2015年7月、8月、9月分の日記です。
2015年7月4日 土曜日
ユリのアレンジメントフラワー
アオーレ長岡ユリまつりに行って来ました。
カサブランカは私が一番好きな花ですが、日本が原産とは知りませんでした。30年ほど前にオランダで日本のヤマユリをベースに作られたのだそうですが、清楚で純白な大輪の花と、やさしい香りに癒されます。

2015年7月5日 日曜日
魔女の秘密展
新潟県民会館ギャラリーで開催された「魔女の秘密展」を鑑賞しました。
本展は、ドイツのプファルツ歴史博物館、ローテンブルク中世犯罪博物館のほか、オーストリア、フランスの各美術館や博物館の絵画や、魔女裁判に関する書物や資料、拷問道具など、日本初公開を含む約100点を展示し、妖しくも悲しい魔女の魅力と魔女の歴史の真実が多角的に紹介されていました。
やはり印象に残ったのは、中世の魔女裁判と処刑に関する展示で、妄信が狂気を生み、罪もない人を生きたまま火あぶりにするなど、残虐なことをしてしまう人間の愚かさです。では、現代を生きる私たちはどうでしょうか。ナチスによるホロコースト、ハンセン病の患者さんの不当な隔離、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、中世の人達の過ちを過去の出来事と片付けられない危うさを持ってはいないでしょうか。
情報があふれかえっている現代は、物事の一面だけをとらえたセンセーショナルな情報を善悪二元論的な単純思考で考えてしまいがちで、そこに図らずも妄信が生まれてくる構造は中世よりも危うい状況にあるといえるのかも知れません。例えば、少し前に子宮頸がんワクチンの接種で重い障害が現れたと思われるケースがセンセーショナルに報道され、世論を動かし、国は接種の推奨を中止するということが起きました。 本来はベネフィットとリスクで判断するべきが、衝撃的な映像から危ないのであれば止めるべきと二元論で片付けられて、将来、子宮頸がんで死亡する人を増やしてしまったのかも知れません。
魔女はファンタジーの世界で、私たちを楽しませてくれる存在であってほしいと思います。
余談ですが、当日、いわゆるゴスロリと呼ばれる雨宮処凛さんのような上下真っ黒の衣装に身を包んだ若い女性が沢山来場していて、私は随分凝った係員だなぁと思いながら音声ガイドを頼んだら「私、違います」と言われ、オジサンはやっと気づいたのでありました。(笑)

2015年7月15日 水曜日
アルバム、うた景色、エーデルワイスのジャケット
最近は音楽もCDから、より高音質なDSDやFLACなどでネット配信される楽曲も多くなりました。
CDの約7倍のデータ量のハイレゾ音源は確かにクリアで、楽器や歌声それぞれの音の輪郭がハッキリ聞こえます。
最近ダウンロードしたアルバムは白鳥英美子さんが2014年にリリースした「うた景色、エーデルワイス」で、若い時と変わらない透明で清らかでやさしい歌声は、ハイレゾで聴くといっそう引き立つ感じがします。
このアルバムに収録されている「ドナドナ」という曲は、小学校の時に音楽の授業で習った覚えがあり、何十年も忘れていましたが、なぜか聴いているうちに涙があふれてきました。
歌詞に出てくる仔牛とは奴隷として売られていく黒人の子供であると当時の担任が言った言葉が思い出され、私が教室にいることを担任から否定されていた当時の自分の置かれた立場と重なるところがあって、強く印象に残ったメロディだったようです。
しかし、この曲について調べてみたところ、仔牛とは迫害されていたユダヤ人のことであり、黒人ではないようです。

2015年7月17日 金曜日
仔猫の肉球の表紙
新潟市総合福祉会館を拠点に活動する心身障害者のパフォーマンス集団「こわれものの祭典」の存在を知ったのは10年以上も前で、これまで2回ライブを観ました。メッセージ性がとても強く、社会とのかかわりの中で失ってしまった自己肯定感を取り戻そうという太い幹があり、それにつながる枝葉のように、日々の生活で感じる切実な「生きづらさ」を、詩の朗読や、音楽、イラストなどで表現しています。
今回紹介するエッセイ「仔猫の肉球」の著者、雨宮処凛さんは、この集団の名誉会長も務めており、かつては「ミニスカ右翼」と呼ばれ、現在は「プレカリアートのマリア」と呼ばれています。事象だけでとらえると右から左へ思想の大転換があったように見えるけれども、それは、いじめによるリストカット当事者であった彼女が、自身の問題として抱える「生きづらさ」と向かい合っていくうちに歩んだ経過であって、彼女の思想は「こわれものの祭典」が主張することと重なっていると思います。
本書は、そんな雨宮さんが新潟日報に2008年から現在まで連載しているエッセイ「生きづらさを生きる」の中から101篇を厳選した一冊です。
「空気が読めない」
「コミュ障」
「役に立たない自分」
「どうしようもない劣等感」
「誰からも必要とされていない自分」
「居場所がない」
本書は、こんな「生きづらさ」を抱える人たちへ贈る、ほわっとして気持ちが楽になる処方箋です。
「生きづらさ」を論じる時、どうしても障害学との関連性を考えてしまいますが、障害学がアカデミズムの中にあり、サブカル的な存在になってしまって一般化していないのに対して、雨宮処凛という人は「生きづらさ」という誰にも分かる言葉で、社会から背負わされる辛さに喘ぐ人がいることを、誰もがその立場になりうることを、徹底した現場主義で発信して、共感してくれる人を増やしていることの価値は大きいと思います。
本書で最も印象に残ったのは「寄り添うことの難しさ」で、最悪の結果になるかも知れないと感じていながら、寄り添う側も限界で、どうしていいかわからないまま、友人を自殺させてしまった告白です。
静かに絶望する人に、真剣に向き合ってきたからこそ言える真実だと思いました。

2015年7月27日 月曜日
知性とは何かの表紙
2015年6月25日に開催された自民党の勉強会(文化芸術懇話会)において、出席した代議士が「マスコミをこらしめるには・・・」と言論弾圧とも取れる発言をしたり、憲法改正問題に関連しては、副総理が「ナチスの手口に学んだらどうかね」などと暴言を吐いたり、公人のメンタリティを疑わせる言動に驚いたのは私だけではないと思います。
作家の佐藤優さんは、こういった態度を反知性主義であるとし、反知性主義化する日本の政治に対する危機感と、それがもたらす問題、さらには、反知性主義を克服するために市民レベルで実践できる知性を磨くための方法を、著書「知性とは何か」で論考しています。
佐藤さんが定義する反知性主義とは、実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度で、政治家や官僚に反知性主義者がいると、国内政治、国際政治の両面で大変な悪影響を与え、日本の国益を損なう恐れがあると主張します。
私は、この反知性主義のもたらす問題は、社会学的に個人レベルでも考えられる問題であると感じました。合理性や客観性を欠いて、他者との関係性を対等に見つめる努力をしなかったり、自分が属する環境にとって都合の良いように物事を解釈していないかと問われたら、私は自信がありません。
では、いかにして反知性主義を克服し知性を復権させるか。佐藤さんは三箇条にまとめています。
第一に、みずから置かれた社会的状況(自分の考え)を、できる限り客観的にとらえ記録する。
第二に、他人の気持ちになって考える訓練をする。
第三に、書き言葉的な思考をする。
私たち一人一人が知性を高めたら、信頼や希望、愛が満ちた社会になるのなら、そのための少しの努力は惜しまないようにしたいと思います。

2015年8月16日 日曜日
日本のいちばん長い日のポスター
今年は太平洋戦争終結から70年。1945年8月14日の深夜から15日の玉音放送にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件、いわゆる宮城事件を史実に基づいて映画化した原田眞人監督作品「日本のいちばん長い日」を観ました。
ポツダム宣言を受諾し、敗戦を覚悟しながらも、軍人として安易に白旗を挙げることもできないジレンマに板挟みにあった役所広司が演じる、陸軍大臣であった阿南惟幾の苦悩は、戦争を終わらせることの難しさがそのまま表現されているようでした。
血気盛んに本土決戦を主張する青年将校たち。その怒りに理解を示しながらも暴発を抑え、一方で閣議を前に進めていく。日本の将来に希望を託しながら、あえて人生最大の貧乏くじをひき、軍人としての生き方を全うした阿南惟幾が、現在の安保法制の議論を聞いてどう思うか、ぜひ聞いてみたいと思いました。
先人が命がけで築いた平和の上に生かされている私たちの使命は何か。考えるきっかけになる作品でした。

2015年8月31日 月曜日
腫の起源のテキスト
2015年7月にNHKスペシャルで放送された「生命大躍進」では生命誕生から現在までをダーウィンの生命の樹を進化の歴史としてたどり、私たちの眼が実は植物の遺伝子が種の壁を超えて取り込まれたことによって造られたという仮説や、白亜紀には知性をもった恐竜が存在していたという仮説の紹介など、生物の進化の不思議を楽しく学べる内容でした。
2015年8月の読書バラエティ番組100分de名著は、この番組の内容を更に掘り下げ、全ての生物は一つの巨大な連鎖でつながっているということを示した「生命の樹」の基となったダーウィンの種の起源、進化論をていねいに解説した内容でした。
進化論のキーワードである適者生存、自然淘汰を弱肉強食という四字熟語と同義語と考えている人もいるかも知れませんが、生物は「強いもの」が生き残るのではなく、たまたま「適応したもの」が生き残るだけであって、こうした状況は「食物連鎖」といった単純図式ではもはや説明できず、実際にはもっと複雑で精妙なシステムから成り立っている事を進化論は主張してます。
私たち人間も生物としてみると、このシステムの一部に過ぎません。だとすると、人間には他の生物を意のままに操る権利などはなく、互いに尊重し共存していかなければならないのは自明の理です。
ダーウィンの素晴らしいところは、これらのことを「人間の倫理」の立場からではなく、「科学」の立場から見事に論証したところではないでしょうか。

2015年9月19日 土曜日
健康ファイル
2014年の3月の済生会新潟第二病院の勉強会で、新潟大学の吉嶺文俊先生から教えていただいた「健康ファイル」の勉強会を当院で開きました。
診療室に待合室の長椅子を持ち込んで、近所のジイちゃん、バアちゃん、酒屋の奥さん、知的障害者のグループホームの寮母さん、生後3ヵ月の赤ちゃんのママなど、バラエティに富んだ地域の人たち13人と私で約1時間、健康ファイルの使い方を学習しました。
健康ファイルについては 2014年3月12日分 の日記をご覧いただくとして、この日は、実際に健康ファイルを手に取っていただいて、スライドや動画も使いながら、健康ファイルを活用して私たち患者も医療に参加することが、満足感が持てる医療や福祉を受けることにつながることを学びました。
一歩進んだ具体的な例として、当院では自宅で朝晩の血圧を測って紙に書いたものを持参していただければ、平均血圧、脈圧も計算しグラフにして差し上げるサービスを無料で実施していますが、これなども健康ファイルにはさんでおけば、高血圧を治療しているお医者さんの参考になることなどを紹介しました。
現代の医療は、私という患者に、お医者さんや看護師さん、薬剤師さんなど複数のスペシャリストがかかわって成立していますから、このかかわりにどう付き合って信頼関係を築くかが重要で、健康ファイルはこれを実現するためのツールでもあるわけです。と、池上彰ばりに得意満面で私がまとめると、なぜか参加者からは「こんな医者は嫌だ」という意見が次々に飛び出しました。
人の話を聞かない医者。
紹介状を書いてくれない医者。
ほかの病院に行ったと分かると嫌な顔をする医者。
人を見下すような態度の医者。
などなど。吉嶺先生ならこの声にどう答えるかと思いながらも、私は「うん、そうだよねぇ。」しか言えませんでした。
患者にとって健康ファイルを使うメリットをまとめると、
第一に、病気の経過が、迅速に確実に伝わるようになる。
第二に、必要のないムダな検査や薬が、だんだんわかってくる。
第三に、自分自身の体や心への理解が深まる。
ということになります。
健康ファイルの真価がどこまで伝わったか自信はありませんが、数日後、酒屋の奥さんが血圧グラフを作ってほしいと、健康ファイルを持って来院されました。

2015年9月23日 水曜日
映画「天空の蜂」のポスター
堤幸彦監督作品「天空の蜂」を観ました。
東野圭吾さんが20年前発表した同名小説を映画化した作品です。日本最大のヘリコプターを乗っ取り、原子力発電所の真上で静止させるという原発テロ事件と、その危機に立ち向かう人々の8時間の攻防は、衝撃と興奮と謎解き、そして感動に満ちて、まさに傑作と呼べる作品でした。
20年前は原発による破壊といっても、あまりピンとこなかったでしょうが、3・11を経験し、実は恐ろしい世界に私たちは住んでいることを思い知らされた今では、単にエンターテイメントとして観れない部分もありました。
未知なるものに挑戦し、夢を追いかける科学者や技術者は純粋で、そこから生まれる可能性は素晴らしいものだと思います。けれど「できるなら、やればいい」という倫理は私たちの幸福に必ずしもつながらないことも真実だと思います。
原発問題も安保問題も、いじめ問題も、時間が過ぎれば忘れてしまう、他人事のように感じてしまう、無関心になる、これが一番の罪であると、この作品を観て感じました。

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