2015年10月、11月、12月分の日記です。
2015年10月18日 日曜日
映画「先生と迷い猫」のポスター
深川栄洋監督作品「先生と迷い猫」を観ました。
うちによく遊びにくるネコの海(カイ)ちゃんは、その時々、シャンプーや線香、香水の移り香がすることがあり、家族以外にも背中を撫でてくれる誰かがいることを感じます。この作品のネコは野良という設定ですが、ネコのカイちゃんは近所の五十嵐さんの飼いネコで少し違いはあるけれども、作品の日常をとても身近に感じました。
登場人物は皆、同じ野良ネコに思い思いに名前をつけ、ごはんをやり、語りかけることで、どこか救われていました。
ところが、その野良猫がぱったり姿をみせなくなってしまった。
主人公の元校長先生は彼らとネコを探す交流の中で、なぜ自分が毎朝やってくるネコをかたくなに避けていたかに気づきます。そこから、いなくなってからでは伝えられない気持ちを届けるため、なりふりかまわず泥だらけになってネコを探す、まるでそうすることで亡き妻との別れに折り合いをつけるように。
見つからないまま疲れ果て、ただいまと声をかけても返事のない真夜中の玄関は孤独に満たされます。けれど、朝は来ました。また、一緒にネコを探す人達が待っていてくれる朝が。
この作品は観る人によって違う映画として受け止められると思いますが、それだけに奥が深い作品でした。

2015年10月31日 土曜日
下流老人の表紙
「無縁社会」「孤独死」「老後破産」「貧困女子」「子供の貧困」「下流老人」・・・近年よく耳にするキーワードです。これらの言葉に触れるたび、日本の社会保障が崩壊しつつある現状を感じ、明日は我が身と重ねると不安になります。
現在、単身高齢者は全国に約600万人。このうち生活保護レベル以下の、年収120万円以下で暮らす高齢者は約49パーセントを占め、生活保護を受けている高齢者は約70万人。仮にすべての生活保護受給資格を満たす単身高齢者がすべて生活保護を申請したとすると、生活保護というシステム自体が破たんする恐れがあるといわれています。
今回ご紹介する藤田孝典さんの著書「下流老人」は、下流老人を「生活保護基準相当で暮す高齢者、および、その恐れがある人」と定義し、下流老人が大量に生まれる、その最前線のレポートと、著者が考える解決策を模索した内容です。
将来、下流老人にならならいために、私たちが個人レベルでできることや、考えておくこと、備えておくことは大切なことです。けれど、努力論や自己責任論には限界があり、社会システムや社会福祉制度が機能不全を起こさないように、制度や政策を考えることの大切さを本書を読んで改めて思いました。
医療については来春から混合診療をさらに拡大して「患者申し出療養制度」を導入する予定です。しかし、これによって新薬の保険適用が遅れる、あるいは適用しないようなことがあれば、経済力の格差が医療格差につながると考えられます。つまり、国民皆保険制度の崩壊です。
年金については2014年度の国民年金の納付率は非正規雇用者の増加を背景にしていると思われますが40.6%しかなく、また、現在の給付水準を維持するためには70才までは現役で働き続ける必要があるといわれています。
福祉については前出の通り、セーフティネットである生活保護制度が非常に厳しい状況です。
財政的には2013年度の社会保障費は110兆円を超え過去最高となりました。内訳は年金が49.3%、医療が32%、福祉介護が18.7%と厳しい状況です。しかし、だからといって弱者を切り捨てるようなことがあってはいけないはずですが、政府与党は消費税増税にともなう軽減税率の税源確保のため社会保障費を削る方針のようです。
憲法は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」としていますが、これが厳守されるように、私たちは他者の痛みを感じる心を捨ててはいけないと思います。

2015年11月1日 日曜日
映画「岸辺の旅」のポスター
黒沢清監督作品「岸辺の旅」を観ました。
原作は湯本香樹実さんの同名小説で、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」で日本人初の監督賞を受賞した作品です。
瑞希は失踪して3年ぶりに帰って来た夫、優介に「俺、死んだよ」と告げられます。そして、「きれいなところがあるんだ」と誘われるままに、3年の間に優介が過ごした場所や人に会いに行く旅へ出ます。
再び2人の時間が戻ってきた喜びと、見知らぬ土地で濃密な時間を過ごし、夫の新たな一面を知り、改めて愛の深さに気づく瑞希。しかし、いずれは夫の死を受け入れなければならない苦悩も同時に抱えることになる旅。
現実世界と彼岸の世界を分ける岸辺は実にあいまいで、死者と生者の区別も実はあいまいで、そこを旅する主人公の二人が感じた確かなもの。それは観終った後あたたかな余韻として観客の心に残るもの。
私はこの作品を観て、おそらく仏教でいう慈悲あるいは慈愛と呼ばれるそれは、こういうことなのかも知れないと強く感じました。
以前このコーナーでヴォーリズ記念病院ホスピス長で外科医の細井順先生の著書を2回ほど取り上げたことがありますが、映画がお好きでクリスチャンの細井先生なら、この作品にどんな感想をお持ちになるか、ぜひお聞きしたいものだと、今、ふと思いました。

2015年11月8日 日曜日
医学哲学学会看板
新潟大学において開催された「第34回日本医学哲学・倫理学会大会」のシンポジウム「わたしの病い、あなたの病い〜病いの”当事者性”を考える」を聴講しました。
シンポジスト、演題は
・門林道子(日本女子大学)がん闘病記の社会学、患者の声を聴く。
・細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館)人間同士の出会いから生まれる「いのち」は生死を貫いて。
・西村ユミ(首都大学東京)患者への応答性としての看護実践。
・清水哲郎(東京大学)分かり合えると分かり合えないのはざまで。または「皆一緒」にして「人それぞれ」である私たち。
の4名で、司会は新潟大学の宮坂道夫さんでした。
日曜日の朝早くにもかかわらず、大講義室はほぼ埋まり、2時間30分を短く感じるほど、心を揺さぶられるシンポジウムでした。特に後半、宮坂さんから出された討論テーマ「医療者は患者の前から逃げる自由はあるか?」には度肝を抜かれました。障害学会ではこういった設問は珍しくありませんが、ポジティブなことだけが価値があることのようになりがちな医学系の学会では珍しいことです。
病気や障害に苦しむ人、死を目前にした人に対して、私たちはどのような態度をとるべきか。この人であることの根源にかかわる命題に完全な答えなど無いのかも知れませんが、多分野にわたるシンポジストそれぞれの言葉はリンクして、思考の幅を広げてくれるものになりました。
門林さんの演題は、時代による闘病記の変せんが興味深く、中学生の頃、障害をかかえて生きる人に関心があり、筋ジストロフィーの少年の手記や、ダウン症の子を持つ親の手記など、かなり読んでいたことを思い出しました。
現在は誰もがネットで情報を発信できるようになり、闘病記も出版というプロセスを介した時代に比べ、リアルタイムであることがディスプレイの向こうにいる人(著者)をより身近に感じさせ、質にばらつきはあるかも知れませんが、世の中に与える影響という点では大きくなったのではないかと感じます。門林さんには、ぜひ、このあたりのことも探求していただきたいと思います。
今回のシンポジストの中で細井先生は唯一存じ上げていた方で、私が尊敬している医師のご友人でもあり、著作も2冊ほど拝読させていただいています。
生きるに生きれない、死ぬに死ねない患者さんに、寄り添うのうのではなく、付き合う、私が最後までそばにいますと患者さんにかける言葉は、医療は病気を治すためにあるのではなく、人を幸せにするためにあるということの実践であるように思えます。また、それができる人(医療者も含め)は自身が十分幸せでなければならないと、細井先生の笑顔から感じました。
細井先生は、人はひとりでは生きられないし、死ねないと言われますが、誰にも看取られず逝く人にも救いはあるか。今、細井先生にお聞きしたいことです。

2015年11月15日 日曜日
映画ターミナルのチラシ
篠原哲雄監督作品「起終点駅ターミナル」を観ました。原作は桜木紫乃さんの同名短編小説です。
桜木さんの実家はラブホテルを経営されていて、桜木さんも子供のころから手伝うようになり、この時に経験した様々な人をめぐるエピソードが2013年に直木賞を受賞した「ホテルローヤル」の原型になっているとラジオで話されていたのが強く印象に残っています。
さて、「起終点駅」ですが、映画というよりは、とてもていねいに創り込まれた2時間ドラマという印象です。
最果ての街、釧路で人生の終わりへと向かっていたはずの男と女が出会い、孤独を分かち合い、そして再びそれぞれの人生の一歩を歩きはじめる再生の物語。
二人で一個体とか思わないほうがいい。それぞれ生きていればそれでいい。
自分の孤独を寂しいと思うのじゃなく大切にすれば、大切な誰かの孤独も分かってやれる。
そんな思いが「じわっ」と伝わってくる作品でした。

2015年11月21日 土曜日
Windows10のアップグレードの様子
ようやくマイクロソフト社からWindows10へのアップグレードが可能になった通知が届いたので、さっそく自作マシンをアップグレードしてみました。
プロセスは特に問題なく進み再起動、プログラムの再構成が終わり終了となりましたが、セキュリティでエラーが。
私はソースネクスト社のスーパーセキュリティというソフトを使っていますが、OSのアップグレードに対応するための更新を事前に完了してあり、問題ないはずでしたが、調べてみたら強制的に削除されてしまったようです。仕方ないのでもう一度ダウンロードして再インストールにより解決しましたが製品のユーザー登録をしておいて正解でした。
新規のマシンだと環境を作るのが面倒ですが、アップグレードだと環境は引き継いでくれるのでドライバの更新をやるだけでいいので楽です。
使ってみた感じは特に違和感なく使えて、レスポンスも悪くないと思います。 20年前は、わけのわからないエラーに悩まされ、その度に分厚い専門書を読みあさり、やっと使えるようになっていたのが、基本的な構造は変わらないとはいえ、何十倍も複雑なシステムになったのに簡単に使えてしまうのは、すごい進歩だと思います。しかし、この進歩がテロの温床になっているというのは考えさせられます。

2015年11月29日 日曜日
コンビニマグ
写真は燕三条のイオンで見つけて衝動買いしてしまった「コンビニマグ」というアイデア商品です。
携帯型タンブラーでステンレスの真空二重構造になっており、ねじ込み式のフタにもシリコンパッキンが使用され密閉性保温性に優れています。
最大の特徴は商品名になっているようにセブンイレブンのコーヒーマシーンにジャストフィットします。試しにホットコーヒーを1時間そのままにして飲んでみましたが十分温かく、おいしく飲めました。
コンビニマグ、税込1,598円です。

2015年12月18日 金曜日
斜陽のテキスト
私が太宰治に初めて触れたのは小学校の国語の教科書に載っていた「走れメロス」でした。中学に上がり太宰の生涯を石坂浩二が演じたテレビドラマ「冬の花火」を観て、「生まれて、すみません」と自決した太宰とは本当はどんな人だったのか知りたくて「人間失格」「斜陽」「津軽」などを読みました。
最近、太宰が若い女性に人気なのだとラジオで誰かが言っていたのを聞いて、又吉直樹さんならともかく、なぜ太宰なのか不思議に思っていましたが、NHKの読書バラエティ番組、100分de名著で高橋源一郎さんの解説を聴いて、なるほどと納得しました。
「斜陽」の主人公、かず子と母親との関係性では、今、クローズアップされている「母の呪縛」という母と娘の関係性を鋭く描き、上原との関係性では、たとえ私生児と呼ばれようとも、好きになった男の子供を妊娠したいという、女性を縛る、例えば家制度のような既存のルールを変える、いわば革命の象徴として恋を描く。このあたりが現代の女性に共感されるところなのでしょう。
また、登場する男たちは、社会的に見れば、みんなダメ人間に映りますが、自身の弱さや罪をさらけ出す姿に、私たち男は共感を覚えます。(それができないにしろ)
私の育った地域では、小学生であっても雪下ろしのために屋根に上がることは当然で、理由がどうであれ、私はそれができないことに罪を感じ、恥を感じていました。実は今もその感覚は消えていませんが、斜陽に登場する男たちの感覚に近いものではないかと思えます。
時代が変わっても色あせることがない太宰の魅力を再発見しました。

2015年12月21日 月曜日
償却資産申告の手引き
話題のマイナンバー制度(国民総背番号制)ですが、さっそく使う機会がありました。
私たち事業者は決算書を作る前に償却資産を必ず申告しなければなりませんが、毎年この時期に申告書類が届きます。
予測していた通り、個人番号を記載する書式に変更になっていましたが、おかしなことに、その個人番号が確かに本人のものであることを証明するために、運転免許証、保険証、障害者手帳などのコピーを添付せよということになっていました。いったい何のためのマイナンバーなんでしょうか(笑)
さらに困ったことに、電子申告に使われている住民台帳カードと、マイナンバーカードの整合性がどうなるのか、次の確定申告に間に合うのかどうかは不透明であるとのことで、行政も混乱している状況のようです。

2015年12月23日 水曜日
映画「母と暮せば」ポスター
第一次世界大戦直前から現在までの世界の流れを映像で振り返り、今、私たちが生きている世界の成り立ちをつづったNHKスペシャルのシリーズ企画「新・映像の世紀」を興味深く観ています。
20世紀はまさに繁栄と戦争の世紀で、二度の大戦では一応の終結はみたものの、新たな火種を作ってしまい、再び戦争に至る恐怖に世界は包まれているようです。
そんな中にあって映画や音楽、そのほかの芸術においても戦争やテロを止める力など無いことは現状を見れば明らかですが、それでも暴力の愚かさを伝える努力を続けなければならないと思し、そうしている人がいることを知り、その作品に触れることで救われる気持ちになるのは私だけではないでしょう。
山田洋次監督作品「母と暮せば」は、1945年8月9日の原爆投下から3年後の長崎を舞台にした物語で、絵本を映像にしたようなファンタジーに仕上がっているので、子供にも十分理解できる作品です。
「男はつらいよ」に代表される人間の愛情の機微を描き続けてきた山田さんらしく、ほのぼのとした中にも、戦争が、母に、恋人に、子供に、市民ひとりひとりに残した深い爪痕を感じる展開に涙があふれました。
今年の邦画界は死者が主役になる作品が「夫婦日記」「岸辺の旅」「母と暮せば」と続き、なにか不思議なものを感じます。
今を生きている私たちにとって死者の意味は、医師の細井順先生が説かれるように、記憶することで「いのち」が生まれるという点にあると言えるのかも知れません。

2015年12月30日 水曜日
良寛詩歌集
12月の読書バラエティ番組100分de名著は「りょうかんさま」の愛称で親しまれている、江戸時代中期を生きた禅宗の僧侶、良寛禅師が詠まれた漢詩約500首、和歌約1400首を取り上げ、禅師の生涯を代表的な作品で追いながら、「人間の本質」とは何かを考えました。
禅師の生き方は仏陀の教えそのままに、乞食に徹して清貧に生きる自らの姿を市民にさらして見せることで、最底辺から世の中を照らされました。同時に、死に臨むその時まで詩や歌を詠み続け、こころの言語化という精神活動を深められました。
経済至上主義の結果としての格差社会や、そこから生まれる暴力の連鎖に苦しむ私たちですが、良寛禅師のような生き方は無理にしろ、こころを言語化して苦しみの元になっている欲望を「知る」あるいは「自覚」して、それから離れる努力が、そこから抜け出せる唯一の方法であると改めて思いました。

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