはいますが、オジサンを感動させるほどのものではありませんでした。
地下鉄で丸の内から大手町まで行き、駅からホテルまで歩く途中、首都高の高架橋の下に、いくつかのダンボールハウスがあることに気づきました。今日は快適なホテルの部屋で眠れるけれど、それはちょっと運がいいだけだど思うと、覚えたての般若心経を小声で唱えながら、そこで休む人の無事を祈らずにはいられませんでした。

2013年5月19日 日曜日 Part1
スライド画像
「この写真の所見をお願いできますか?」と、最前列中央で聴いていた私に、講師が1枚のX線のスライドを指したところから第62回理学療法学会分科会「腰痛の自己管理を目指した評価とアプローチ」は始まりました。
私は「L4L5の間が狭く、椎間孔の狭窄があります」と所見を述べましたが、実はこの写真、講師で理学療法士の赤羽秀徳さんご自身のものでした。若い頃より腰痛でずいぶん悩まれ、それをきっかけにRobin Anthony McKenzie先生が提唱する腰痛の理学療法を学ばれたのだそうです。
原因を医学的に特定できる腰痛は全体の15パーセントほどしかなく、近年の研究では腰痛を、生物・心理・社会的疼痛症候群として捉えることが一般的になりつつあります。つまり非特異的腰痛の治療に関しては、診断名や画像所見だけにとらわれ過ぎないで、アプローチしていくことも重要であるということです。
赤羽さんはこれを踏まえて、患者さん自身が自己管理できるように、、McKenzie法を基礎にした日常生活の姿勢、動作に着目して評価、アプローチする方法について研究されました。
運動方向により症状に差が生じることは、患者さん自身にも実感として分かっていただけると思います。そこに早く的確にガイドできることも医療に求められることだと感じました。
私も含めて、X線やエコー画像など、いわゆる客観的なデータに頼る人は多いと思いますが、少なくとも腰痛に関しては参考程度にとどめるべきかも知れません。

整形外科医の松本不二生先生による「軟部組織に対する評価と治療」は今学会で最も楽しみにしていた演題です。
私も理学療法の一つとして、いわゆる軟部組織に対する手技療法(患者さんからみるとマッサージ)を使います。主に使う技術は関節モビリゼーションとストレッチです。
手技療法における最大の問題点は評価法が各手技療法によってバラバラであることです。松本先生はこの問題を整形外科的、リハビリテーション学的評価方法をベースに、日常診療の中であっても的確な評価、治療ができるActive Soft Tissue Releaseという独自の方法を開発されました。
各論的にはどうしても専門的になるのでここでは紹介しませんが、松本先生が最後に述べられた、評価は仮説であることを忘れてはいけない。そして治療効果で検証することが大切である。私は手技療法を取り入れることで、重大な病気を見逃さなくなり、無駄な薬、無駄な検査がなくなったという言葉が印象に残りました。

2013年5月19日 日曜日 Part2
東京スカイツリー正面入り口
学会は3時に終了し、半蔵門線で神保町から押上まで約20分、東京スカイツリーに着きました。
土曜日のはとバス同様、ネットで展望シャトルのチケットは予約してあったので、まず、荷物をコインロッカーに入れて身軽になって、東京ソラマチを散策してみました。開業1周年の記念イベント中ということもあって、どこのお店も行列ができており、私も明治製菓が出店している100パーセントチョコレートカフェというお店に並んで、チョコロネとアイスコーヒーをおやつに食べました。ヘーゼルナッツがアクセントの甘すぎないチョコロネはアイスコーヒーと相性がよく、美味しかったです。
スカイツリーから沈む夕陽を眺めたいと思い、午後5時に展望シャトルを予約しておいたのですが、この日は今にも泣きだしそうな空模様で、それは叶いませんでした。
地上450メートルの展望回廊から見る景色は絶景ではあるけれど、一面の灰色に鉄のクサビを沢山打ち込んだような景色は美しくはなく、解剖学者の養老孟司さんがいう「脳化社会」を改めて思いました。これが行きつく先はどんな未来なんでしょうか。
展望デッキを降り、夕食に東京ソラマチでキムチがたっぷりの盛岡レーメンを食べ、午後7時20分発の東京駅日本橋口行のシャトルバスに乗り込みました。

2013年5月31日 金曜日
カットしたギプス
今日は9才の男の子の前腕骨骨折の最終的なギプスカットをしました。
自転車でころんで、お母さんと一緒に来た時には、泣きべそかいていた子が、今日は笑顔で帰っていきました。
患者さんが治るのは患者さん自身の力であって、私の治療が良かったからではありません。それでも、治ったことを一緒によろこべるのは、なんと幸せなことなのかと思います。

2013年6月2日 日曜日
映画くちづけのチラシ
堤幸彦監督作品「くちづけ」を観ました。 エンドロールが終わっても、涙があふれて席を立てない作品でした。
貫地谷しほりさんが演じる主人公マコちゃんの笑顔で思い出した一冊の本があります。
1975年に出版された横塚晃一さんの不朽の名著「母よ!殺すな」は2007年に復刊され、現在も読む人を圧倒します。
1970年、2人の重度の脳性小児マヒの子どもを抱えたお母さんが、2歳の下の子を殺してしまいます。お母さんは脳性小児マヒの子どもに対し、「この子は治らない。こんな姿で生きているよりも、死んだ方が幸せなのだ」と思ったといいます。
この事件に対して世間は同情を寄せ、子どもを殺してしまった母親への「減刑嘆願運動」が起きました。
それに対して、脳性小児マヒの人たちの団体「青い芝の会」が「殺されてもやむを得ないのなら、殺された側の人権はどうなる」と、「殺される側」から声を上げました。それはまさに障害をもつ人たちの「生存権」を賭けた問いかけであり、闘いであり、その中心にいたのが横塚晃一さんでした。
「母よ!殺すな」こんな言葉を使わなければいけない現実は、世の中は、あまりにも辛く、悲しいです。
この映画は涙で終わりましたが、みんなが幸せになるために「共生」という問題を考えるきっかけになればいいと思います。
ぜひ、音声アシスト、字幕付き映画にして、たくさんの人に観賞してもらいたい作品です。

2013年6月9日 日曜日
初代仮面ライダー
新潟市新津美術館で開催されている「仮面ライダーアート展」に行ってきました。
1971年に誕生してから40年以上を経過しても、今尚ヒーローとして世代を超えて親しまれている仮面ライダー。今回のアート展では歴代ライダーの等身大の立像や撮影に使われたバイク、仮面ライダーの歴史を追ったスチール写真、原作者の石ノ森章太郎さんの原画の展示など、仮面ライダーの世界が立体的に楽しめる展覧会でした。
私にとっての仮面ライダーは1号、2号、V3までで、それ以降のライダーは名前すら知りません。でも、 ダントツカッコイイのは写真の初代仮面ライダーだと思います。

2013年6月14日 金曜日
週刊朝日の表紙
週刊朝日6月21日号に、「徹底検証、近藤誠、医者に殺されない47の心得の真実」という特集記事が掲載されています。
慶應義塾大学医学部講師の近藤誠先生の著書「医者に殺されない47の心得」は4月1日のこのコーナーでも紹介しましたが、この記事では、現役のがん専門医と近藤先生の誌上討論が行われており、科学的根拠(エビデンス)と医療情報の信頼性の解説から始まり、今回は抗がん剤について近藤先生の主張を検証する内容になっています。ただ、がん専門医は正否という対立軸でコメントしているわけでなく、医療情報を読み解く上での注意点を解説しているというスタンスです。
なので、タイトルだけ読んで近藤先生の理論がウソなのかホントなのか、そこのところを知りたいという読者は多いと思いますが、その声には答えていません。
次号では「がんを放置しても痛まない」「がん検診は無効」という近藤先生の主張を検証する内容で、第2弾が掲載されるそうなので読んでみるつもりです。

2013年6月20日 木曜日
週刊朝日の表紙
現在ベストセラーになっている放射線科医の近藤誠先生の著書「医者に殺されない47の心得」を検証する特集記事が、週刊朝日6月21日、28日号の2週にわたり掲載されました。
28日号では「がん検診はいらない」「がんは放置しても楽に死ねる」という近藤先生の理論を、がん専門医の見解を基に検証する内容でした。
結論は、近藤先生の理論はいちがいに間違っているとは言えないが、極端な物言いは患者に誤解を与えるかも知れない。患者も努力して、納得して、自己責任で治療を受けるか、受けないかを決めなければならないというものでした。
近藤先生は、自分の著書は一般向けに分かりやすく書いたと述べておられますが、本当の意味で、がんを理解し、現在のがん治療が認識できる患者さんは多くはないと思います。でも、それは当たり前のことです。
指示通りに苦しい検査や治療を頑張ってきたのに、治療前より症状が悪化してしまった時などに、それでも納得できる主治医との関係をつくることが患者にとっては大切なことではないでしょうか。

2013年6月22日 土曜日
現代語訳般若心経の本
僧侶で作家の玄侑宗久さんの著書「現代語訳般若心経」を読みました。
人はどうしたら、あらゆる苦しみから解放され、自由になれるのでしょうか。
私たちは生まれて成長するにしたがい、世界を言葉によって認識し、概念を動員して理解しようとします。それは人間社会で生きる以上、不可欠なものかも知れませんが、それが不安や苦しみの根源であると仏教は教えています。
玄侑宗久さんは、般若心経にはそうした合理的知性を超えた、もうひとつの「知」が凝縮されており、全体性の中に溶け込んだ、おおいなる命のよろこびを取り戻すために般若心経はあるのであって、理解ではなく体得すること、そのためには唱えることが重要であると説きます。
私たちは、世界は合理的に解釈されるべきであると教育されてきました。けれど、その合理性が推し進めた科学は、私たちを本当に幸せにしてくれているでしょうか。物理学の世界では原子力がプロメテウスの罠であったように、医学の世界ではiPS細胞や遺伝子解析がパンドラの箱になりはしないでしょうか。
医学が持つ救いの力とは別の、救いの力、それは見えないけれど、それを信じたい。そう思います。

2013年6月23日 日曜日
スライド
2013年6月22日、23日の二日間にわたり、チサンホテルコンファレンスセンター新潟、新潟大学駅南キャンパス「ときめいと」において開催された、視覚障害リハビリテーション協会主催、新潟ロービジョン研究会2013共催「第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会」を見学しました。以下は23日の市民公開講座、理化学研究所の高橋政代先生の演題「iPS細胞を用いた網膜再生医療」の感想です。
iPS細胞の臨床応用には慎重論を唱える科学者も多く、その声に高橋先生はどう答えるのか、ここが一番の聴きどころだと思っていました。実際、基礎から臨床に至る過程をていねいに解説し、一般の眼科診療におけるリスクと同レベルまでに技術は完成していることを客観的に説明され、臨床応用の安全性には自信をもっておられることが分かったことは、よかったです。ただ、ここまでなら、NHKのクローズアップ現代レベルの話です。しかし、本当の聴きどころは、もうひとつ別なところにありました。
高橋先生は講演の冒頭、網膜再生医療に向く患者さんの条件として、病気の状態を知り、受け入れている。できることを知っている。環境を自分に合わせて変化させることができる人。いわば上級視覚障害者であると述べられました。そして、上級視覚障害者になるためにはリハビリテーション(眼科医療ではロービジョンケア)が必要であり、先端医療はリハビリテーションなしでは成立しないとも述べられました。
リハビリテーションについて知識のない市民の方には、意味が分からなかったかも知れません。しかし、講演の後半、再生医療で患者さんが幸せになるためには「健全なあきらめ」も大切であるというくだりで、先端医療とリハビリテーションの関係性がなんとなく分かったのではないかと思います。
再生医療は今まで変えられなかった自然の摂理に人間の智慧が勇気をもって取り組む営みであり、それをしても変えられない運命があることを社会一般が広く理解することが大切で、変わるものを変えようとする勇気、変わらないものを受け入れる寛容さ、そしてそのふたつを取り違えない英知が、健全なあきらめであると高橋先生は語られました。それは、視覚障害を肯定すること、疾患がなおらねばならない、見えなければならないという見方を変えることも、必要なことであるということです。
「健全なあきらめ」やさしく、深い言葉です。この言葉こそ、一番の聴きどころでした。
もうすぐ始まる臨床試験では、安全性をはじめとした課題をしっかり検証され、次のステップへとつなげてほしいと思います。

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