2018年4月、5月、6月分の日記です。
2018年4月1日 日曜日
キモい展
新潟県立自然科学館において開催中の「キモい展イン新潟」に行ってきました。
この日は学校が春休み中ということもあり、入館チケットを買うだけで長蛇の列。とりあえず並んでいると「キモい展、現在100分待ち」の大きな立て看板があることに気づき、プラネタリウムのチケットだけ買って「キモい展」はあきらめました。
「キモい展」とはタイトルそのままに、世界中から集めてきた、これまで見たことのないような「気持ち悪い」とか「グロテスク」と感じる容姿や形、色などをした不思議な生物を30種類以上堪能できる展覧会です。
怖いもの見たさという言葉がありますが、美しいものを観たり聴いたりしたいと同じくらい「キモい」ものを観たいという欲求も人にはきっとあって、ホラー映画などにも共通する何かがあるような気がします。
プラネタリウムは四季それぞれの星座の位置を楽しく解説した内容で、タレントの篠原ともえさんがナレーションだけでなく監修もやっており、彼女が国際天文学連合によって認定されるほどの専門家だったことを知って驚きました。
「あの北斗七星のひしゃくの柄の部分は、大熊座のしっぽなんだよ」なんて誰かに言ってみたくなりました。

2018年4月4日 水曜日
「知的ヒントの見つけ方」の表紙
立花隆さんの「知的ヒントの見つけ方」を読みました。
本書は月刊「文藝春秋」2014年8月号から2017年12月号まで連載された巻頭随筆と特集記事をまとめた内容で、生と死に学ぶ、歴史と語らう、科学を究める、戦争から考える、政治と対峙する、特別講義 未来を描く、という6つのコンテンツに分かれており、私たちを取り巻く膨大な情報をどう取捨選択し読み解いていくか、立花さんがジャーナリストとして培ってきた、ものの見方考え方をニュースソースの実例に即しながら解説しています。
インターネットの普及は、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌が世の中を知る主な情報源であった時代と比べ、受け取る情報量は劇的に増え、俗にいう「アラブの春」に見るように世界に及ぼす影響は既存のメディアよりも大きいと思います。しかし、自分が見たいもの聞きたいものだけを選べるという性質上、フェイクと呼ばれるまったくのウソの情報や、ヘイトスピーチなどが大きな問題になっており、個人の持つ良識というものが過去のどの時代よりも求められていると感じます。
こういった状況の中、現政権はNHK関係を除き放送という制度を事実上なくしてインターネット通信へ統合、民放テレビ局とAbemaTVなどのネット動画配信サービスを同列に扱う構想を表明しており、早ければ今年秋の臨時国会に関連法案が提出される見込みです。規制緩和によって多様な番組が流通するようになるのは結構なことですが、放送の規制を全廃してしまえば、政治的公平性が失われて偏った番組が台頭することになるのではないでしょうか。
ますます混迷を深めていく時代に、自分を支える教養を身に着けるには、本を読むことが一番なのではないかと思います。

2018年4月13日 金曜日
「100円つみたて投資入門」の表紙
先日、長岡駅ビルの本屋さんに行ったところ、都道県別の年間書籍購入費ランキングが壁に貼ってありました。1位は山梨県で18,563円、新潟県は46位、4,755円でした。これだけで新潟県人は読書に関心がないとは言えませんが、自身を振り返ってみても、このコーナーで紹介しているような一般書籍は確かにあまり買わないので納得するところはあります。
ケータイが登場する以前は、本屋さんは待ち合わせ場所の定番で、待たされても気の向くままにパラパラとページをめくっていれば時間が過ぎるのが早かったし、遅れてきた相手に「本を探していたからちょうどよかった」と言えるし、初対面の相手でも本が会話のきっかけになったものです。
さて、今回紹介する若林史江さんの著書「100円つみたて投資入門」は実は本屋さんではなくコンビニで見つけました。若林さんを知ったのはテレビの情報番組で、マツコデラックスさんとのやり取りが実に面白く、タレントさんだとばかり思っていたら実は株式トレーダーだと知って驚きました。
そういうわけで本書は投資の専門家である若林さんが、超ビギナー向けに大きな文字でやさしく解説するつみたて投資の入門書です。
預金と違って元本割れリスクのある金融商品は、ちょっと怖いイメージがあるし、そもそも回せるお金がないと言う人は私だけではないと思います。しかし、今や投資信託ならネット証券を利用すると100円から積み立てられるようになっているし、2017年1月に始まった厚労省による年金積立制度「iDeCo」や、2018年1月からは5000円でできて利益にかかる税金はすべて非課税となる「つみたてNISA」が始まりました。
10年単位の積み立てなら相当にリスクも減らせて、銀行預金よりも利回りが期待できるようなので、若い人は時間を沢山持っているというアドバンテージを生かした積み立て投資は役に立つし、経済に関心を持つアイテムとしても良いと思います。

2018年4月14日 土曜日
ネコ科動物をモチーフにした香炉
新潟県立万代島美術館において開催されている古代アンデス文明展を鑑賞しました。
アンデス文明といえばインカ帝国や地上絵で有名なナスカがありますが、今回の展覧会は5千年以上前(日本では縄文時代)にアンデスの地(現在のエクアドル、ペルー、ボリビア、チリ)に出現し、後のインカ帝国成立(1476年、日本では室町時代)へとつながっていったカラル、チャビン、ナスカ、モチェ、ティワナク、ワリ、シカン、チムーそれぞれの遺跡から発掘された出土品が年代別に展示されており、古代アンデス人の世界観や文化、死生観などが伝わってきて、その豊かな精神世界に感動しました。
写真はティワナク文化のネコ科動物をモチーフにした香炉です。アンデス文明の出土品をながめて感じるのは、争いごとに関係するものはほとんどなく、すべてにおいて穏やかで可愛らしい表現が多いということです。
トマトやトウガラシ、ジャガイモなど、今やなくてはならない作物も古代アンデスの地で育まれ、後に世界の料理を変えたと言われていますが、農耕に限らず、すぐれた科学的知識は持っていたのに、文字と貨幣は持たなかったことが不思議です。けれど、物々交換でいたからこそ穏やかであったのかも知れません。ちなみに純金の装飾品や器もアンデス文明を象徴するアイコンになっていますが、当時は経済的な価値は無かったのだそうです。

2018年4月25日 水曜日
1時間でわかる乳がん
何かの判断をしなければならない時、かかわる専門的知識の詳細まで知る必要はなく、全体的なイメージがつかめればいいと、ホリエモンこと堀江貴文氏はいいますが、病気になって精神的、時間的余裕もないシビアな状態で、治療法の選択を迫られたような時こそ、こういった思考が必要になると思います。
今回紹介するマンガ「1時間でわかる乳がん、元気になるまでの治療・お金・家族の話」は、人生の物語の一部としての病気とどう向き合ったらいいか徹底した患者目線で描かれており、患者さんはもとより医療者も含め周囲で支える人たちにも、ぜひ読んでほしい一冊です。
本書は、すべて実在の患者さんの体験を、専門医、患者会の代表による監修のもと
第1話「ひとりで闘病」
第2話「乳房再建・温存」
第3話「お金」
第4話「再発」
という4つのテーマで描かれており、患者さんが知りたい病気のイメージは医学的なことだけではなく、人生の物語(ナラティヴ)の一部としての乳がんであることを考えると、マンガという表現方法は実に優れていると改めて思いました。
特に心に残ったのは、夫の何気ない一言で妻の心が折れてしまった話と、頼みもしないのに余命宣告をするような医者はロクなもんじゃないという患者会代表の言葉です。どちらも関係性の問題であり、お互いに悪意などなく善意のすれ違いであると思うのですが、なぜ、それが起こってしまうのか。
苦しみ悩む人を前にして、自分に何ができるか、私たちは考えてしまいがちだし、それも大切なことではあると思いますが、ホスピス医の細井順先生が説かれた「できない者同士がここにいる」という感覚を患者さん、主治医、家族も持つことができたら、治せなかったとしても幸せにはなれるのではないか。そう思います。

2018年5月8日 火曜日
小説「おらおらでひとりいぐも」の表紙
ラジオで俳優のきたろうさんが絶賛していた若竹千佐子さんの小説「おらおらでひとりいぐも」を読みました。
「おらおらでひとりいぐも」とは岩手県の方言で「私は私で一人で行きます」という意味ですが、宮沢賢治の詩「永訣の朝」に出てくる言葉です。
私は学生時代を仙台で過ごし、最初のインターンが盛岡だったこともあって東北弁は聞き覚えがあり、新潟の方言と少し似ているところもあるので、作品を印象付ける東北弁を面倒に感じることはありませんでした。ちなみに私が育った在郷では「おら」とは「私」ではなく「私たち」で、対義語として「ねら」(あなたたち)といった使い方をします。一人称の私を指すときは男女問わず「おれ」になります。
さて、本作の主人公である桃子さんは70代半ばの女性。若い時に親が持ってきた縁談を振り切って都会に出てきて、そこで知り合った同郷の若者と結婚し、郊外に家を買い、子供が生まれ、やがて巣立ち、夫は十数年前に病気で突然亡くなり、以来、一人暮らしを続けているという、現代では何処にでもある、ありふれた老後の姿を桃子さんが独白で語っています。
本作は誰もが体験するであろう、老いていくということの普遍的な葛藤や悩みや喜びを新鮮に描き切っています。その葛藤自体は平凡といえば平凡ですが、切実さと共にリアルな迫力を持って描かれているのでダイレクトに読み手に伝わってきます。自分と娘の関係、自分と息子の関係、自分と夫の関係、これまでの人生の光と影を振り返って、これでよかったのかと自問自答する中から、桃子さんが導き出したのが「おらおらでひとりいぐも」という清々しい決意でした。
老いをどう生きるか、生きたいか。歳を取るのも悪くないと思いたいものです。

2018年5月16日 水曜日
SONY Walkman A40
出かける時には必須のSONYのウォークマン。さすがに7年間使うとヘッドホンのコネクタ部分に接触不良がでてノイズが酷くなり、バッテリーの持ちも悪くなったので新調することにしました。
ポータブルオーディオもハイレゾ音源を再生できる機種が増えSONY以外の選択肢も考えましたが、価格とパソコン向けの管理ソフトウェアが充実していることから結局ウォークマン(SONY Walkman A40)に落ち着きました。
最近ではオーディオ機器もスマホで管理するのがスタンダードになっており、ハイレゾ対応のDAC内蔵スピーカーを購入してみたらスマホがないとコントロールできないことが判明して、iosを使うために仕方なくiPodを購入するハメになった経験があります。最近の大学生はパソコンを使えないという話を深澤真紀さんがラジオでされていましたが、情報機器の中心はパソコンではなくスマホに移っているのは間違いないようです。
使ってみた感想は、SDXCカードが使えるため大容量のハイレゾ音源が気軽に使え、パガニーニの24のカプリース Op.1 第24番イ短調など、ヴァイオリンのソロ曲を聴くと高音の美しさが際立って、音色の奥深さはもちろん、弓の動きから息づかいまで細部にわたって再現され、さすがSONYといった感じです。ただ、ポッドキャスト機能がなくなっていたことは残念です。

2018年5月27日 日曜日
「蚤とり侍」のポスター
鶴橋康夫監督作品「蚤(のみ)とり侍」を観ました。原作は小松重男の短篇小説です。
鶴橋監督の作品は、後妻業の女をめぐって繰り広げられる欲望渦巻く赤裸々な人間模様をコミカルに描いた「後妻業の女」が実によかったので、「蚤とり侍」にも期待したのですが、いまひとつテーマがはっきり伝わってこない感じがしました。
現代でいえば中間管理職である越後長岡藩・勘定方書き役の小林寛之進が、生真面目すぎるあまりに殿の怒りを買って藩を追い出され、江戸の人々に助けられながら、世の中の激動に飲み込まれていくというストーリーで、そこには現代のサラリーマンにも重なる部分があり、不条理でばかばかしく、笑える作品に仕上がっています。
権力者による横暴は、いつの時代でもあることは歴史が証明しているし、今、世間を騒がせている森友・加計問題、詩織さんレイプ事件、日大アメフト部問題などもハラスメントなど表現は違っても典型例だと思います。そんな世の中で真っ直ぐすぎるくらいに立つ主人公、小林寛之進のように生きるのは清々しく素敵だと思いますが、自分にそんな生き方ができるかと問えば、「うーん」というのが正直なところです。日大の反則タックルをして謝罪会見をした学生さんを見習いたいと思います。

2018年5月31日 木曜日
「教養としてのテクノロジー」の表紙
伊藤穰一(じょういち)さんを初めて知ったのは、さまざまな分野で世界の最先端を走る人たちが、みずからのアイデアをプレゼンするNHKのテレビ番組「TEDカンファレンス」でした。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長である彼が提案する「未来を予測しようとする代わりにその場で創造する新しいアプローチ」という考え方が、障害学が提唱する問題解決のアプローチと似ていることに興味を持って、彼の著作を読むようになりました。
今回紹介するアンドレーウールさんとの共著「教養としてのテクノロジー」は、テクノロジーという視点からみた、ユニークかつ堅苦しくない文明論、近未来論、哲学論です。
まだインターネットに接続することが難しかった30年前、テキストでの通信手段といえばパソコン通信でした。それはネットのようにすべてがつながった世界ではなく、原則一つのホストコンピューターに会員のみがアクセスして様々な情報交換を楽しむ、ちょっとマニアックで秘密の世界でした。でも、そこには一定のルール、テクノロジーを使うための倫理があったように思えます。ところが、ムーアの法則にしたがって急速にコンピューターの性能が向上し、ネットが普及すると、そこは無法地帯となってしまった感じがします。
AIや仮想通貨、ブロックチェーンなど、まだそれほど身近なものと感じないテクノロジーにおいても、ネットがそうであったように急速に生活に入り込んでくることは間違いなく、私たち一人ひとりに影響を与え、これまでの延長線上にはない生き方を迫ってくるようになるでしょう。そういった世界で、テクノロジーが幸せにつながるようにするためにはどうしたらいいか。
伊藤さんは指摘します。市民に必要なのは技術的な仕組みを理解することではなく、テクノロジーが変えつつある世界をきちんとした視点を持って捉えることが大切であって、テクノロジーの背景にある考え方を哲学として対話していくことだと。
・AIは労働をどう変えるのか?
・仮想通貨は国家をどう変えるのか?
・ブロックチェーンは資本主義をどう変えるのか?
こういった問いに答えるには「人間とは何か?」「働くとは何か?」といった本質的な、そもそも論を考える必要があるはずで、そこから新しい幸福論が生まれてくるのかも知れません。

2018年6月3日 日曜日
「万引き家族」のポスター
いつまでも余韻にひたっていたい、もう一度劇場で観たいと思う、そんな作品に久しぶりに出会いました。是枝裕和監督作品「万引き家族」です。本作は原作のない映画オリジナルストーリーです。
ビルの谷間に忘れられたようにある古い木造平屋建て。ここに暮らす5人の「家族」
「祖母」の初枝
「父」の治
「母」の信代
「信代の妹」の亜紀
「息子」の祥太
家は初江のものですが、実は彼らは血のつながりのない他人で、それぞれの事情から互いにこの家に身を寄せており、初江の年金を当てに暮らしています。それで足りない分を治と祥太が絶妙のチームワークで万引きしてきた食料や日用品で補っていました。
ここに新しい幼い「娘」が入ってくることで物語は展開を始めます。アパートのベランダで泣いている「娘」を、「父」が拾ってきたことで「家族」のなかに新しい関係が生まれ始め、偽りの「家族」の真実が少しずつ明らかになっていきます。
まったく無駄がなく印象深いシーンと、役者たちの卓越した演技に涙を流すうち、いつしか「家族」とは何かということに想いをめぐらせていました。
是枝監督がキリスト教を信仰しているかどうかは知りませんが、本作で描かれている家族観、もっといえば人間観にキリスト教的なものを感じました。
キリスト教的な考え方に「愛を受けた者だけが、他人に愛を注げるのだ」というものがあります。本作にはその考え方が色濃く反映されていて、「信代」は初枝に愛され、家族に愛されたからこそ、自分も幼い「娘」を我が娘のように愛そうとしたし、彼女を失った時にまぎれもなく「娘」の母として涙を流したのだと思うのです。また、実の親から酷い虐待をされていたにもかかわらず(愛されていなかった)「祥太」を心配することがきる幼い「娘」は超越的な存在として描かれていたと感じるのです。
クリスチャンで医師の細井順先生は、この作品をご覧になってどんな感想をお持ちになるか、ぜひ聞いてみたいです。

2018年6月10日 日曜日
「友罪」のポスター
1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の加害者の男性が、事件に至った経緯から犯行後の社会復帰までの過程を「元少年A」名義で書いた「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」が2015年に出版され、識者や世論においては出版の是非や内容をめぐって賛否が割れ、大きな反響を呼びました。
書店で興味本位で手に取ってはみたものの、心情的に買う気になれず平積みに返して、すっかり本のことは忘れていましたが、瀬々敬久監督作品「友罪」を観て神戸連続児童殺傷事件を思い出しました。
本作は薬丸岳の同名小説が原作で、子供の時にいじめにあっていた親友を見捨て、自殺にまで追い込んでしまった心の傷を負っている男と、子供の時に幼児連続殺人を犯してしまった男が、過去の過ちから逃げながら生きている姿を中心に、息子が子供の頃に起こした交通事故殺人を償い続ける父親、元恋人からAV撮影を強要され自殺寸前まで追い込まれている女、仕事熱心のあまり関係性が悪くなってしまった自分の娘が、父親がわからない赤ちゃんを妊娠したことを知らされ動揺する医療少年院で指導員をしている女、それぞれのドラマがリンクして、罪を償うとはどういうことか、過去に罪を犯した人間は幸せになってはいけないのか、報道の倫理とは何か、重いテーマが突き付けられる社会派の秀作でした。
手に取った本を元に戻したのは、被害者の心情を思うと買うことはできなかったからですが、家に持ち帰って読んだ方には、また別の思いや考えがあったはずで、難しい問題です。

2018年6月27日 水曜日
くちなしの花
先月、ホームセンターで見かけて、純白の小さい花と清楚な香りにひかれて買ったクチナシが、すべて開花して終わったかに見えたのに、再び花をつけてくれました。
ウィキペディアで調べたところ、クチナシの花言葉は「とても幸せ」だそうです。たしかに、この花にふさわしいと思います。音楽に例えるならバッハのゴルトベルグ変奏曲がふさわしいと思います。

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