2014年10月、11月、12月分の日記です
2014年10月3日 金曜日
おもちゃのカンヅメ
本年6月3日分の日記に、森永チョコボールの銀のエンゼルを5枚集めたというネタを書きましたが、それを指定の住所に送付したところ、おもちゃのカンヅメが届きました。内容は、
1.キョロちゃんパズル/スマートフォンのAR機能のあるアプリで完成したイラストを見ると、立体のキョロちゃんが踊って見えるそうです。(私はスマホを使っていないので試していません)
2.キョロちゃんシール/単にシールですね。
3.クエクエホイッスル/振ると音がします。
4.スポンジボール/やわらかいスポンジボールです。
これらが写真のお弁当箱のような容器に入っていました。私としては本物の「カンヅメ」ではなくて、がっかりしました。
そうそう、おもちゃのカンヅメといえば、昔、学校のOB会でのこと、とある温泉街の怪しい店に「おとなのオモチャのカンヅメ」というのが売っており、みんなで冗談で買って大笑いした後、処分に困って、既婚の先輩のカバンの底にカンヅメの中身だけを隠したのを思い出しました。あはは。
さて、それにしてもコレをどうするか、ホームページのネタという役目は終わったし。

2014年10月8日 水曜日
Webカメラ
三人の日本人物理学者が青色発光ダイオードの開発で、2014年度のノーベル物理学賞を受賞したニュースが世界中を駆け巡ったこの日、済生会新潟第二病院で神経眼科がご専門の若倉雅登先生の講演を聴講しました。
若倉先生は医師であると同時に作家でもあり、本年1月分のこのコーナーで、若倉先生の著書「絶望からはじまる患者力、視覚障害を超えて」を紹介しています。
眼科と神経眼科の違いは、眼科が主に眼球とその病変を探し、検査データを第一に考えて診療に当たるのに対し、神経眼科は視覚を眼球と脳の共同作業であるという機能的な観点からとらえ、患者さんの愁訴を重視した診療をするのだそうです。
眼に起こる不定愁訴は原因が分かれば、多くは眼科で治療が可能です。しかし、これまで原因が特定できないで、治療が困難であると思われていた症状に、若倉先生をはじめとする研究者が、半世紀に及ぶ研究で原因をつきとめ、治療法を確立し、神経眼科から一般眼科にも知られるようになった経緯には感動しました。また、医師が求める医療と、患者が求める医療の違いでは若倉先生は意識の違いとして解説されましたが、私は、普遍性、客観性の上に成り立つ医学の世界に住む科学者である医師のもとを、主観でしか自分を語れない患者が訪れる、つまり、医師と患者の関係性は異文化コミニュケーションという面を持っており、ゆえに、お互いに善意ではあるけれども、時に悲しいすれ違いをしてしまうことがあるのだと思います。
写真はインターネット配信用のWebカメラです。この勉強会は新潟大学福祉人間工学科の協力でUSTREAMを使ったライブ配信があり、どなたでも視聴できます。
病院の玄関を出ると、モンブランケーキのてっぺんにのった栗だけが光っているような皆既月食の月が、東の秋空に浮かんでいました。

2014年10月12日 日曜日
映画「ふしぎな岬の物語」のパンフレット
成島出(なるしまいずる)監督作品「ふしぎな岬の物語」を観ました。一言で言えば大人のメルヘンでした。
この映画が公開される2週間前、2013年に放送されて大きな反響があったNHKスペシャルのシリーズ企画「老人漂流社会」の続編「老後破産の現実」が放送されました。社会のほころびが深刻化している現実を突きつけられ、明日は我が身を思うと、いたたまれない気持ちになりました。「老人漂流社会」は、2010年に放送されたNHKスペシャルのシリーズ企画「無縁社会」とリンクして、私たちの生き方に対する選択の結果が無縁社会であり、それが老人漂流、孤独死という具体的な形で表れてきていることを物語っていたと思います。
人生に、いろいろな問題を抱えながら集う人々を「大丈夫、大丈夫」と背中を抱いてくれる、温かくやさしい、ふしぎな岬やムーミン谷は現実には存在しません。だからこそメルヘンです。けれど、もし、無縁社会ではなく、ふしぎな岬に住みたいと願うなら、まず、自分以外の他者に対して寛容であることを忘れてはいけないと、この作品を観て、涙を拭きながら思いました。
この日は一緒に観て感想を聞かせてくれるタヌキさんがいてくれたので、よかったです。タヌキさんはいつも私に寛容です。
物語を暖かく優しく包んで奏でられる、村治佳織のギターの音色もこころに残りました。

2014年10月13日 月曜日
ダイアログインザダークの入り口の様子
暗闇のソーシャルエンターテイメント「DIALOG IN THE DARK]を体験しました。
ダイアログインザダークを簡単に説明すると、参加者は完全に光を遮断した空間の中へ少人数のグループを組んで入り、アテンドと呼ばれる視覚障害者のサポートのもと、暗闇の中を探索し、さまざまなシーンを体験します。この過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、暗闇の中で対話することにより他者とのコミニュケーションの大切さ、人の温かさを思い出すことができるというプログラムです。 このイベントは1988年にドイツで哲学者アンドレアス・ハイネッケ博士の発案によって生まれ、現在、世界30カ国、130の都市で開催されるまでになりました。日本では1999年から開催されています。

この日は、中心気圧930ヘクトパスカルという強力な台風19号が九州に上陸し、時速25キロの速さで関東に接近しているという状況でした。都内も夕方には暴風圏に入るということだったので、午後5時20分開催の回に予約していた私は参加の断念も考えましたが、台風の接近には、まだ余裕があると判断し、強行しました。

東京駅から丸ノ内線、銀座線と乗り継いで外苑前で降り、雨の中、5分ほど歩いたところにダイアログインザダークはありました。
受付で身分証明書を提示して、参加前の簡単なオリエンテーションを受け、開始までの間、壁際に飾ってあるノベルティグッズなどを眺めながら過ごしました。(画像参照)この部屋は急激な明るさの変化を避けるためなのか意図的に照明を暗くしてあり、かすかに流れるフォークダンスの曲「ジェンカ」が、これから体験する異空間の始まりを演出しているようでした。でも、なぜ「ジェンカ」なのか。ダイアログインザダークでは季節によってテーマが変わり、今回は「秋の真っ暗運動会」ということで、小学校の運動会でお馴染みのこの曲が選ばれていたようです。ちなみに、入場門、退場門と書かれた暗闇空間への入口と出口や、国旗のディスプレイも同じ理由のようでした。(画像参照)

ダイアログインザダークは視覚障害者の雇用の場としても注目されており、ダイアログインザダークの日本法人では、東京と大阪で現在25名の視覚障害者が契約社員として在籍し、全盲者は5名ということでした。
光を遮断された環境の中では、晴眼者がサポートされる立場になります。障害とは身体にあるのではなく社会との関係性にあり、それは環境が変われば相対的に変わることを、ダイアログインザダークは教えてくれます。

「5時20分入場の方は、こちらに集まって下さい」というアナウンスで、私を含む男性4名、女性4名が入場門の前に集まりました。
今回は一人参加限定(一期一会ユニット)ということで、何の面識もない8人が選手になって「秋の真っ暗運動会」のスタートです。
入場門を開けると、まだ、わずかな明かりが灯る狭い部屋に2名のアテンドさんが待っていました。
ここで、私たちは暗闇空間で使う自分に合った長さの白杖(はくじょう)を選び、アテンドさんから、高い位置で振り回さないこと、落として探すときは「白杖を落としたのでしゃがんで探します」などと周囲に声をかけること、とにかく声を出して自分の位置や行動を示すこと、などのレクチャーを受けました。
ついで、アテンドさんの指示で、この場で名乗るニックネームを名乗っての自己紹介と、8人のユニット名を決めることになり、私は「オジサン」と名乗ることにしました。理由は私以外は、みなさん20代と思われる若い人達だったので、覚えてもらいやすいと考えたからです。ユニット名は8人で相談した結果、私が提案した、台風19号と白杖をケーンと呼ぶことにかけた「チームハリケーン」に決まりました。

ほどなくして、アテンドさんから渡されたハチマキの白さも闇に消え、白杖を頼りに闇の中へ踏み出しました。

真っ暗、本当に真っ暗。何も見えない。これまで経験したことがない真っ暗。
そこが、なんだか広い空間であることは、チームメイトと交わす言葉の距離感で分かります。白杖と足の裏で床を探ると、デコボコしていて、ところどころ草が生えていたり、ブロックのようなものがあったり、イメージとしては廃墟になったビルの1階。私はとりあえず真っ直ぐ進み、壁があることを触って確かめると、少し心に余裕ができました。すると、左後方からアテンドさんの「こちらに集まって下さい」という声がしました。
すかさず返事をして声の方向に進み、みんなも集まっていることを感じて一安心。ここで、全員が手をつなぎ輪になって、隣の人から右の手を握られたら、自分は左の手を握る、握手の伝言ゲームから運動会の種目はスタートしました。
鈴の音をたよりに、玉入れ。
四つの香りの中から、一人に一つ渡される香りをかいで、自分と同じ香りをかいだ人を探す香り当てゲーム。
香り当てゲームでペアになった人と二人三脚。
赤と白のハチマキで4対4に分かれ、借り物ゲーム。と進行し、最後は暗闇でお金をのやり取りをし、オロナミンC、ビール、麦茶、スポーツドリンク、香り当ゲームの香りにちなんだお菓子のセットで談笑するおやつタイム。これで運動会は終了。
かすかに明るい部屋に移動して、お互いに感想などを話したり、アテンドさんに見えない生活について質問したりしました。この時点で午後7時を少し過ぎており、もう少しチームハリケーンのみんなとの語らいを楽しみたかったのですが台風の状況もあり、一足早く別れを告げ、風雨の強くなってきた外苑の街に出た「オジサン」でありました。

暗闇では、容姿や年齢、社会的地位といった他者と接するときにバイアスになるようなものは意味が無くなり、不自由だけれど、とても自由になります。これはとても心地よく、単純に誰かの声や手の温かさを感じることは、こんなにも穏やかな気持ちになれるものなのかと、ダイアログインザダークを経験して思いました。

ただ、ひつだけ心配なことは、この暗闇のソーシャルエンターテイメントを経験された人が、視覚障害者とは白杖を使い、真っ暗闇に生きている人であると思ってしまうことです。実際は視覚障害も多様性があり、一人一人違います。
タレントの大竹まことさんが、ダイアログインザダークを経験された後のラジオ放送で、「メガネをかけている人がさ、ショーウィンドウにこれでもかってくらい近いづいて見ているんだよ。おかしいだろ!」っていう話をされていました。この「おかしいだろ!」と呼ばれた人は恐らくロービジョンと呼ばれる視覚障害者です。勿論、大竹さんに悪意はなかったのでしょうが、たぶん大竹さんは白杖を使う人が視覚障害者であるという認識なのだと思います。

帰りの地下鉄で、チームハリケーンのみなさんのことを振り返ったら、大塚愛の「プラネタリウム」を思い出しました。「まっ暗で何も見えない、怖くても大丈夫」

2014年11月1日 土曜日
死をおそれない生き方の表紙
ここ数年、がんになった現役医師が、リアルタイムで自身の闘病記をつづっている、いくつかのブログや、がん医療について現代医学の基礎的な考え方と、それに沿った市民からの質問に対する回答、また、抗がん剤は効かないとする近藤誠医師に対する反論などを積極的に発信している、公立総合病院勤務で現役腫瘍内科医のブログを欠かさず読んでいます。この腫瘍内科の先生は、がん患者さんと、その家族向けの院内サロンを運営されており、ここで定期的な勉強会を開き、その内容を関連学会で発表されるなど、がん医療に対する真摯な姿勢が伝わってきます。
さて、今回紹介する本「死をおそれないで生きる。がんになったホスピス医の人生論ノート」の著者、細井順先生は、消化器外科医としてキャリアを積まれた後、43才の時に末期の胃がんのお父様に告知とホスピスでの看取りをした経験を期にホスピス医に転向されました。それから9年後、52才の時にご自身に腎臓がんが見つかるも、手術を受けて回復され、現在もホスピス医として活躍されています。
本書では、このように3つの異なる立場を経験された細井先生の記録と、ホスピスで出会った多くの患者さんの死から見えてきた人間の生き様や、そこで培われてきた細井先生の死生観などが語られています。
前出のブロガーの先生方も、細井先生も、がんと向き合い、その先にある「死」と向き合う日々を過ごされていることに変わりはないと思います。けれど、そこから紡ぎだされてくる言葉には随分違いがあるように思えました。一言で言えば細井先生の言葉は「明るい」のです。私は、この明るさを支えているのは、細井先生の死生観にあると感じました。
「生命」は死を持って終わるが、メッセージを残すことで「いのち」が生まれると細井先生は言います。この思想は、哲学者の栗原隆さんが現代人文学の定義とする「身体を軸に、交わりを織り成しながら、物語を紡いで生きる人間の営み」と同じではないかと思えました。
そして、いのちを育むために医師ができることは、患者さんに対してどんなパフォーマンスをしようかではなく、患者さんの弱さを理解することであると細井先生は述べられています。

2014年11月2日 日曜日
鈴木美奈子ピアノリサイタルのポスター
見附市文化ホールアルカディアで開催された「ショパン、昇華するメランコリー」を鑑賞しました。
見附市文化ホールアルカディアにあるピアノの名器、ベーゼンドルファーで、ショパンが祖国のポーランドを離れた後の20代の作品を、作品紹介などのトークも交えた演奏で鑑賞しようというピアノリサイタルです。ピアニストは、鈴木美奈子さん。
彼女の愛器もウインナートーンとして有名なウイーンの名器ベーゼンドルファーで、至福のピアニッシモといわれる美しい音色は、ピアノの詩人、ショパンの叙情的な調べをひきたてて、晩秋の午後、まさに至福の2時間でした。
別れの曲、雨だれ、幻想即興曲、ノクターンなど、優しく、切なく、甘味なメロディには、ショパンの祖国への激しい思いや、家族の死、1830年当時は不治の病であった結核の発病、愛する女性との別れなど、彼の悲しみや苦しみが映り込んでいたことや、ショパンは作品に曲名をつけたことはなく、現在よく知られている曲名は、楽譜を売る商人が後から付けたものであったことなど、お話も面白かったです。
リサイタルは途中15分の休憩をはさんでの二部構成でしたが、後半の24の前奏曲、作品28を約40分かけての全曲演奏は、プロの集中力を感じさせる圧巻の演奏でした。

2014年11月16日 日曜日
映画「紙の月」のポスター
吉田大八監督作品「紙の月」を観ました。原作は角田光代さんの同名小説で、先ごろ終わった東京国際映画祭では、主演の宮沢りえさんが最優秀女優賞を受賞した作品です。
主人公の梨花は子供こそ無いにしろ、少女の頃から現在まで十分恵まれた人生を生きてきた。それがなぜ、横領という犯罪を、とめどなく犯さなければならなかったのか。私は思いをめぐらせ、お金では埋められなかった梨花の孤独に気付き、人はそういうこともあるのかも知れないと思いました。
誰かに必要とされたい。
まだ女であることを確認したい。
確かな自分を実感したい。
これらの切望を満たすことができるように思えるお金という魔法。でも、それは紙に書いた月のように簡単に消えてしまうものであることを梨花は知りながら、それにすがりつかざる負えない深い孤独。
梨花の透明な孤独感を見事に演じ切った宮沢りえさんはさすがです。

2014年11月24日 月曜日
映画「インターステラー」のポスター
クリストファーノーラン監督作品「インターステラー」を観ました。
タレントの真鍋かをりさんは、アルフォンソキュアロン監督のSF作品「ゼログラビティ」を絶賛していましたが、この作品はそれをはるかに超えて、SF映画の金字塔になったと思います。日本では公開前に大きな話題になっていなかったのが不思議なくらいです。
上映時間が3時間を超える大作にもかかわらず、まったくそれを感じさせない役者と、相対性理論など宇宙物理学をベースにしたリアルな演出に圧倒されました。
作品中、「彼ら」と表現されている超越的な存在が、実は人間であったという物語は、仏教的な世界観に通じるものがあるように思えました。
宇宙に存在するものは全てつながり、なにひとつ孤独に存在するものはなく、そこを流れる時間は相対的であり、ここでの人の一生は、短くもあり長くもある。だから、どれくらい生きたかではなく、どう生きたかが重要なのだと、この作品を観て思いました。

2014年12月6日 土曜日
来迎寺農協前バス停
長岡は昨日の午後からミゾレが降り始め、夕方には雪になり、今朝には30cmを超える積雪となりました。
昨年は12月12日に15cmほど積もり、お正月までには消え、1月10日から再び降り始めたものの、雪下ろしには至らずに春を迎えたので、今年は初雪が1週間ほど早く、積雪量も多いです。写真は来迎寺農協前バス停で、午後1時くらいに撮影したものですが、40cmくらいは積もっていました。
さっそくスノーダンプを振り回して今季初の除雪をしましたが、あーあ。です。

2014年12月7日 日曜日
肩関節習慣性脱臼の単純エックス線写真
新潟県立がんセンター病院に於いて開催された理学療法研修会に参加しました。講師は新潟県立吉田病院整形外科部長の田中英城先生で、主に肩関節の機能解剖と障害について、再教育的要素も含め、臨床上特に注意するべき点に重きを置いた講義でした。
機能解剖ではSahaの肩複合機構の運動相関や、臨床ではCaillieのPainfulArcなど、私の年代にとっては、ある意味なつかしい図説も、現代の臨床において必修であることに変わりありません。
肩関節脱臼における腋下神経麻痺は、整復時に起こることもあり、私はクーパー氏法を好んで使うので興味深く拝聴しました。また、耳鼻科でも行われることがある頸部リンパ節廓清に伴う副神経麻痺も、脳神経の障害になるという点で興味深いものでした。

2014年12月15日 月曜日
白山接骨院駐車場からの雪景色
13日の土曜日から降り始めた雪が現在1mを超えました。短期間に積もる、まさにドカ雪です。12月中旬としては例年にないことで、昨日も朝、昼、夜と3回駐車場の除雪をしましたが、その度に同じ量が積もっていました。
今週も17日から19日にかけて、強烈な寒波が来るようなので、21日の日曜は雪下ろしになるでしょう。
昨日の日曜は第47回衆院選で、自民党が過半数を超える議席を獲得しました。私は職業上でもプライベートでも社会保障が最も気になるところですが、少数の意見にも耳を傾ける姿勢を持ってほしいです。今回の選挙は「アベノミクス」の是非が争点だと安倍総理は言っていましたが、争点は国民の数だけあるのではないでしょうか。

2014年12月27日 土曜日
「希望という名のホスピスで見つけたこと。がんになったホスピス医の生き方論」の本の表紙
宮崎駿監督の代表作「となりのトトロ」は、私も大好きな作品です。自然に対して人はどうあるべきかを考えさせるような奥深さが、宮崎作品の魅力だと思っていましたが、先日、ラジオで宮崎さんの創作活動の原点を聞いて、少しだけ見方が変わりました。
宮崎さんが生まれた1941年当時、宮崎さんの父親は、東京で千人規模の従業員を抱える戦闘機のパーツを作る軍需工場を経営していました。戦況の悪化を受けて、宮崎さんは兄弟と共に宇都宮に疎開をしましたが、そこも空襲の標的となり、宮崎さん兄弟は小さなダットサンに乗せられて、火の海から逃げることになりました。その時、不安定に揺れるシートで宮崎さんの耳に飛び込んできた「お願いです!乗せて下さい!」という子供の涙声。しかし、止まることなく走り続けるダットサン・・・。

今回ご紹介する「希望という名のホスピスで見つけたこと。がんになったホスピス医の生き方論」は、11月1日にこのコーナーで取り上げた「死をおそれないで生きる。がんになったホスピス医の人生論ノート」の著者、細井順先生の著書です。
生物学的な「生命」は死を持って終わるが、メッセージを残すことで「いのち」が生まれるという細井先生の死生観が全体を抜いている点は前作同様です。今作は、その死生観がキリスト教の信仰の上で育ったものであることや、宗教界全体が、現代で果たすべき役割についても言及しています。
私が敬愛する良寛禅師の句に、
「うらを見せ、おもてを見せて、散るもみじ」
という句がありますが、細井先生の死生観に通じるものがあると感じます。

さて、「となりのトトロ」に話を戻すと、もしかすると死んでしまったかも知れない子供の声が宮崎作品の原点なら、絶望、不安、不幸が、宮崎駿という人のなかで希望、安心、幸福にかわって多くの人に届けられたことになり、それは「いのち」のつながりではないか。そう思うと「となりのトトロ」に登場するサツキやメイがさらに愛おしく思えます。

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