2016年4月、5月、6月分の日記です。
2016年4月9日 土曜日
「死はこわくない」の表紙
いわゆる団塊の世代が、おおよそ10年後までに後期高齢者(75歳以上)に達することによる社会保障費の急増が懸念されていますが、同時にこのことは多死社会の到来も意味しています。
こういった背景もあってか、書店には医学や哲学の棚以外にも「死」をめぐる論説や随想などが多くみられるようになってきたと感じます。
「死」だけは社会格差に関係なく、誰にも等しく訪れるわけですが、そもそも「死」とはどういうことなのか、古より続く問いに人はまだ答えを出せていません。
今回ご紹介する「死はこわくない」の著者、ジャーナリストの立花隆さんは、自殺、安楽死、脳死、臨死体験など、長きにわたり、人の死とはなにかというテーマを追い続け、その時代の最先端の研究成果と問題点、考えるべきことを私たちに伝えてきました。
本書はご自身も75歳を超え、膀胱がん、心筋梗塞を患い「死」がそう遠くない未来に自身にも訪れることを理解した上で「死」を思索したドキュメントです。
三部構成になっており、1章は「死」をめぐる最近の脳科学の知見と、立花さんの死に対する思いをインタビュー形式で収録しています。
2章は3人に1人ががんで死ぬ時代に予後の告知をどうすべきかなど、これから看護師として医療の第一線に立つ学生に語った講義録を収録いています。
3章は23年前、死の間際に多くの人が見るという「臨死体験」を徹底取材した立花さんが、再び臨死体験の謎を取材して、2015年に放送されたNHKスペシャル「臨死体験、死ぬときに心はどうなるのか」で取り上げた、臨死体験や、心の一部である意識とは何かなど、23年前は謎であったことを現代脳科学は明らかにしつつあることを番組ディレクターと対談しています。
印象に残ったのは、立花さんが「死は怖くない」という心境に達したのは、死に対して新たな知識を得たからという理由以上に、年をとることによって死が近しいものになってきた事実があると語っていることで、とても意外でした。
人は自分がいずれ死ぬことを「理解」はしていると思います。けれど「分かっていない」のではないか。これはどんなに脳科学が進んで、死に対してあらゆる生理的なことが明らかになったとしても同じではないかと思うのです。
死が怖いものではないと説く人は、これまで私が直接出会った人の中ではクリスチャンでホスピス医の細井順先生だけです。 細井先生のように科学者であって宗教者でもある人が「死」を語るとき、素直に受け入れられるのは、立花さんが感じておられるように、科学だけでは「死」というものを受け止められないからではないかと思いました。

2016年4月18日 月曜日
「消滅世界」の表紙
村田沙耶香さんの小説「消滅世界」を読みました。
近未来の日本が舞台で、子供を作るときは100%人工授精で、夫婦や母子、家庭という枠組みがなくなった世界を、SF小説ほど飛躍した世界観ではなく、現在ある、アニメの少女しか愛せない若者、セックスレスや結婚、人工授精の問題など、今と地続きなとてもリアルな感覚の中で描いた、恐ろしく清潔、かつ、グロテスクな作品です。
読み進めるうち、ありえない話のようでいて、だんだん将来の社会像と、どこか重なって見えないこともないと思えてきて、確かに「常識」は時代により変化してしまうわけで、絶対的な正しさではないはずです。それを簡単に批判したり、否定したりするのは、ごう慢なことなのかも知れないと思いました。

2016年4月24日 日曜日
映画「アイアムaヒーロー」のポスター
佐藤信介監督作品「アイアムアヒーロー」を観ました。原作は花沢健吾さんの同名コミックです。
今やゾンビ映画というジャンルがあるほどメジャーな存在になったゾンビですが「GANTZ」シリーズでヒットメーカーとなった佐藤監督が仕掛けるゾンビ映画はハリウッドをはるかに超えるクオリティでした。
「ドラえもん」における「のび太」のように、最初は頼りなかった主人公の男が、だんだんカッコよく見えてくる、男の精神的な成長物語でもあるところが、単なるパニックムービーとは違う面白さになっていたと思います。また、ゾンビを「ZQN」と呼称するところが、ネットの世界で使う「DQN」を連想させ、今を感じさせる要素になっていたと思います。

2016年4月29日 金曜日
ラフォルジュルネ2016
ラ・フォル・ジュルネ新潟2016を鑑賞しました。
今年のテーマは「la nature 自然と音楽」
先般発生した熊本地震では、いまだ大きな余震が続いています。避難生活をされている市民の皆様には、中越地震で被災した者として、また、三条水害では泥上げボランティアを経験した者として、その辛さが実感できるだけに、一日も早く安心して眠れる日がくることを願うばかりです。
時に自然は私たちに無慈悲とも思える姿をみせる反面、その美しさで人を魅了し、癒しも与える表裏一体の存在です。今回のラ・フォル・ジュルネは、音楽は自然から生まれたという原点に立ち、自然にオマージュをささげるという演奏会でした。
数あるプログラムの中から今年は、宮川彬良とアンサンブル・ベガの演奏を楽しみました。楽曲は、
F.デーレ「すみれの花咲く部屋」
ウェーバー「狩人の合唱」
H.ヤンコフスキー「森を歩こう」
ビートルズ「ノルウェイの森」
ビートルズ「ミッシェル」
タルティーニ「悪魔のトリル」
モーツァルト「夜の女王のアリア」
ビートルズ「I want to hold your hand」
宮川彬良「幸せのリズム」
−アンコール−
宮川彬良「マツケンサンバ2」
ビートルズ「PS I Love You」の11曲で、
ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンという編成でしたが、全員がオーケストラで主席プレイヤーを務めるスゴ腕だけあって、奥行のある重厚な音に魅了されました。また、宮川さんの軽妙なトークも冴えわたり、各楽器の歴史や特徴、それが全体のハーモニーにどんな役割を果たしているかなどを実演も交えながら音楽の楽しさを教えてくれる、良質のエンターテイメントとしても楽しめました。
私は弦楽器のトリル奏法という独特のドライブ感がある音が好きなのですが、「悪魔のトリル」を一流プレイヤーの演奏で聞くと迫力がありました。いやー、やっぱり音楽は生が最高です!

2016年5月5日 木曜日
絵本「いちばんしあわせなおくりもの」の表紙
今年4月に刊行されたばかりの宮野聡子さんの絵本「いちばんしあわせなおくりもの」を読みました。
くまくんと、こりすは仲良しで、こりすは大好きなくまくんに贈り物をして喜ばせたいと思うのに、くまくんは何もいらないと言います・・・。それはなぜ?
物語はやさしく、絵は美しく、心温まる作品です。
先月、このコーナーで取り上げた岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」でも感じたことですが、何もしなくても、何かできなくても愛し愛される関係性こそ、幸せを担保する条件ではないかと、この作品でも感じました。
日々の生活に追われて気持ちに余裕がなくなると、人はやさしくなれないものです。そんな時に子供のものとバカにしないで、大切な人と一緒に絵本を開いてみるのもいいかも知れません。

2016年5月12日 木曜日
小説「世界から猫が消えたなら」の表紙
川村元気さんの小説「世界から猫が消えたなら」を読みました。2012年10月にLINE配信で人気作となり、書籍化された作品です。そういう経緯で世に出てきた作品なのでパソコンで読んでみるのも面白いと思い、初めて電子書籍を利用しました。
2011年3月に発生した東日本大震災以降、若い人達の間でも温かなつながりを求める波が広がりましたが、この作品も、そんな空気感の中から生まれてきたように思えます。
幸せとはなにか、生きる意味とはなにかという重いテーマをファンタジー仕立てにしたライトノベルなので、小学生の読書感想文のネタにも十分使えそうな作品です。
30才で郵便局員の主人公は医師から余命宣告をされます。そんな時に出会った悪魔と、一日延命する代わりに大切なものを一つ消す契約をします。昔の恋人、友人、家族へ別れを告げるなかで、自分に与えられているモノやヒトや時間、当たり前だと思っていたそれらこそが、自分自身をかたどって自分たらしめていたことに気付いていきます。
あなたの人生の物語が、どんなにつまらないものであるように思えても、あなたがいなかったら、この世界は成立しません。だから、あなたは大切なあなたです。私はこんなメッセージをこの物語から受け取りました。
大切な誰かと、この物語について話すことができれば、それは幸せなことだと思います。

2016年5月15日 日曜日
映画「世界から猫が消えたなら」のチラシ
永井聡監督作品「世界から猫が消えたなら」を観ました。原作は川村元気さんの同名ノベルです。
原作の川村元気さんは映画プロデューサーでもあり、映像では表現しきれないことを表現したくて「世界から猫が消えたなら」を書いたと述べていました。本作は、それをあえて映像にした作品であるということで、私はそこに一番興味をひかれました。
勿論、ジャンルが違う芸術であるわけで、原作と比べてどうという評価は意味がないと思いますが、あなたの人生の物語がどんなにつまらないものであるように思えても、私にとっては、あなたがいなかったら、この世界は成立しません。だから、あなたは大切なあなたですという、幸せとはかかわりから生まれてくるという、幸福論的なことが原作よりも、より分かりやすくストレートに描かれていたように感じました。
クリスチャンで映画好きのホスピス医、細井順先生は人間同士の出会いから生まれる「いのち」は生死を貫いて存在するものであると説かれますが、この作品も、それに重なるものがあると思いました。

2016年5月15日 日曜日
ねこカフェのビッケ
長岡駅からほど近い、大手通りにある猫カフェ「猫カフェらて」に行ってきました。
前々から一度行ってみたかったのですが、エレベーターで4階に上がり、入り口まで行って、脱いである靴と中の様子をうかがうと全員女性客で、オジサンはひとりで入る勇気がなくエレベーターに引き返していました。
この日は、数人の学生らしきグループだけで、それも私と入れ違いくらいに出ていってしまったので、ゆっくり猫カフェを満喫することができラッキーでした。
このお店には写真のアメリカンショートヘアのビッケ(メス)をはじめ9匹の猫がおり、自由に触れることもできます。一番相手をしてくれたのはスコティッシュフォールドのれんあい(みつげのメス)で、初めての私にもスリスリしてくれましたが、毛が硬くて意外でした。
フードメニューにあった明石焼きを食べてみましたが、和風スープにたこ焼きをひたして食べるもので、実に美味しかったです。

2016年5月29日 日曜日
ソニーのスピーカー
待ち合わせの時間に早すぎて、ビッグカメラをのぞいていたら、写真の小さなスピーカー(SONY、SRS−X11)が目に止まりました。
自室でノートPC用に使っていた小型のスピーカーが何年か前に壊れて、さして必要性もなかったので、そのままになっていましたが、Blutooth接続できる小型の製品も安く出回っているのを知って、一つあってもいいなと思っていたところでした。
購入の決め手になったのは、操作パネルが目が不自由な人にも使いやすいようにオウトツと、ドットがついており、電源のオンオフを音で知らせる機能がついていた点です。安い製品でも、こういった配慮をしてくれているところを評価しました。
さっそく持ち帰って音を出してみましたが、6センチの立方体というサイズとしては値段以上の音だと思います。重さも200グラムほどなので、旅先に持っていくことも可能です。

2016年6月12日 日曜日
映画ズートピアのボスター
バイロンハワード、リッチムーア両氏の共同監督によるディズニー映画「ズートピア」を観ました。
私の知るディズニー映画の中では最高の出来で、さして期待して観た作品ではなかっただけに、ものすごく得をした気分になりました。
子供たちが夢中になる擬人化された可愛いキャラクターと、アクション。そして奇想天外な物語の中から浮かび上がってきたのは、現代社会における「差別」や「偏見」その果ての「テロリズム」など、容赦ないリアルでした。
「自分たちと違う」という恐れから差別や偏見を生みだす人間の愚かさを見つめつつ、「他者に対して寛容である」ことが世界を平和に導くという希望を描いた、すばらしい作品でした。
熊本地震以降「不謹慎狩り」とか「炎上」などという、寛容とは正反対の流れがあるように思えます。正義の反対は悪ではなく別の正義であるともいいますが、この作品を先日逝去されたモハメドアリさんがご覧になったら、どんな感想をお持ちになったか、ぜひ聞いてみたい、そう思いました。

2016年6月28日 火曜日
歎異抄のテキスト
4月の読書バラエティ番組「100分de名著」は親鸞の「歎異抄」を取り上げ、人間にとって宗教とは何かを考えました。
法然、親鸞と続く浄土宗、浄土真宗の系譜は、自力で覚るという仏教の教えを、阿弥陀如来が救ってくださるという本願にすべてをお任せする他力の教えに、こころの有り方を正反対に変えたものであり、日本仏教における革命であったと思います。その革命的な思想は広く受け入れられ今日まで続き、吉川英治、五木寛之など、名だたる作家が小説としても取り上げ親しまれています。
これほど人のこころを魅了する歎異抄の魅力とは何かを考えると、人間とは無力であるという真理と徹底的に向き合い、打ちのめされても、そこに信仰があれば人は必ず救われるということを説いていることに尽きると思います。
今年の新潟大学医学部生命倫理の講義で、新潟薬科大学の先生が昨今のISの暴挙を考えてのことだと想像しますが「宗教など要らない」と発言されました。しかし、医学は常に救ってくれない、科学に完全な慈悲はありません。私たちはそのことを実はよく分かっている、だからこそ南無阿弥陀仏と唱えるのだと思います。
そういう意味においては浄土真宗やキリスト教は宗教として優れていると思います。ただ、信仰における怖さも考えないといけないことも確かで、歎異抄の持つ意味は信仰におけるリミッターでもあると思いました。

2016年6月30日 木曜日
「いのちの苦しみは消える」の表紙
医師で真言宗の僧侶でもある田中雅博先生の著書「いのちの苦しみは消える」を読みました。
先生ご自身もすい臓がんで年単位の延命は難しいと宣告された今、自身にも訪れる死を見据えながら、医師として、僧侶として、日本の医療からこぼれ落ちているスピリチュアルケアの必要性を問いかける内容となっています。
田中先生は日本の医療には「いのちの苦しみ」(WHOが定義するスピリチュアルペインの田中先生訳)を救うスピリチュアルケアワーカーやチャプレンという存在がいないと指摘されます。確かに病院にはいないように思えます。しかし、2016年2月8日にこのコーナーで紹介した拘置所におられる「教誨師」こそ、まさにそれでなないかと私は思いました。
「自分への執着」さえ捨てるのが仏教の生き方ですが「いのちの苦しみ」の緩和は、自分の人生がどんなものであったとしても、そこに価値を見出し「自分の人生の物語」を完成させることにあるなら、仏教に限らなくともいいわけです。
クリスチャンで医師の細井順先生も、田中先生も、ご自身の死を穏やかに受け止めることができるのは、しっかりした死生観を持っておられることにあると感じます。
一朝一夕でそれを獲得できるわけなどありませんが、そのための努力が豊かな人生につながるのではないでしょうか。

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