2019年7月、8月、9月分の日記です。
2019年7月5日 金曜日
紫陽花
写真はうちの庭に咲いている紫陽花です。梅雨時の花といえば紫陽花ですが、小雨が降る静かな午後に紫陽花はよく似合います。できれば葉っぱの上にデンデン虫がいてほしいのですが、もう何年も見たことがありません。

2019年7月17日 水曜日
「人の数だけ物語がある。ザ・ゴールデンヒストリー」
文化放送のお昼の帯番組「大竹まことゴールデンラジオ」が好きで、ポッドキャストで聴いています。
くだらなくて笑える話から、ホロリとくる人生の話、テレビやネットとは違った世の中の見方を教えられたり、時には出演者が感極まって泣きながらのトークにこちらも涙するなど、ラジオならではの距離感の近さが、とてもハートフルな番組です。
今回ご紹介する「人の数だけ物語がある。ザ・ゴールデンヒストリー朗読CDブック」は、毎週一つのテーマに沿って市井の人々を取材し、それぞれの人生の物語を大竹まことさんが朗読するコーナー「人の数だけ物語がある。ザ・ゴールデンヒストリー」を番組10周年を記念して編集したものです。涙があふれて、心が温かくなるノンフィクション15編に、今回特別収録としてマスコミで話題になった「鉄道少年」のお話を掲載しています。
今月9日、安倍晋三首相がハンセン病元患者の家族への賠償を国に命じた、熊本地裁判決を受け入れる方針を表明したニュースが話題になりましたが、本書に収録されているハンセン病施設で暮らす磯野常二さんの「薬食いだから」と怪我をした指を切り落とされ、まだ微かに見える左の眼球も摘出された人生を語る85才の言葉は穏やかで、胸にひびきました。
市井の人々が、人知れず抱いている苦しみや悲しみ、それでも生きている現実に触れることで、自分も生きていけそうな気がします。

2019年8月3日 土曜日
新潟青陵大学
新潟青陵大学において開催された社会連携センター企画講座を受講しました。2019年前期講座は、だれもが避けて通ることのできない「いのちの始まりと終わり」をテーマにしています。
第2回目となる今回は「生と死、どのように生きてどのように死を迎える」というタイトルで、新潟青陵大学福祉心理学部社会福祉学科教授の森扶由彦さんを講師に、3時間の講義でした。
前半は森さんによる講義、後半は祖母を看取った女子大学生、夫を看取った元専門学校講師、特別養護老人ホームで利用者を看取った介護福祉士、それぞれが経験した「死」の周囲にあった物語りを語っていただきました。
森さんの講義は、
1.医学的な死
2.社会的な死
3.なぜ「死」は悪いのか
4.死生観とは
5.死生観の世代間の違い
6.死別に対する悲嘆反応
7.死別と健康
8.終活について
という内容で、よく人が感じる最も大きいストレスに「家族や親しい人の死」があるといわれますが、看取る側からの「死」を考えてみようという視点は新鮮でした。
2年前、祖母を看取った女子大学生は、父、母、弟、祖父、祖母の6人家族で、元気だった祖母に介護が必要になったことから祖父、父、母の関係性が悪くなり、大好きだった家族での食事も、祖母のことで険悪なムードになるのが嫌で避けたい気持ちが強くなり、いつしか「おばあちゃん、早く死んでくれないかな」と思うようになったそうです。しかし、祖母が徐々に衰弱し亡くなってみると、なんで自分を愛してくれた人に「死んでほしい」なんて思ってしまったのか、誰にも言えない自己嫌悪と悲しみを抱えてしまった物語を、最初から涙をぽろぽろ流して、声をふるわせ語ってくれました。その悲しいほど誠実な姿に感動しました。
先日、NHKの「ラジオ深夜便」で「よりよい死を迎えるにはどうしたらいいでしょうか」というアナウンサーの問いに、多くの患者を看取ってきた老医師は「誰にとっても平等な時間を、どれだけ他者のために使うかだと思います」と答えていました。
ホスピス医の細井順先生は「生命」は死を持って終わるが、メッセージを残すことで「いのち」が生まれると言い、現代人文学の定義は「身体を軸に、交わりを織り成しながら、物語を紡いで生きる人間の営み」と説きますが、細井先生の思想も前出の老医師の思想も同じではないか、そう思うのです。そうであるなら、祖母に対する後悔の思いも、彼女の人生の物語につづられて、意味あることになっていくのではないか。そう思いました。

2019年8月22日 木曜日
週刊現代の記事
週刊現代、8月24日号に「60過ぎたら転んではいけない、そのことがよくわかる大特集」と題して、まだ60代であっても転倒事故が原因で、平穏な日常が一瞬にして奪われ、みるみる衰弱し介護状態になり、死に至ることさえある。転倒にはそんなリスクが潜んでいることを、実例を挙げながら解説した記事が掲載されました。
2017年度の東京消防庁の統計では、転倒事故での救急搬送数は55,614件で、全救急搬送件数の82.3パーセントを占めます。また、厚労省の人口動態調査では、転倒事故による死者数は9,673人で、交通事故死のおよそ2倍です。
本記事を評価するところは「60代でも危ない」と警鐘を鳴らしている点で、転倒事故の原因となる、座布団につまずくなど生活環境は改善するのも容易ですが、骨密度の低下や運動機能の低下など身体的な要因は簡単に改善するのは難しく、早い段階から意識することが必要だと実感するからです。新潟県のような中山間地域が多い地方では、歩いて10分の距離は車移動が当たり前になっており、健常な状態から要介護状態に至るまでの中間的な段階であるフレイル(虚弱)になってしまうリスクが高い人が多いと考えられます。
長岡では「長岡市多世代健康まちづくりプロジェクト」として、株式会社タニタが運営する「健康くらぶタニタ」が会員制で、食事や運動に関する指導をしています。ひとりでは食事や運動習慣をつけるのは面倒だという方は利用されてみてはどうでしょうか。
*運動指導だけであれば当院でもお手伝いします。

2019年9月4日 水曜日
ぞうさん
先日、ラジオで童謡「ぞうさん」の話を聞いて感動しました。
「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね」
「そうよ、かあさんもながいのよ」
という歌詞ですが、実は鼻が長いことをからかわれたことに対して、返した言葉なのだそうです。相手との関係性を悪くしないで、自分にとっての「ふつう」を述べ尊厳を守る。深い知恵が童謡に込められていたのです。
ALSの患者さんが国会議員になって話題になっていますが、車椅子に乗りPCで会話する彼の「ふつう」を認める社会になってほしいと願います。

2019年9月11日 水曜日
試験会場
新潟大学を会場に実施された登録販売者試験を受けました。本業を除くとケアマネージャー、ITパスポートに続き3回目の国家試験になります。
試験は午前3科目、午後2科目で行われましたが、試験官から説明があり午前の解答用紙が配られ、問題用紙が配られるというというところで、試験会場となっている別の教室でエアコンが故障したことにより、午前の開始時刻を30分繰り下げる連絡がありました。参考書を開くこともできず、解答用紙をながめながら、ただ開始時刻を待つだけの、試験で初めて経験するアクシデントでした。午後は予定通りということで昼食休憩が30分減ることになり、外の飲食店、コンビニを利用することにして昼食を持参していなかった人は大変だったようです。持参するといえば、試験で忘れていけないものに受験票、筆記用具、時計などがありますが、二つ前の席に座っていた若い男性が、家で使う目覚まし時計を持ってきていたのにはビックリしました。
試験問題は過去問に比べ難しくなっていた(特に薬事法規)と感じました。ただ、情報系の試験と違い計算問題がないので、時間に余裕が持てマークシートの転記ミスなど見直すことができて良かったです。合格率は4割を切るあたりだと予想していますが、合格発表は10月11日です。

2019年9月22日 日曜日
映画「人間失格」ポスター
蜷川実花監督作品「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観ました。
昭和を代表する作家、太宰治が「ヴィヨンの妻」「斜陽」に続き「人間失格」を書き上げるまでの物語を、彼が関係を持った3人の女性たちの目線で描く、事実をもとにしたフィクション作品です。
太宰治の物語といえば、子供の頃「冬の花火」というタイトルで石坂浩二さんが太宰を演じたテレビドラマを毎週楽しみにしていました。国語の教科書に載っている和服を着た暗い感じの男が、実は妻以外に2人の愛人がいた人気作家であったことが意外で、小説の面白さを知るきっかけになった作家の一人です。
本作は、結核に侵され、酒と二人の愛人に溺れる自堕落な生活を続ける太宰を、正妻の美知子が忍耐強く支え、やがて彼女の言葉が代表作「人間失格」執筆へと駆り立てていくという物語をライトな感覚で描いており、一番印象に残ったのは「女は愛と革命に生きるのよ」という愛人、太田静子のセリフに象徴される、太宰の弱さと対照的な女性たちの強さでした。太平洋戦争をはさんで激動の時代を生きた作家たちには「死」というものが今よりも身近であったはずで、だからこそ「生きる」とは何かを求め続けたのではないか。太宰は「死」ではなく、生きることに固執したのではないか。本作を観て改めて思いました。

2019年9月29日 日曜日
小説「平場の月」表紙
朝倉かすみさん著「平場の月」を読みました。最後のページを閉じて、また最初から読みたくなる、そんな作品に出会ったのは久しぶりです。
タイトルにある「平場」とは、普通の場所で営まれる人々の日常という意味で、お笑い芸人の使う隠語なのだそうです。だからといって作品はコメディじゃなく、一言で表現するなら「熟年版セカチュー」切ない大人の恋物語。
物語の舞台は埼玉県西南部のとある街。一度は地元を離れるも、再びこの街で暮らす青砥(あおと)健将は、検査に訪れた病院の売店で中学時代の同級生、須藤洋子と再会します。彼女も夫と死別後、地元に戻って独り暮らしをしていました。共に50才。検査結果を待つ身のふたりは「互助会」と銘打って近所の居酒屋で飲む約束をします。
それから度々、居酒屋で開かれていた「互助会」が、いつしか須藤のアパートに移り、ふたりは過去をポツリポツリと語り合いながら徐々に距離を縮めていきます。そんなある日、須藤が大腸がんの告知を受けます。青砥は、術後抗がん剤治療を受ける間一緒に暮らすことを提案し、須藤もそれを受け入れ、二人暮らしが始まります。
ここで須藤と結婚しようと決意した青砥でしたが、須藤はこれを拒み、自分のアパートに戻り、これ以上会わないと言い放ちます。それでも「一年間だけ会わずに待つ」と約束し、ひとりの生活に戻った青砥は、ある日、別の同級生から須藤の「その後」を聞きます・・・。
このまま、もう何もなく人生が過ぎていくだけと思っていた熟年のふたりが、出会って静かに惹かれあっていく。ほぼ誰にも知られず、ふっと始まって、ふっと消えていく、そんな恋は実は普通にあるのかも知れません。その着地点は結婚に限定してしまう必要はなくて、支えあうことを良しとすることは分かるけれど、須藤のように「誰にどんな助けを求めるかは私が決めたい」という関係性もあっていいと思いました。

Internet Explorer 8.0以降でご覧ください。