2014年7月、8月、9月分の日記です
2014年7月3日 木曜日
嗤う名医の本
久坂部羊さんの短編小説集「嗤う名医」を読みました。嗤う(わらう)とは、嘲笑という意味ですから、嘲笑する名医ですね。では名医は誰を嘲笑っているのか?・・・。タイトルだけで面白うそうで思わずレジに直行してしまいましたが、文句なく面白かったです。
嫁の介護に不満を持つ老人を描いた「寝たきりの殺意」。子供の頃から不運続き、不幸続きで、せめて胸を大きくしたいという願いの果て、豊胸手術に失敗した女性を描いた「シリコン」。治療には一切の妥協を許さず、患者にもスタッフにも厳しい天才的外科医を描いた至高の名医。頭蓋骨フェチの解剖学教室助手が、自分のコレクションとして本物の頭蓋骨を欲しいという衝動に駆られる「愛ドクロ」。理想的な医師になりきろうとするがあまり、強いストレスを全て抱え込む循環器内科医を描いた「名医の微笑」。相手の嘘やごまかしを見抜ける特殊能力を持った内科医を描いた「嘘はキライ」。の6編が収録されています。
大阪大学卒の現役医師である著者が、患者も含め医療に携わる人間を、思い切り皮肉を交えて描いており、どれも、ちょっとブラックで、ショートショートのそれのようなオチがあるミステリーに仕上がっています。
医療の世界が舞台になっている文芸作品、映像作品は多いですが、2004年に公開された佐藤浩市さん主演の映画「感染」にも共通する、医療の影の部分を描くことで、医療とは人間のかかわりそのものであり、時に不気味に捻じ曲がることだってありえることを、嗤うという表現にしたのではないかと思いました。
これからの寝苦しい夜に、おすすめの一冊です。

2014年7月6日 日曜日 Part1
スライド画像
済生会新潟第二病院において開催された「第9回学問のすすめ講演会」に参加しました。
若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年より続いている勉強会です。
趣旨からすると私のような人間は遠慮して然るべきですが、主催者の厚情で参加を許されています。
今回は、東京大学眼科准教授の加藤聡先生、広島大学眼科教授の木内良明先生を講師に迎え、医学者としての歩みをベースに、学問をする姿勢はどうあるべきかを、現在の医学界にあるタイムリーな話題も織り交ぜながら講義していただきました。
私は、ジャーナリストの立花隆さんを真似て、スペシャリストの話を聴く時は礼儀として、少しでも内容が理解できるように、抄録を読みながら多少の勉強はしておくのですが、今回は私のレベルに下げて講義していただいたようで、とても分かりやすく、満足できる勉強会になりました。
加藤聡先生は現在の医学界を取り巻く問題への疑問点として、STAP細胞をはじめ、東大病院に関連した数々の事例も挙げながら、学問と業績の混同は許されないこと、ネガティブなデータにも価値があること、自分が知りたいことを調べ、それを世界に公表することが研究者として大切なことであって、無理やり結果を出すようなことはするべきではないと、ご自身が所属する組織を批判することもいとわず語っていただいて、研究者の真摯が伝わってきました。 臨床の最前線については、網膜光凝固という、現在では標準治療になっている技術も実は完成されたものではなく、まだまだ研究や教育の余地はあることを力説されたことが印象に残りました。 ロービジョンケアについては、同じ視機能でも変化により不自由さが異なり、限られた社会福祉資本の有効活用につながる評価方法の適正化が必要であるということでしたが、同じ視機能でも変化により不自由さが異なるとはどういうことか、もう少し詳しい解説が聞いてみたいと思いました。
加藤先生はイギリスの聖トーマス病院で研鑽を積まれた経験で、イギリスでは敬称のつけ方が難しく、Sir>Mr>Drを分かっていないと困るという話をされましたが、ロンドンでは酒場もパブとサロンに分かれていて、社会的階級で入れる店が違うことが暗黙の了解になっているという話を聞いたことがあり、もしかすると共通する文化があるのかと思いました。
木内良明先生は、私たちの使命は何かというところから、それを果たすには目標あるいは夢が必要で、興味があることを探求し、自身のポテンシャルを高めてほしいという若いドクターに向けたメッセージから講演を始められました。
緑内障を研究してこられた歩みや将来の展望を、実際の症例も交えながらの講義は臨場感があり、緑内障の病態を一般に知られている眼圧だけでなく、循環障害、薄い角膜、近視など眼球壁構造のの変化も含めて、視神経障害として扱う説明はとても分かりやすかったです。さらに、眼圧は日内変動しており、変動は光によって支配されていること、喫煙と網膜血管径の関係性では、10年の禁煙で血管径はほぼ元に戻るというデータは興味深く拝聴しました。

2014年7月6日 日曜日 Part2
コップのふち子
写真は、お金を入れてダイアルをガチャッと回すと、テニスボールより少し小さいくらいのプラスチックのカプセルに入ったキャラクター商品などが出てくる「ガチャ」で売られている「コップのフチ子」です。
たまたま新潟駅で見つけ、そういえばBSNラジオの朝の番組で、日経エンターテイメントという雑誌の編集長が、「コップのフチ子」というガチャで売られている商品が大ヒットしているという話をしていたことを思い出し、購入してみました。
この商品には「コップのフチに舞い降りた天使」というキャッチフレーズがついていますが、造形的にはもっとスタイルよく、可愛く作ることも可能であったはずで、そこをあえて、ごくふつうのOLさんにしたところが、妙に面白くて、なんだかホッとする感じにつながっており、男女問わず受け入れられたのではないでしょうか。
コップの一輪挿しに添えて、デスクの上に置いておけば、笑いも取れて周囲とのコミニュケーションも円滑になり、仕事もはかどるかも知れませんね(笑)
コップのフチ子、1個、200円です。

2014年7月20日 日曜日
法隆寺展ポスター
新潟県立近代美術館において開催されている「法隆寺、祈りとかたち展」を鑑賞しました。 私は仏教美術よりも、仏教の歴史という視点で興味があり、日本仏教の原点というべき法隆寺の魅力を存分に堪能しました。
国宝の地蔵菩薩立像をはじめ、重要文化財の阿弥陀如来坐像など、大乗仏教を象徴する聖者たちは威厳と柔和さがあり、私を含めて拝観している人の多くが手を合わせているところをみると、無宗教といわれる日本人の精神文化の中に、実は仏教というものが、深く根付いていることを改めて感じました。
美術館で働いている人の話によると、地蔵菩薩立像は、中越地震と東日本大震災の復興祈念ということで、長岡と仙台のみで展示されたのだそうです。

2014年7月26日 土曜日
手塚治虫のブッダと学ぶ、もう迷わない生き方の本
手塚治虫のマンガ「ブッダ」と原始仏典のダンマパダを題材に、仏教の教えを日常生活に生かせるように、やさしく解説した「手塚治虫のブッダと学ぶ、もう迷わない生き方」を読みました。
日本では、お葬式と、それに続く法事というセレモニーが仏教であり、生きている間よりも死んでからお世話になるというイメージが強いですが、本来は生まれてから死ぬまでの間に発生する苦しみから抜け出すにはどうしたらよいかを説いているのが仏教です。本書は、この仏教本来の姿を分かりやすく伝えています。
私が仏教を好きな理由は、仏教には超越的存在がないということです。法然、親鸞の浄土宗、浄土真宗のようにキリスト教に強い影響を受けて、救いの宗教に変容していったものもありますが、基本的には仏教は覚りの宗教であり、法と自身を信じることが全てです。他者に頼らなくても大丈夫であるというところが、これ以上の優しさはないと思えるのです。

2014年7月27日 日曜日
ハリウッド映画ゴジラのポスター
ハリウッド版ゴジラの2作目を観ました。スペクタクル映画となると、さすがハリウッドのお家芸で、CGのゴジラと分かっていても、着ぐるみのゴジラとはまた違う迫力に圧倒されました。
1954年(昭和29年)に初代ゴジラが登場してから60年。日本は再び核の脅威に飲み込まれ、それを封じ込める手立てもないままです。初代ゴジラは原子力の恐ろしさを象徴するものでしたが、日本に原子力発電所が増えるたびに、人間の味方のような描かれ方に変化してきたと思うのは私だけでしょうか。
監督のギャレス・エドワーズさんは、ゴジラが象徴しているのは、自然の脅威は誰にも止められないということ。これには僕たち人間には何もできない。銃弾やミサイルを撃ち込めば退治できるといった発想は、何の意味も持たないということです」と語っていますが、私は人が作り出した原子力という脅威の象徴がゴジラであると思います。 今もゴジラは福島で暴れまわり、私たちは近づくことさえできずにいます。

2014年7月31日 木曜日
にょろーり、うーなぎチョコパン
写真は現在セブンイレブンで販売されている「にょろーり、うーなぎチョコパン」税込み130円です。ネーミングの面白さに、思わず買ってしまいました。
ニホンウナギが2014年2月に環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)に掲載されたことが大きなニュースになりましたが、なにか関係性があるのでしょうか? それにしても商品のネーミングを「うなぎ」ではなく、なぜ「うーなぎ」にしたのか知りたいです(笑)
味はコッペパンにチョコをかけた想像通りの味です。パッケージの袋に貼られていた「本製品にうなぎは入っておりません」と書かれたシールは笑えました。

2014年8月3日 日曜日
フェニックス花火
長岡大花火大会を見物しました。毎年、信濃川の西側で観ていましたが、今年は気分を変えて東側で観ました。
平原綾香さんのジュピターと森民夫市長、姉妹都市のホノルル市長の挨拶で始まった、大花火と音楽のイリュージョンは例年にも増して素晴らしく、写真のフェニックス花火は5分を超える大作で、川幅を超えるスケールの大きさに圧倒されました。
月のウサギさんもこの日ばかりは、餅つきの手を休めて見物していました。あはは。
ちょうど土日に当たった今年の長岡花火は、二日間で100万人を超える人出となりました。ちなみに長岡市の人口は28万人です。
帰りの長岡駅では入場制限をしており、駅構内に入るための行列が、いつくもの折り返しでトグロをまいて、駅前広場と大手通は帰りの電車待ちの人で埋まり、おまけに、人身事故があったために、在来線は大幅な遅れがでて、改札の前でもスシ詰めの状態、汗ダラダラで待ち、結局22時8分の電車が1時間以上遅れて発車となりました。
あーあ、懲りたと思いながら、また、観たくなる。それが長岡大花火大会なのです。

2014年8月10日 日曜日
映画ドラえもんのチラシ
八木竜一、山崎貴の共同監督による映画「Stand by Me ドラえもん」を観ました。
86年公開の名作「Stand by Me」に通じる、少年が大人になっていく過程を、ドラえもんの時空を超える夢の世界観で描き、「何かができること」は大切なことではあるけれども、「他者の痛みが分かること、共感できること」はそれと同じくらい大切なことであることを、大人になって忘れてしまった、もしくは、忘れたフリをしている私たちに、鮮やかに気付かせてくれる作品でした。ただ、先日、ラジオで俳優のきたろうさんが、この作品で泣けた人には、どのシーンで泣けたのか聞いてみたいと言っていましたが、同感です。「いっしょにドラ泣きしません?」というキャッチ通りに泣けた人ってどれくらいいたのでしょうか。
夏に観るべきというか、ふさわしいと思う作品はいろいろありますが、「Stand by Me」も「ドラえもん」も夏の映画だと思います。私の夏に観る作品のおすすめは、北野武監督作品で「菊次郎の夏」です。この作品は人と人との距離感が絶妙なやさしい作品です。

2014年8月15日 金曜日
国営越後丘陵公園サマーイルミネーションの様子
国営越後丘陵公園において開催されている「サマーナイトプレゼンツ」を観てきました。この催しは「水と大地のつながり」をテーマに、園内を約40万球の発光ダイオードが、光の海、ライトアップされた音楽噴水などを、色とりどりのイルミネーションで幻想的に彩り、冬のイルミネーションとはまたちがった面持ちで楽しませてくれました。
噴水前の越の池レストハウスで「パスタランチボックス」という、スパゲッティナポリタンのセットを食べてみましたが、学校の給食の味がして、なんだかとても懐かしい気分になりました。

2014年8月24日 日曜日
映画クイメのポスター
三池崇史監督作品「喰女 クイメ」を観ました。 三池監督といえば2013年公開の「藁の楯」を、このコーナーでも絶賛しましたが、今回の作品も日本のホラー映画ベスト10には間違いなく入ると思います。
物語は、演劇「四谷怪談」のヒロインを演じる人気女優(柴咲コウ)が、売れない俳優の恋人(市川海老蔵)を相手役に指名したことをきっかけに、演劇の舞台と現実世界が錯そうし、男の背徳と、女の情念が入り乱れて惨劇につながっていく恐怖を描いています。
最近の日本のホラー映画は清水崇監督の「呪怨」に代表されるように、乾いた恐怖を描いたものが主流になっているようですが、道徳的に誰もが持つ後ろめたさのようなものを背景に、心理的に迫ってくる作品が私は好きです。今回の作品では舞台で使う赤ちゃんの人形や、日本髪のクシ、妊娠検査薬などが効果的に使われて、湿った恐怖の演出を堪能できました。
主演が市川海老蔵さんということで、観客は若い女性が多かったです。歌舞伎役者はモテるのが仕事といいますが、確かに男の私からみても海老蔵さんは水も滴るいい男で、ハマリ役だったと思います。

2014年9月7日 日曜日
五合庵の外観
私が敬愛する良寛禅師修行の地、五合庵に行って来ました。
大河津分水の北、国上山の中腹にある真言宗国上寺の敷地内に五合庵はあり、この地域は佐渡弥彦山国定公園の特別地域に指定されています。 駐車場のあるビジターセンターから国上寺に向け参道を行くと、ボケ封じガン封じ地蔵、やすらぎ観音をはじめ、数々の菩薩様が出迎えて下さいました。
本堂(阿弥陀堂)に着くと、源頼朝に追われる身となった義経が、弁慶と共に国上寺を訪れた際に寄進したといわれる大黒天像を、本尊として安置している六角堂、観音様の周囲を時計回りに三度巡ると幸せを授けて下さる幸せ観音、パワースポットになっている樹齢千年を超える大銀杏など、古から続く越後人の信仰心の厚さを感じさせる史跡を見ることができます。
五合庵はここから少し下った所にあり、禅師が亡くなられて183年、この日もゆく夏を惜しむかのような蝉しぐれの中、ひっそりとそこに有りました。私は御記帳に名前を書き、靴を脱ぎ、床の間で般若心経を唱えました。
焚くほどは 風が持てくる 落葉かな
この句は禅師が五合庵に入られて間もない頃、長岡藩主が城に入ってくれるよう頼みに来た時に、返事として詠んだものです。 米を炊く薪は落ち葉で十分である。つまり、自分は今の暮らしに満足しており、贅沢な暮らしは望まないという意味で、まさに、あらゆる執着から離れるという仏教の実践であったと思います。 こういう人でありたいと思える人が、自分の心の中にいるということは、なんと幸せなことだと五合庵で改めて思いました。
来た道を少し戻り、長さ124mの千眼堂吊り橋を渡り、朝日山展望台に登ると、はるか南の青空に守門岳、駒ヶ岳、八海山を望み、気持ちのいい秋風に吹かれ、最高の休日になりました。
同行してくれたタヌキさんに感謝感謝です。

2014年9月14日 日曜日
黒井健、絵本原画の世界展
新潟県立近代美術館で開催されている「黒井健、絵本原画の世界展、物語との出会い」を鑑賞しました。
黒井健さんは新潟出身で、日本を代表する絵本画家の一人です。代表作に「ごんぎつね」や、私の好きな「手ぶくろを買いに」などの名作童話があります。
黒井さんの描く絵は、物語によって同じ人が描いたとは思えないくらい作風が違いますが、絵の中を流れている暖かな空気感みたいなものは、どの作品を観ても感じました。
絵と文章が組み合わされた芸術といえば、絵本のほかにマンガや紙芝居もありますが、どれも優れた作品になると、その世界観に魅了されてしまうのは同じです。では、それぞれの違いとは何でしょうか?現代はスマートフォンやタブレット端末でマンガも読める時代になりましたが、絵本だけは紙でなければいけないような気がします。黒井さんは物語から絵を創造する時に、画材や紙も選定すると言っていますが、印刷して元の紙の質感が完全には伝わらなかったにせよ、液晶モニターよりも紙のほうがいいのは当然だと思います。

2014年9月25日 木曜日
真理のことばの本の表紙
NHK、Eテレで放送された「100分で名著ブッダ、真理のことば」のテキストを保存版として再編集した「真理のことば、ブッダ」を読みました。
生老病死という現実から目を背けることはできない、絶対的な苦悩を運命づけられている私たち人間が、それでも安らかに生きるにはどうすればいいのでしょうか?
ブッダ(お釈迦さま)は世界は原因と結果の因果則でしか動いていないことを悟り、苦しみを正しく受け入れることができるように「自分の心の在りよう」を変えていくことが、苦悩から解放される唯一の道であると説かれました。
本書はブッダの教えの中でも最も重要なものとして、世界中で愛読されている原始仏典ダンマパダ(真理のことば)をベースに、苦悩が生まれるメカニズムと苦悩から解放される方法を、やさしい言葉で解説しています。
仏教の面白いところは、この著者の佐々木閑さんもそうですが、養老孟司さんや、苫米地秀人さんなど、科学者の信奉者が多いということです。 この著書でも大阪大学教授の藤田一郎さんと著者が対談という形で科学と仏教の接点に触れていますが、科学と仏教は、その基本的な世界の観方において矛盾しないことが分かると思います。

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