2015年4月、5月、6月分の日記です
2015年4月5日 日曜日
パーキンソン病の解説スライド
朱鷺メッセのマリンホールにおいて開催された神経内科フォーラムに参加しました。
神経内科を心療内科と混同されている方も多いようですが、神経内科を簡単に説明すると、思い出したり、考えたりといった認知機能や、歩いたり走ったりといった運動機能、見ることや聴くことなどに関係する情報伝達機能、さらには呼吸や消化などの自律神経機能にいたるまで、全身をコントロールする神経の不調を診断、治療します。代表的な疾患としては片頭痛、脳血管障害、認知障害、複視(ものが二重に見える症状)パーキンソン病などがあります。
市民向けの公開講座ではパーキンソン病について、新潟大学脳研究所神経内科学分野教授の西澤正豊先生を総合司会に、新潟大学脳研究所神経内科学分野准教授の下畑享良(しもはたたかよし)先生が、パーキンソン病の非運動症状と対処法について、慈泉会相澤病院神経内科統括医長の橋本隆男先生が、パーキンソン病の運動症状について現在の主な治療法から将来の展望までを、それぞれご御講演されました。
リハビリ関連では、パーキンソン病のリハビリの長期効果について、服薬しながら実施した群と、服薬なしでリハビリのみを行った群のデータを示して、リハビリの効果は症状が強く出る側で大きく、薬物療法と組み合わせるほうがより効果が大きいことを解説された橋本先生の講義が印象に残りました。
神経内科の最近のトピックとしては、今回、講演された下畑亨良先生のグループがtPAによる脳梗塞治療の弱点であった脳出血などの合併症を抑制した上、患部を小さくする働きを持つタンパク質を特定し、それを使った治療法tPA+PGRNを開発し、6年後の実用化を目指しています。また、同研究所の池田健先生の研究グループは、血液中の脂質代謝物質「デスモステロール」がアルツハイマー型認知症患者の認知機能の変化と相関関係にあることを特定しました。これはアルツハイマー型認知症の早期診断へ大きな一歩となる素晴らしい業績だと思います。

2015年4月23日 木曜日
「カワンセラーは何を見ているか」の本の表紙
臨床心理士の信田さよ子さんの著書「カウンセラーは何を見ているか」を読みました。
書店の人文科学のコーナーには似つかわしくない少女漫画を思わせる装丁、腰帯の「傾聴?ふっ。」という挑戦的なコピーに魅かれて、2,000円という価格にもかかわらず、レジに直行してしまいました。
実はこの本、2012年2月に、このコーナーで紹介した社会学者の石川准さんの著書「見えないものと見えるもの・社交とアシストの障害学」と同じ、医学書院のケアをひらくというシリーズの一冊として刊行されており、専門性のある内容ではあるものの、専門用語は出てこないので一般書としても十分楽しめる内容になっています。
私が学生の頃、医療面接の授業では「共感」や「傾聴」を基本技法として習いましたが、信田さんは本書でそれらをあざやかに否定し、既成の理論や海外の学説をうのみにすることなく、長年の臨床経験から独自の技法を構築してきた心理カワセリングのキモをズバリと語っています。
共感はそもそもできないし、する必要もなく、クライエントの話を映画のシーンを構成するように視覚化し、目に見えるようにする。そして、とらえ直し(再定義すること)によって、クライエントの世界(悩みや問題)を転換させること。それが「聴く」ことであり、クライエントを「わかる」ことだと信田さんは言います。
医療は症状をなくし治療しようという視点でかかわりを持つわけですが、心理カワンセラーは問題や困りごとを解決するという視点でかかわりを持つところが医療との最大の違いであること、ただの傾聴や癒しではない、心理カワセリングの世界の奥深さを感じました。

2015年4月28日 火曜日
NHKテキスト、ブッダ最後の言葉の表紙
NHK教育テレビの読書バラエティ番組「100de名著」では、これまで「ブッダ真理のことば」「般若心経」と二つの仏教聖典を取り上げてきましたが、今回の「ブッダ最後のことば」(涅槃経)では、日本で広く信仰されている大乗仏教とは異なる、釈迦が説いた仏教の本質と、それが2500年もの間、形を変えずに継承されてきた仕組み(組織論)を解説しています。
釈迦が説いた仏教の本質は、超越的な存在を頭から信じて、拝んだり、祈ったりするといった絶対的信仰ではなく、釈迦の教え(法)に従い、世界を正しく観察し、その知見を元にして、自分自身の力で煩悩を一つ一つ消していくことにより、生きる苦しみから解放されることにあります。なので釈迦の仏教は現代の科学的世界観とも調和して、矛盾しないと考えられます。
では私たちに一番身近な大乗仏教はどうなのかと考えた時に、浄土宗、浄土真宗など、釈迦の教えとはかけ離れていることから、それらを否定するような意見もあるようですが、共通する仏教の概念は同じであるわけで、仏教を学んでいく者としては上下をつける必要はないと思います。
仏教の基本概念
無我:固定された自分はないこと
無常:固定された世界はないこと
縁起:すべては関係性の中で存在すること
空:無我、無常、縁起をトータルにとらえた世界観。

2015年5月2日 土曜日
量子論のすべてがわかる本の表紙
現代物理学の2大理論といえば相対性理論と量子力学がありますが、数式を理解することは院生でも難しいとされますので、せめて概要だけでも理解したいと思い、これまで関連本を何冊も読んできました。
マクロの世界における特殊相対性理論は、物質は光の速さを超えることはできないことを、一般相対性理論は、重力は時空のゆがみであることを、それぞれ表現しています。
これに対してミクロの世界を扱う量子論は、私たちにも理解しやすいニュートン力学やマクスウェルの電磁気学などをベースに成り立ってはいるものの、量子力学として理論の矛盾を追及し、量子の真の姿を見極めようとすればするほど、わけが分からない世界が広がっていき、簡潔に表現することができません。本書の裏表紙には「我々には、とても考えが及ばないミクロの法則だが、本書を読めば必ず理解できる」と書かれていましたが、私には半分くらいしか理解できませんでした。それでも、放射線や半導体におけるトンネル効果など、身近に感じられることが、量子論で説明できることが分かっただけでも買った価値がありました。
まぁ、シュレーディンガー方程式の意味が分かるようになりたいのは変わらないので、また性懲りもなく同じような本を買うことになるのでしょう(笑)

2015年5月4日 月曜日
山本二三展の様子
アニメーション映画の世界では「アナと雪の女王」に代表される、スクリーンの中に広がる世界全体をコンピューターで作り出した作品が人気です。確かにキレイで分かりやすい映像だと思います。一方でスタジオジプリの作品に代表される、手作業で作品の世界観を創りだしていく映像は美しく、心に残るように感じます。この両者の違いは何か。
サイコロの目は1の裏は6、2の裏は5ですが、いわばこれが手作業の世界で、1の裏は何もないサイコロがCGの世界ではないかと思うのです。つまり、見えている世界がすべてなのがCG、見えている世界の奥に、観客が個々に想像できる世界があるのが手作業だと私は感じます。
さて、現在、新潟市新津美術館では、天空の城ラピュタ、火垂るの墓、もののけ姫、時をかける少女など数々の名作に携わってきた、日本を代表するアニメーション美術監督である山本二三さんの背景画のベストセレクションを展示しています。手作業が創りだす緻密な描写、情感豊かな風景表現に魅了されました。
印象的で美しさを伴ったシーンは実写以上に感情的な効果があり、実は観客が気付かないうちに、背景画が登場人物の心の変化や感情を補完していることを知りました。 私のアニメーションサイコロ理論?もあながち間違っていないのかも知れません(笑)

2015年5月10日 日曜日
りゅーとぴあ劇場のステージ
音楽の祭典ラフォルジュルネ新潟2015に行って来ました。今年のテーマはフランス語で情熱を意味するPASSIONS(パシオン)恋する作曲家たち。
クラッシック音楽は作曲家個人の愛情模様を縦糸に、彼らが生きた時代背景を横糸に、感性で織り込まれた遺伝子であると思います。
それを現代を生きる若い表現者が鮮やかに蘇らせ、私たちを魅了します。今回はヴァイオリニストの奥村愛さん、ピアニストの坂野伊都子さんの演奏で、
・エルガー:愛の挨拶
・ヘス(加藤昌則編):ラヴェンダーの咲く庭で
・ドヴォルザーク(クライスラー編):スラヴ幻想曲
・ブラームス:F.A.Eのソナタ
・クララシューマン:3つのロマンス
・ストラヴィンスキー:イタリア組曲
を楽しみました。
2曲目の「ラヴェンダーの咲く庭で」は、2004年に公開されたイギリス映画「ラヴェンダーの咲く庭で」のためにナイジェルヘスが書いた、ヴァイオリンとオーケストラのための組曲からの編曲でした。
イギリスの資産家である初老の姉妹が、突然現われた異国の若者を前にして、思いがけない感情の揺れに戸惑いながらも心をときめかせていく、恋と老いをめぐる切なくも美しい大人の物語を、叙情的に盛り上げるヴァイオリンの美しい響き。
5曲目のクララシューマンの3つのロマンスは、作曲家シューマンの奥さんでピアニストだったクララシューマンに、ブラームスが恋心を抱いたことに始まる三角関係から生まれた曲で、情熱的な中に孤独を感じさせる深いヴァイオリンの響き。
ヴァイオリンとピアノが奏でる愛の小品集は、やさしく、激しく、満員の会場を至福の時で包み込みました。
奥村さんはMCで「新潟での開催規模が年々小さくなっていますが・・・」と語っていましたが、世界で活躍する音楽家の生演奏を気軽に聴ける機会は失くしてはならないと思います。

2015年5月17日 日曜日
美術展、印象派の看板
広島市にある「ひろしま美術館」の所蔵品から、モネやルノアールなど印象派の画家をはじめ、ミレーやコロー、マネなど多くの画家の作品を紹介する「ひろしま美術館フランス絵画展」が新潟県立近代美術館で開催されています。
フランスの近代絵画の流れが、とても分かりやすく展示されており、自然の中にある一瞬の光を、みずみずしい感受性でとらえ直し、色彩分割という技法により明るい画面を実現するという革新に至った印象派の画家たちの作品は華やかで、モーツァルトの旋律のようでした。

2015年5月28日 木曜日
いま生きる「資本論」の表紙
世界的なベストセラーとなったピケティの著書「21世紀の資本」が日本でも13万部を売り上げ、その解説本が何冊も出版されています。
難解で高価な経済学の本が、これほど売れている背景に何があるのか気になっていましたが、ある日、ラジオで編集者の中瀬ゆかりさんが、佐藤優さんの著書「いま生きる資本論」を絶賛しているのを聞いて、佐藤さんの解説ならおバカな私でも経済学の概要くらいはつかめて、ピケティブームが分かるかも知れないと購入しました。
人は食べなくては生きていくことができません。生きていくためには、誰もが何らかの経済活動に従事しなくてはなりません。しかし、「経済とは何か」と聞かれると、ひと言で説明するのは難しいです。本書は、佐藤さんが講師を務めた市民向けの講座「一からわかる資本論」を活字化したもので、カールマルクスの「資本論」を分析の基礎に据えた、現代経済に関する入門書であると同時に、経済から見た激動する世界の解体新書的な内容になっています。
どの章も示唆に富んで「なるほど!」を連発しながら読み進め、あとがきを読み終える頃には、別な世界が見えてきました。特に、労働力の商品化ということの意味が分かると、世の中がまったく異なって見えて、経済現象に関して、本当に重要な事柄と、そうでない幻影があることが分かりました。
例えば、株価の上下でアベノミクスを評価するか否かのような議論をラジオでも識者が盛んにしていますが、経済がうまくいってるか否かを判断する基準としての株価は、経済の唯一の基準ではなく、私たちが洗脳された中にいるから、それに気づかないだけ。つまりは幻影であるというわけです。
世界と日本の現実を知るために「資本論」は他の古典と同様に”今更”ではない重要性があることを知りました。
入社2年目くらいの若い人に、幸せについて考えるテキストとしておすすめの一冊です。

2015年5月31日 日曜日
映画「フーフー日記」のチラシ
前田弘二監督作品「夫婦フーフー日記」を観ました。書籍になった実話ブログを映画化した作品です。
出会いから17年目にして結婚し、直後に妊娠を知って幸せの絶頂を感じるも、ヨメ(永作博美)にステージ3の直腸がんが見つかります。それからの夫婦の育児と闘病生活、ヨメが出産後9ヵ月で亡くなった後、ダンナ(佐々木蔵之介)がヨメの死を受け入れて、息子と新たな一歩を踏み出すまでをテンポのいいコメディタッチで描いています。
亡くなったはずのヨメがダンナの前に現れて、夫婦として過ごしてきた日々を振り返り、病気の怖さや、気恥ずかしさ、相手を思うが故の強がりなどから、伝えられなかったそれぞれの思いを見つけていく物語は、永作さんと佐々木さんの掛け合いが楽しく、涙をうかべながら笑える、明るく、せつなく、暖かな物語でした。
同行支援してくれたたぬきさんは感想として「自分なら誰にも言わないで逝く」みたいなことを言いましたが、周囲に心配をかけたくない気持ちは分かるけど、それでは家族も、友人も、私も、あまりに悲しいと思うと伝えました。
エンドロールを観ながら、人生の物語を伝えることで「いのち」が生まれるというクリスチャンでホスピス医の細井順先生の言葉を思い出しました。

2015年6月16日 火曜日
NHKテキストの表紙
現在公開中の映画「予告犯」は、国会で紛糾している労働者派遣法の改正とまるでリンクするかのような内容で、人がモノのように扱われる現代社会の闇を鋭く描いた社会派サスペンスでした。予想外の展開に意表を突かれ涙しました。
この作品が象徴する、効率と利益ばかりが求められる世の中に息苦しさを感じている人は多いと思いますが、そんな状況でも心を解放して自由でいるためにはどうすればいいか。そのヒントが中国の古典にありました。
5月の読書バラエティ番組「100分de名著」は「荘子」でした。
これまでも東洋思想の古典は度々取り上げられてきましたが、芭蕉や良寛、湯川秀樹なども魅了された荘子は、孔子が説いた儒教ような論文ではなく物語であり、人間や国家だけの秩序ではない、生き物全般、宇宙全般を視野に入れた個人を大切にする思想であるということが特徴です。
荘子は後の仏教、禅の形成に大きな影響を与え、一切をあるがままに受け入れるところに完全な主体性が確立すると説きます。 これを一言で説明することは難しいですが、荘子はバカボンのパパであると感じました。だから古典は難しそうだ。とっつきにくい。と思う人は、赤塚不二夫さんの「天才バカボン」でもいいような気がします。「これでいいのだ!」(笑)

2015年6月18日 木曜日
Windows10を入手するというウィンドウ
先般、Microsoft社よりWindows10への無償アップグレードを、2015年7月29日より開始するとアナウンスがありましたが、タスクバーの通知領域にWindowsロゴの通知アイコンが表示されるようになりました。
これをクリックすると写真のような「Windows10を入手する」とタイトルバーにあるウィンドウが開いて、無料アップグレードの手順が表示され、ここでアップグレードの予約をすると、登録されているアカウントに予約が完了した旨のメールが届きます。
私は3台のマシンを使っていますが、アップグレードの際の常でWindows10が標準でサポートしないドライバやソフトウェアの問題がでてくると思うので、アップグレードするマシンは写真の自作Windows8.1マシンのみにするつもりです。
それにしても無償ということと、正規版の発売前のアップグレードは今まで無かったことなので、その背景が気になります。

2015年6月21日 日曜日
沈みゆく大国アメリカ
ジャーナリスト堤未果さんの「沈みゆく大国アメリカ」を読みました。
本書は、アメリカ初の国民皆保険制度「オバマケア」をめぐって、今、アメリカ社会で何が起こっているのか、これが日本の医療にどんな影響を及ぼすかを考察したルポルタージュです。
アメリカにも障害者や高齢者、低所得者向けの公的医療保険はありますが、基本的にには民間の医療保険に加入しなければなりません。なので、貧困とまではいえなくとも経済的に苦しい人は医療保険に入らない人も多く、アメリカ国民の6人に1人が無保険で、医療を受けられずに死亡する人は年間4万5千人に上るといわれています。また、保険加入者の多くが高額な医療費に苦しみ、自己破産の原因の6割を医療費が占めるという日本では考えられない状況です。
この現状を打破すべく導入されたのがアメリカ初の国民皆保険制度、通称「オバマケア」でした。ところが、夢の制度と思われたそのオバマケアが逆に保険料の高騰や医療格差の拡大など、新たな問題を引き起こし、アメリカ国民をさらに苦しめる結果になっています。
その原因は何なのか。堤さんは丹念な現地取材とデータを基に、アメリカでは医療が社会保障ではなく、ビジネスとして位置づけられた「商品」として売られ、政治がそれをコントロールできないところに原因があると指摘します。
1980年代以降のアメリカは企業の国際競争力を高めるという国策の下、一貫して法人税を下げ、規制緩和や民営化を進める企業至上主義の政策を優先してきた結果、教育や命までもが商品化されたというわけです。さらにアメリカの資本家は日本の医療市場に進出を狙って、すでに着手しているようです。
世界のパワーバランスが大きく変わる中、私たちの幸せをどう守っていくのか。日本の医療制度を投資の対象として差し出すのか、それとも社会保障として持続可能な形に変えていくのか、私たちは選択を迫られています。
日本の医療がいかに守られているか、私たちはもっと関心を持つべきではないでしょうか。

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