2018年10月、11月、12月分の日記です。
2018年10月7日 日曜日
転倒予防学会のポスター
浜松市において開催された転倒予防学会第5回学術集会に参加しました。
「転倒予防学会」なんて聞くと、そんな冗談みたいな学会があるの・・・?と思われるかも知れませんが、要介護状態になる大きな要因の一つとして転倒による骨折があり、介護予防を考える上で転倒を防ぐことはとても重要なことです。
転倒予防学会は、転倒という事象の背景にあるロコモティブシンドローム、サルコペニア、フレイルといった医学的な要因や居住環境などとの相関を研究したり、そこから得られた知見を基に、より実践的な転倒予防のメソッドの開発、また、福祉人間工学や情報工学の知見を転倒予防に生かす研究などもしています。同時に、理学療法士、看護師など既存の医療資格者などに学会認定を取得してもらい、病院や施設でのKYT活動、地域での転倒予防活動を担ってもらう人材の育成もしています。
今学会は「多職種で奏でる新たな転倒予防のハーモニー」というテーマで医療、福祉、工学、社会学など、それぞれが持つ知識、技術、経験等を集めて、学術研究をより一層深めると共に、より具体的で実効性のある社会的対応、実践を計画、実現することを目的として開催されました。
私は、新潟リハビリテーション病院の山本先生が座長のイブニングセミナー、基調講演、学会認定取得者向けのワークショップ、ランチョンセミナー、立川メディカルセンターの立川先生が座長のシンポジウムを中心に参加しました。
イブニングセミナーでは、歩行分析をコンピューターを使って視覚化する技術(モーションキャプチャー)を使うことにより、的確な評価が短時間で行えることが紹介されました。
ヒトは歩いている時間の8割を片足で体重を支えており、無意識にバランスを保っていますが、これを分析することで転倒リスクを数値化することができます。
学会認定取得者向けのワークショップは全国を地域別のグループに分けて、前半は各々の施設で取り組んでいる転倒予防に関する取り組みと問題点を出し合い、様々なケースの実例をもとに有効と思われる転倒予防活動を考え、後半で各グループの代表者が討論された内容を発表しました。私のグループは北陸地域で、大学病院勤務の理学療法士2名、看護師2名と私で、病院内での転倒事故を中心に討論が進みました。
私は長岡市の介護認定審査会での経験も紹介しながら、転倒リスクを考える上で重要なファクターの一つとして視覚障害が取り上げられることがないことを指摘しました。前夜の大学教員や医療関係者との宴席上、ロービジョンケアという言葉を知っている人がどのくらいいるか聞いてみたのですが、知っていた人は皆無で、研究者に視覚障害は関心を持たれていないと感じました。
スポンサードセミナーでは、脊椎外科の進歩というテーマで椎体の圧迫骨折に対する最新の治療法を浜松医科大学の戸川大輔先生が解説されました。
高齢者の圧迫骨折は原則的には保存療法が第一選択で、変形治癒で脊柱全体のアライメントが崩れるのは仕方ないことでしたが、戸川先生のグループが実施している手技は、潰れている部分にバルーンを挿入し整復した後、骨セメントで接合するという手技で、患者の負担も軽く治療成績も良く、早く全国に普及することが望まれます。
シンポジウムは、静岡大学の伊藤友孝先生による「高齢者の歩行解析と不整地での歩行を支援するロボット杖の開発」国立長寿医療研究センターの近藤和泉先生による「高齢者の転倒リスク管理について 見守りシステム、ロボットを用いた転倒予防研究の成果」という演題を通して、医療と工学の連携による転倒予防を考えるという内容でした。
近年、医療分野においてもロボットやIot、AIを活用し患者のQOLを上げる取り組みがなされていて、そのめざましい発達は目を見張るものがありますが、私が注目したのは近藤先生の演題の中で紹介されたHMB(3-ヒドロキシイソ吉草酸)摂取による筋量増加をメタ解析したデータで、HMBは効果があるというエビデンスが示されたことです。HMBは必須アミノ酸であるロイシンの代謝産物で簡単に説明すると、体に筋肉を合成するようにシグナルを送る働きがあり、サルコペニアの予防や改善に効果が期待できます。
私は介護保険の導入と同時に、この分野にかかわるようになり、独立行政法人東京都老人総合研究所で、虚弱高齢者のスクリーニングとか、アセスメントの取り方、改善プログラムの立て方など学んだものの、介護認定審査会以外で専門性を生かせる場もなく時間が経ってしまいました。そんな折、本学会の存在を知り、もう一度知識の再確認をするべく学会認定試験を受け、学術集会にも参加したという次第です。介護予防という分野はコストにならないにもかかわらず多くの優秀な方たちが全国から集まりました。これだけでも本学会の価値が高いものであることの証明になると思います。
来年度の第6回学術集会は立川メディカルセンターの立川厚太郎先生を学術集会長に新潟市の朱鷺メッセにおいて開催されます。

2018年10月31日 水曜日
地球星人の表紙
村田沙耶香さんの長編「地球星人」を読みました。「消滅世界」「コンビニ人間」で、すっかり村田さんの小説世界に魅了されて、今度はどんな物語が待っているのだろうとドキドキしながらページをめくると、人間にとって性や愛とは何か、ふつうとは何かが、前作よりもより深く、より過激な表現で描かれており、これまで以上に物語に引きずり込まれるような感覚になりました。
物語の前半は、小学生の時に塾の若い講師から性的暴行を受け追い詰められた奈月と、純粋な愛を守ることを誓った従弟の由宇が引き裂かれるまで。後半は、世間の結婚圧力から逃れるため少し変わった出会い系サイトで夫を見つけた奈月と、由宇が再会してからを描いています。夫を含め、かつての祖父母の家で暮らし始めた3人は、なぜ自分たちがこれほど生きづらいのか考えます。それは、思わぬ激しい展開に向かう物語に隠れて文明批評の雰囲気さえ感じさせます。
人のセックスと妊娠、そこから家族ができるということに対する違和感が昇華したらどうなるのか、衝撃的なエンディングに度肝を抜かれました。

2018年11月11日 日曜日
映画「スマホを忘れただけなのに」のポスター
先日、ネットを使っていると大手家電量販店のページが突然開き、あなたはiPhoneを1,000円で購入できる特典に当選したので、希望するなら手続きをしてほしい旨のメッセージが表示されました。手続きを完了するには3分以内にフォームに個人情報を書き込むようにとあり、特典に当選した人、ハズレた人のコメントも載せられていました。一瞬エッ!と思いましたが、ブラウザのタブを開いて「ヤマダ電機 詐欺」でサーチをかけると思った通りフィッシングサイトで、なぜか常駐しているセキュリティソフトが反応しなかったようです。まぁ、それだけよくできたサイトだということですが、ひっかかるポイントは、第一に大手家電量販店のサイトを再現していること、第二に一世代前のiPhoneであることがリアル(だから安くできるのかもと思わせる)、第三に時間を切って冷静さを失わせるように仕向けている事だと思います。
スマホが普及した現代では、こういったネットに関わる犯罪がいっそう身近になっていますが、そんな社会背景から生まれた中田秀夫監督作品「スマホを落としただけなのに」を観てきました。原作は志駕晃さんの同名小説です。恋人がタクシーにスマホを忘れたことから、猟奇的事件に巻き込まれる若い女性の姿を描いており、スマホの拾い主からストーキングされ、主人公が精神的に追い詰められていく現代的な恐怖の表現は、日本のみならず世界で知られたホラーの巨匠である中田監督ならではで、特に忍び寄る悪意を音で表現する技法は本作でも健在でした。
スマホが他人の手に渡った時に、電子マネーの不正利用や個人情報の大量盗難など、リスクが必ずあることを学べる教育的な意味も持つ作品です。(スマホを使っていない私が言うのもなんですが)

2018年11月16日 金曜日
「そもそも理論的に考えるって何から始めればいいの?」の表紙
「2ちゃんねる」の開設者である西村博之さん(ひろゆき)や、落合陽一さん、武田砂鉄さん、社会学者の古市憲寿さん、荻上チキさんなど若手の論客の文章や話を聞いていると話の内容がスッと頭に入ってきて理解できるし納得できます。比べて、連日ワイドショーを賑わせている東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事で代議士の国会答弁を聞いていると、そもそも自分の言葉で語れていないし、さっぱり要領を得ません。この差は何かと考えると「思考力」のあるなしでないかと思えます。
会議の席などで感情にまかせて異論を押し付けたり、自分の主張が通らないと大声をあげたりして周囲から「老害」なんて言われてしまう人は結構いますが、人は年齢を重ねるにつれ思考力をつかさどる脳の前頭葉の機能が衰えて、論理的な思考ができなくなることが原因として考えられると、近年の脳科学は教えています。当然これは自分も例外ではないわけで、論理的な思考力が衰えないようにしたいと切に願うわけですが、ビジネス数学の専門家である深沢真太郎さんの著書「そもそも理論的に考えるって何から始めればいいの?」には「考える」ためのきっかけのつかみ方、問題を解決する方法までがやさしく解説されていました。
具体的には、早くゴールにたどり着くための効率的な考え方、三段論法、消去法の便利な使い方、どんなツッコミにも答えられる頭の中の整理法、相手を論破する反例と背理法の活かし方など、毎日の実践に役立つ数学的な考え方を、丸の内OLのサオリと院生の優斗の会話を通して解説しています。数字を使わない数学の本としても面白く読めるので、数学嫌いな学生さんにもおすすめです。

2018年11月18日 日曜日
映画「人魚の眠る家」のポスター
堤幸彦監督作品「人魚の眠る家」を観ました。原作は東野圭吾さんの同名小説です。
プールでの事故により意識不明のまま眠り続ける娘を前に、母親が究極の決断を迫られるヒューマンミステリーで、脳死は果たして人間の死なのかという過去にマスコミでも熱心に論じられた問題がテーマになっています。
脳死と臓器移植を扱った文学作品は渡辺淳一さんの「ダブルハート」(後にドラマ化された)をはじめ、これまでにもありましたが、本作は脳死した幼い娘の母親が主人公で、たとえ意識は戻らなくとも、この子は生きていると確信する無償の愛は涙と共感を誘いました。
堤監督の作品は2013年公開の「くちづけ」がとても印象に残っていて、知的障害のある娘を持つ父親が末期のがんに侵され、ひとりでは生きていけない娘を残して死ねないと苦悩する姿を通して、人間の価値や幸福な社会の在り方を考えさせられましたが、本作は人間の生と死について考えさせられる力作でした。

2018年11月25日 日曜日
映画「ハードコア」のポスター
山下敦弘監督作品「ハード・コア」を観ました。1991年に出版されたマンガ「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」を実写映画化した作品です。
あまりにも純粋で不器用なために世間に馴染めずに生きてきた男、右近。その相棒でエリート名家に生まれるもプレッシャーからか精神を病んで、日常会話すらおぼつかないけれど心優しい男、牛山。彼らは右翼活動家の埋蔵金堀りを手伝って月収7万円の生活をしていました。そんなある日、右近は牛山が寝泊りしている廃工場で古びたロボットを見つけます。右近の弟で商社マンの左近が調べると、実は量子コンピューターを使ったAIを搭載するロボットであることが判明します。彼らはロボットと不思議な友情を築いていく一方で、その能力を使って巨額の埋蔵金を密かに発見してしまい、人生を一変させる事件へと巻き込まれていくというストーリーです。
曲がった世の中を真っすぐに生きようと懸命に頑張る男たちの健気さ。そんな男たちの心を一番理解し救ったのは同じ人間ではなくAIであったという世の中に対するシニカルな視線。タイトルとポスターの雰囲気から単純な娯楽作品だと思って劇場の椅子に座りましたが、可笑しくて、切なくて、胸にジンとくる作品でした。

2018年11月29日 木曜日
雑誌「FLASH」の表紙
毎日、健康や病気に関する情報はあらゆるメディアを通して流されていますが、情報の質という点においては玉石混合で、信じるに値する情報を選択するのは難しいと感じます。こういった状況の中、がん患者さんの弱った心につけこんで効果のない治療で大金を巻き上げる医療機関(クリニック)が存在しているようです。
よく、田舎ではJAの建物などを借りて、健康器具や布団、調理器具、健康食品など原価数千円程度と思われる商品を、概ね50万円くらいで高齢者に売りつける「ハイハイ商法」という集団心理を利用した実演販売が今でも行われているようですが、医療機関ということは医師、看護師をはじめ正規のライセンスを持つ職員が常勤しており、患者さんから見れば一定の信頼はおける施設に思えるわけです。しかし、そこで提供される治療(がん免疫療法と称する)に効果は全く期待できず、数百万円もの治療費を請求されるとしたらどうでしょうか?医師が行う分だけ罪深い行為ではないでしょうか?
写真は雑誌FLASH 12月4日号の表紙ですが、「やってはいけないがん免疫療法」という記事が掲載されています。記事は押川勝太郎さんをはじめ、現役の腫瘍内科医、外科医が監修しており、効果がない治療と、それを提供する医療機関に対する批判、効果が実証された治療薬が患者さんに届けられるまでの道のり、怪しげな医療機関を見分ける方法などが解説されています。
この記事の中で気になったのは、なぜ、患者は良識ある医師の治療よりも、お金だけが目的の医師を選んでしまうのかという点について、患者会の代表の方が「私は主治医が患者をインチキ治療に向かわせていると思う」と述べていることです。抗がん剤の副作用が辛いことを主治医に訴えても軽くあしらわれたり、容態の良くない患者は「もう見込みはないね」などと簡単に言われれば、優しい言葉をかけてくれるインチキ治療に惹かれる心理も理解できるというわけです。
10年以上にわたって、新潟大学医学部の学生と生命倫理について討論しましたが、医療者と患者の関係論は毎年必ず挙がったテーマで、医師と患者は互いに善意なのに、なぜすれ違うのか、自分なりに考えた末の結論は「客観の世界に住む医師のところへ、主観でしか自分を語れない患者が訪れる異文化コミニュケーションであるから」でした。では、どうすれば暖かな関係性が築けるか、一つの方法として現在、新潟県立十日町病院で院長をされている吉嶺文俊さんの考案された「健康ファイル」(2015年9月に紹介しました。)を挙げます。医療行為に役に立つのはもちろん、医師と患者のコミュニケーションツールとしても使え、安価で使い方も簡単です。ただ、「受け入れてくれる医師ばかりではない」と、知人の医師は言っていましたが、患者が自分のカルテとして持っていること自体に価値があります。
今も、病気と向き合って悩んでおられる方は、どうか主治医と良い関係性を築いて、療養生活が楽になるように、間違った情報に惑わされないようにして下さい。ネットでは押川勝太郎さんのブログが参考になると思います。
私は、忘れていません。(=^・^=)

2018年12月2日 日曜日
献血30回記念品
献血に行って来ました。憶えていなかったのですが今回が30回目で写真の記念品がもらえました。彫刻家の多田美波さんの作品です。ちなみにメルカリで見たらやっぱりなぁ・・・500円(笑)メール会員にはネットでAmazonのギフトのほうが荷物にならなくてよかったりしますよね。もしくは検査項目にHDLを加えてもらったほうがうれしいかなぁ。
あっ、今、思いついたのですが、間寛平さんの若いころのギャグで「血ィ吸うたろかぁ〜」というのがあって、彼はキャラクター商品も作っていたのですが「アメマバッチ」というのがあり人気でした。そこで日赤さんで「血ィ吸うたろかぁ〜バッチ」を寛平さんにデザインしてもらい、景品にしたらどうでしょうか。ウケると思うのですが。ちなみメルカリではアメマバッチ、1万円でした。

2018年12月15日 土曜日
「発達障害と言いたがる人たち」の表紙
先日、学習塾の先生(数学)と話していて、発達障害の話題になり、先天性の障害であれば他の障害同様に一定割合で生まれてくるはずで、昔も今も数的には変わらないはずなのに、最近やたらと増えたように感じるのは何故だと思うかと問われ、考え込んでしまいました。確かにNHKでも特番が組まれたり、書店の棚にも関連本が並んでいたりと、世間から関心を持たれていることは知っていましたが、発達障害という言葉には、どこかとらえどころがないイメージがあるように思えます。塾の先生の疑問は、おそらく多くの人が共通して持つもので、これに答えてくれそうな本はないかと選んだのは精神科医の香山リカさん著「発達障害と言いたがる人たち」。医学的なことだけでなく社会とのかかわりも含めた発達障害を論じています。
第1章 増加する大人の発達障害
第2章 発達障害はなぜわかりにくいか
第3章 そもそも発達障害とは何か
第4章 発達障害が活躍する時代がくる?
第5章 過剰診断という悩ましい問題
第6章 発達障害はどこへ向かうのか
という構成で、そもそも発達障害はマーカーや画像など客観的な指標がないことから、その定義は時代により流動的で、典型例を除くと発達障害と診断をつけるのは専門医でも難しいという現状がまず述べられます。次に社会的な背景として、発達障害の社会的な関心の高まり、製薬会社による発達障害のプロパガンダ、医師の過剰診断という問題があり、それらに誘導されるように、子供の行動やコミュニケーションに不安を抱く親たち、また、仕事や人間関係の尽きない悩みに原因を求める大人たちが発達障害ではないかと医師のもとを訪れる結果、急激な増加につなっがているのではないかという分析をしています。
自身が抱える生きづらさの原因を医療に求める人たちの心理は、発達障害という免罪符が欲しいからなのかと考えましたが、そういった見方もあるけれども「発達障害」という強烈な個性が欲しいという欲求がむしろ問題なのだと香山さんは指摘します。
ニコ生、ツイキャス、ふわっちなどで、社会的に問題行動ととれらることをネット配信して、結果、偽計業務妨害などの罪に問われ、テレビのワイドショーで報道されるような生主と呼ばれる人たちにも共通するものがあるのかも知れないと思いました。

2018年12月29日 土曜日
「その先の道に消える」の表紙
「教団X」で、その世界観に魅了された中村文則さんの新刊「その先の道に消える」を読みました。
アパートの一室で緊縛師(SMプレイで女性を麻縄で縛る技術を持った人)の死体が発見されます。重要参考人としてマークされた桐田麻衣子は、刑事である富樫が以前惹かれていた女性で、彼は犯人である麻衣子を逃がすため、指紋の偽装をしてしまいます。しかし、洞察力に優れた葉山刑事は、現場の状況と同僚である富樫の行動に疑問を持ち捜査をはじめる・・・というストーリーです。
前半は冨樫刑事の目線で語られ、後半は葉山刑事の目線で語られる物語は、登場人物それぞれが背負った人間の業が絡みあい、緊縛を共通の表現方法として、生と性愛、神道の大麻縄信仰と神の存在を織り込みながら、人間とは「さだめ」というものから逃れたいと思う一方で、それに縛られることを願っているのではないか。そんな思いを登場実物すべてに物語りすべてに感じました。
人は意識するより先に脳活動があると科学は証明しています。意識して誰かに惹かれるのではなく脳がそうさせているのだと。人生を選択しているのは幻想なんだとしたら・・・。
中村さんの仄暗い文体を読んでいると、なぜか落ち着く。不思議です。

2018年12月30日 日曜日
映画「こんな夜更けにバナナかよ」のポスター
2018年は7月に西日本豪雨、8月に台風21号と災害級の酷暑(新潟では8月23日に40.8度を記録)、6月に大阪北部地震、9月に北海道胆振東部地震と災害続きでした。政治的には世界は保護主義が台頭し、各国の協調が崩れてきて秩序から混沌へと向かっているように感じます。国内においても森友加計問題、沖縄基地問題をはじめ政治や行政が信頼を失うような事態が頻発しました。なかでも中央省庁の障害者雇用水増し問題は関心を持って見ていましたが、どのメディアも法定雇用率が守られていないということに終始して、職員の募集に際して障害に応じた配慮があったのかどうか、つまり、結果としての平等ではなくスタート時点での平等が確保されていたのかどうかというところまで掘り下げた報道はなかったように思えます。
仮に募集に際して十分な配慮があったにもかかわらず、既定の学力に達していなかったために不採用になった、あるいは、そもそも受験者が少なかった、その結果、法定雇用率に達しなかったのであれば雇用する側だけを責めるのは間違いです。世の中、努力した事実だけで評価されることはないし、結果としての平等などないことは当たり前です。
さて、今回紹介する前田哲監督作品「こんな夜更けにバナナかよ」は、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した同名書籍が原作で、主人公の鹿野靖明さんは実在した人物です。彼は筋ジストロフィーという難病でしたが、自分の夢や欲に素直に生き、スタートの平等を訴え続けました。本作は彼を支えながらともに生きたボランティアの人々や家族の姿を描いた、涙あり笑いありのヒューマンドラマです。
ぜひ、家族でご覧になっていただきたい作品です。

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