2019年10月、11月、12月分の日記です。
2019年10月6日 日曜日
転倒予防学会
2019年10月4日、5日の二日間、新潟市の朱鷺メッセにおいて第6回転倒予防学会が開催され、以下のセッションに参加しました。
・転倒予防実践セミナー
・イブニングセミナー 多職種で骨卒中を防ぐ
・ポスターセッション ステップテストを用いた視覚の変化が歩行に与える影響
・一般口演 転倒予防の医科学
・教育セミナー 高齢者の転倒による頭部外傷/高齢者の骨盤輪骨折の治療
・ランチョンセミナー 慢性腰痛のコントロールと転倒対策
・ワークショップ 転倒予防指導士のスキルアップ(有資格者のみ)
一般週刊誌でも転倒で要介護になる危険性を特集した記事が掲載されるなど、転倒を予防する意義が少しづつ世の中に広がってきている中、専門性を持った職種として最新の知見を提供、実践することができるようにしなければと足を運ぶ学会ですが、毎年のことながら自分の勉強不足を痛感させられた2日間でした。
どのセッションも興味深いものでしたが、個人的に関心がある視覚障害と転倒というキーワードでみると、4日の転倒予防実践セミナー、5日のポスターセッションが該当しました。視覚障害が転倒に結び付く事象は少なくないのですが、研究テーマに選ばれることはほとんどありません。
転倒予防セミナーは「転倒予防の知識とスキルを学ぼう」というテーマで、新潟大学整形外科の今井教男先生による演題「1985年から2015年までの新潟県における大腿骨近位部骨折発生状況の推移」の後、柔軟性エクササイズと指導ポイント、筋力エクササイズと指導ポイント、バランスエクササイズと指導ポイントに分けて講義がありました。
興味深かったのはバランスエクササイズです。バランスを保つために使われる機能のうち、視覚が占める割合は大きいものの、それ以外にも前提神経、動眼神経などの深部知覚も深く関係しています。それらに対するエクササイズとして、頚椎の回旋運動と眼球運動を組み合わせた運動療法が紹介されました。方法としては視線を正面に固定したまま、頚椎の左右回旋、屈曲伸展運動を速く行うというもので、速い眼球運動をすることが特徴です。
耳石が移動することが原因で起こる頭位めまい症の治療を考えると、なんとなく効果があるのかも知れないと思いましたが、速い眼球運動は硝子体線維が強く揺れ、その線維の端に付着した網膜が引っ張られて破けて網膜剥離を起こす危険性が中年以降では特に高くなるので、眼トレはしてはいけないと警告する硝子体手術を専門とする眼科医の言葉を思い出し、疑問が残りました。バランスをとるために必要な姿勢反射をチューニングする意味でゲイズスタビリテーションエクササイズが有効だと論文で読んだことはあるのですが、英文だったのでなんとなくしか理解できず、そのままになっていたことを思い出しました。
ポスターセッションの大和大学保健医療学部看護学科の「ステップテストを用いた視覚の変化が歩行に与える影響」は、視覚障害を疑似体験するゴーグルを看護学生につけさせ、ツーステップテストをさせて、ゴーグルのあるなしで値がどう変化したかを解析したもので、視野狭窄がもっとも影響があったという結果でした。ツーステップテストというよりはTMGのほうが、視覚障害が歩行に与える影響をみるという意味ではよかったのではないかと思いました。このあたりの研究は視能訓練士が入るとよい分野であるかも知れません。

2019年10月11日 金曜日
受験票
9月11日に新潟大学五十嵐キャンパスで実施された登録販売者試験の合格発表がありました。
実は試験が終わり、数時間後には民間の教育機関から解答速報が出されていたので、マークシートの転記ミスがなければ合格していることは分かっていました。
試験は午前3科目、午後2科目で出題120問。情報系の試験に比べると難易度は低いです。(今回の合格率は34.4パーセント)
かかった費用は受験料15,000円、市販のテキスト代2,000円、過去問は無料でダウンロードできました。実際に薬局などで働く場合は県に登録する必要があるので、医師の診断書料、登録手数料が必要です。
今回の試験では、薬物動態の基礎を確認できたことと、生薬や漢方薬の知識がほとんどなかったので、試験勉強としてでも学べたことが収穫でした。

2019年10月19日 土曜日
小説「哲司、あんたのような人間を世の中ではクズと呼ぶんやで」の表紙
石田香織さんの小説「哲司、あんたのような人間を世の中ではクズと呼ぶんやで」を読みました。
主人公の哲司は街から逃げ出して、国道沿いの山の中で廃墟となっているラブホテルに、先客のネコのトラオと住みついています。
哲司は事務所だった部屋からボールペンと紙の束を見つけ、ここに来る前にパチンコ店で隣に居合わせただけの男(豊田さん)に宛てて、届かない手紙を書きます。街から逃げ出し、偶然ここにたどり着いたものの意外と居心地がいいこと。トラネコの先客がいたこと。ポソポソと近況が語られる合間に、哲司の五十数年の人生が、行きつ戻りつしながら少しづつ、少しづつ、こぼれ出します。
哲司の記憶の中の最初の父(義父)は、母が勤めるスナックでバイトをしていた学生で、妹を妊娠した母と結婚してから、酒におぼれDVを繰り返すようになります。ある日、幼い妹にまで手を出す姿を見かねた兄は捨て身のパフォーマンスに打って出ます。おかげでDVは止んだものの、怯えた父は蒸発し、母も哲司の同級生の父親と遊んで家を放り出すようになってしまいます。この後、妹が栄養失調で失神したことを契機に、兄弟は別の施設に保護されバラバラになってしまいます。
けれど、そうした不幸を語る哲司の言葉はあまり湿り気を感じさせないどころか、時に愉快にすら映ります。例えば、哲司の同級生の父親を家に連れ込んで、さも家庭的であるかのように取りつくろって朝食を食べさせる母の姿は、哲司と兄の間では笑うネタになります。一方、当の同級生の女の子は、おでん屋を営む自分の母親が「秘伝出汁京風おでん」を看板にかかげながら、実は「シマヤだしの素」を使っていることのほうに傷ついていたりして、ダメな大人たちが見せるバカな姿の数々は吉本新喜劇のようです。
この後、彼がどんな人たちと出会い、どんな人生を歩んで、廃墟のラブホテルにたどり着いたのか、「ろくでもない人生」に興味がある人は読んでいただければと思います。
傍から見れば、せっかく幸せの種から芽が出始めたのに、自ら踏みつけてしまうような人が世の中にはいて、また、そういう人を見捨てない人も世の中にはいて、幸せの価値観なんて決まったものはないけれど、 誰かの、ほんの少しの、思いやりのようなものを感じることができたなら、いい人生と呼べるのではないか。タイトルの「あんたのような人間を世の中ではクズと呼ぶんやで」というセリフは物語の中には一度も出てこないのですが、このセリフは著者が哲司に向けた優しい言葉ではないか。そう思いました。

2019年10月20日 日曜日
映画「楽園」のポスター
瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)監督作品「楽園」を観ました。原作は吉田修一の短編小説(青田Y字路、万屋善次郎)です。
吉田さんの原作で2016年に公開された李相日監督作品「怒り」、昨年公開された瀬々監督作品「友罪」は、どちらも人の心の闇を深くえぐった、実に見応えのある作品だったので「楽園」は吉田、瀬々コラボ作品とあって楽しみにしていました。
舞台は長野県の松本市郊外の山あいの集落で、田舎の閉塞的な社会空間の中に濃い人間関係がある「場所」という要素が、二つの短編小説を一つのサスペンス映画にした本作の、二つの物語をつなぐ重要な背景になっています。
ある夏の日、青田に囲まれたY字路で下校途中に起こった児童失踪事件がありました。事件は用水路で被害児童のランドセルは発見されたものの未解決のままで、被害者である小学6年生の女の子と直前まで一緒にいた同級生の紡(つむぎ)は心に深い傷を負います。
それから10年後、かつてと同じY字路で再び小学生が行方不明になり、公営住宅で暮らす孤独な男、豪士(たけし)が犯人として疑われます。
豪士は再婚のために来日した中国人女性の連れ子で、子供の頃から差別され、同級生からも酷いことをされて集落での暮らしになじめず、大人になっても極端に他人を怖がるようになっていました。10年前の事件でも疑われましたが、警察の事情聴取で母親が犯行当日一緒にいたと証言したことと、証拠不十分で逮捕はされませんでした。
しかし、この時の住民の疑念は10年経っても消えておらず、追い詰められた豪士は松本市内へと逃れ、そば屋にたてこもり、ある行動にでます・・・。
この事件と時を同じくしてY字路に続く集落で、妻に先立たれて愛犬と暮らす養蜂家の善次郎は、村おこし事業をめぐる話のこじれから村八分にされ、追い込まれた善次郎は、ある事件を起こしてしまいます・・・。
中国人女性は息子である豪士に「これから行くところは楽園よ」と話し、東京で妻を亡くし故郷に一人戻ってきた善次郎にとっても、この集落は楽園のはずでした。
この作品の舞台のような集落で育った者としては、時に息苦しくさえ感じる閉鎖的な田舎の人間関係の中で、ボタンのかけ違いや、すれ違い、小さな悪意の積み重ねが、犯罪という形で噴出してしまっても不思議ではないと肌感覚で感じるものがあり、なんだか気持ちが重くなりました。都会は誰にも無関心で殺伐としているといわれますが、田舎はそれ以上に生きにくいところだと思う人も実は多いのではないでしょうか。
よりよく生きたい、この世界をもっといいものにしたいという思いは、この作品の主人公たちも持っていた、でも、叶わなかった。最後に紡に思いを寄せていた同級生の男が「お前は楽園を作れ」と言いますが、この一言が作品全体の救いになっていたと思います。

2019年10月31日 木曜日
荻原博子著「騙されていませんか」の表紙
テレビのバラエティ番組や女性週刊誌でも活躍している経済ジャーナリスト荻原博子さんの著書「騙されていませんか」を読みました。
騙されるなんていうと詐欺の話かと思ってしまいますが、本書は投資に保険、老後資金から節約術まで合法的なサービスを選択し使っていく上で、生活者として知識不足から損をするかも知れない事例を具体的に挙げて、主婦感覚で解く生活防衛の指南書です。
老後の不安をあおるセールスマンのトークや、商品の誘い文句には必ず裏があると荻原さんは言います。例えば「今、投資をすれば老後安心ですよ」とか「日本経済が不安なので今後は円高になりますよ」などはあくまで可能性を話したまでで、必ずそうなるとは限りません。老後の不安と投資はイコールではないという考え方は正しいと思うし、個人年金や投資信託など、種類によっては手数料でむしろマイナスになる可能性もあり、元本割れする投資をするくらいなら、銀行預金のほうが安全というい考え方はアリだと思います。
しかし、今後も消費税は上がるだろうし、物価の上昇で相対的にお金の価値は落ちるのだから、増やさないまでも減らさない工夫は必要だとも思います。
「しくじり先生」というテレビ番組がありますが、15年以上前、子供の頃から親しくしていた人(保険の代理店経営)が支社長という人と連れ立って来て、生命保険のかけ替えをすすめられたことがありました。その人のことを信頼していたので、まさか不利益になってしまうような商品を売らないだろうと思い、保険料も変わらなかったので簡単に応じてしまって大損をしたことがあります。いわゆる生命保険会社の逆利ザヤ問題があった時です。
その時は損したことより、裏切られたという思いにへこみましたが、ちゃんと知識があって冷静な判断ができていれば、そんな気持ちにならなくてもよかったわけです。
いずれにしても楽でウマい儲け話などこの世にはない、人を信じることは大切だけど、確かな情報で確かな判断ができることはもっと大切だと肝に銘じておきたいものです。

2019年11月17日 日曜日
映画「ひとよ」のポスター」
今回は白石和彌監督作品「ひとよ(一夜)」をネタに書こうと思っていますが、ちょっと寄り道を。
「ザ、ベストテン」「ぴったしカンカン」「ニュースステーション」に共通する人は誰でしょう?と問われて、すぐ久米宏!と答えられる人は昭和生まれですね(笑)
今ではニュースキャスターや女子アナは芸能人の新しいジャンルとして認知されていますが、1980年代当時は政治的なことも含め、社会問題に対して自身の考えを述べることがニュースキャスターの役割としてあり、その番組自体の色になるという側面もありました。例えれば新聞の社説のようであり、権力を監視するという報道本来の役割を具現化していた存在でした。その代表が久米宏であり筑紫哲也であったわけです。
その久米さんも今年で75才ですが、毎週土曜日、午後1時から3時までパーソナリティを務めるラジオ番組「久米宏のラジオなんですけど」ではキレのいい話術は健在で、鋭く世相を切ってみせてくれています。
先日の放送では「桜を観る会」に過去2回招待状が届いたけれども放っておいたら、3回目はなかったエピソードを話していましたが、実に久米さんらしくて、なんだかうれしくなりました。
そんな久米さんが新たな試みとして「Knock Knock」というホームページを立ち上げました。様々な経験や見識を持つ人たちがジャンルやテーマにこだわらず動画やコラムで自在に配信でき、視聴者も一緒に考えたり、投稿(会員登録が必要)で番組作りに参加したり、世代や性別、国境も超えて自由に意見や知識の交換ができる交流の場です。画質も音質もYouTubeなどに比べるとはるかに良いです。興味がある方は「ノックノック 久米宏」で検索してみて下さい。
さて、映画の話です。
白石さんの作品は2013年公開の「凶悪」が強烈に印象に残っていて、あれほど後味の悪い作品を撮る監督が親子の物語をどう撮るか楽しみにしていました。
小さなタクシー会社を営む稲村家の母こはるが、手が付けられない家庭内暴力をふるう夫を殺します。最愛の3人の子供たちの幸せのためと信じての犯行でした。こはるは子どもたちに15年後の再会を約束し刑に服します。運命を大きく狂わされた長男の大樹、次男の雄二、長女の園子。残された3人の兄妹は事件のあったあの夜から、心に抱えた傷を隠しながら人生を歩んできました。やがて15年の月日が流れ、3人のもとに母こはるが帰ってきます。
15年ぶりに帰って来た母親と子供たちはどう向きあうのか。母こはる、兄弟3人、どの目線に立つかで違った見方ができる作品だと思いますが、一番印象に残ったのは雄二の「どこからやり直せばいいか、教えてくれよ!」というセリフで、過去にとらわれて身動きできなくなって苦しむ姿に共感する人は多いのではないかと思いました。
親子だからこその葛藤や慈しみが画面全体からにじみ出てくるような作品でした。

2019年11月28日 木曜日
引き寄せる脳、遠ざける脳
女優の沢尻エリカさん。2012年公開の蜷川実花監督作品「ヘルタースケルター」は、彼女でなければ成立しない作品でした。今年放映されたテレビドラマ「白い巨塔」では、色っぽさだけでない、大人の優しさをまとった演技が実によかった。これからが期待される女優さんなのに、今回の薬物による逮捕は残念でなりません。
刹那的な幸せを求める代償は大き過ぎることは分かっているのに、なぜ、人は薬物を求めてしまうのでしょうか。脳科学者の中野信子さんは著書「引き寄せる脳、遠ざける脳」で幸福とはオキシトシンという物質が脳神経に作用して作り出す幻想であると述べています。つまり、私たちは生来、わずかな化学物質にコントロールされるようにできているということです。
本書は、どのようにすれば人は愛され、幸せになれるのか(薬物など使わなくても)そのための考え方と具体的な方法を脳科学の知見で解説しています。キーワードはオキシトシン。
脳科学的に見ると、「幸せを感じる営み」は脳と体が絶えず行う相互作用であり、そこには神経伝達物質であるオキシトシンが大きく関わっています。その分泌がが少なくても、多くても、「幸せ」から遠ざかってしまうと中野さんは言います。
興味深かったのはオキシトシンが個人の生理的な幸せに関係するだけでなく、人の社会的なつながりにも重要な役割を果たしており、それが集団の結束を高めることにも、いじめの発生にも関係しているということです。
脳科学がいう幸福、哲学がいう幸福、宗教がいう幸福、それぞれにアプローチする方法は違うけれども共通していることは、知っているだけではダメで実践した先にしか幸福はないということでしょう。

2019年12月4日 水曜日
健康ファイル
昨年まで「済生会新潟第二病院勉強会」に折をみては参加していました。また、勉強会を主催する医師に誘われて新潟大学医学部医学科4年生の生命倫理の講義に10年ほど参加していました。 この講義では学生を10組ほどのスモールグループに分け、そこに私たちが一人から二人加わり、前半は講義の後、グループごとに決められたテーマに沿って学生と討論し、後半はグループの代表者が討論の内容を発表するというプログラムでした。
討論のテーマは毎回変わりましたが、私は医者と患者の関係性ついて特に関心があって、学生の考えを聴いたり、腫瘍内科医の押川勝太郎先生のブログ「がん治療の虚実」をはじめ関連書籍を読んだりするうち、医者と患者は互いに善意であるはずなのに、時にすれ違って悲しい思いをしてしまうことがあるのはなぜなのかを考えるようになりました。
多くの医者は冷酷な人などではなく、ただ患者と見えている景色が違っている、つまり、科学と客観の世界に生きている医者と、主観でしか自分を語れない患者の関係は異文化コミニュケーションであり、ここにすれ違う原因があるのではないかということに考えが至りました。
医者は自分達が考えるごく当たり前の常識が、患者にとっては日常的な考えから大きく逸脱しているかも知れないことを自覚できないし、患者も自身の考えや思いを伝えるスキルがない、このあたりの問題を考えることが医者も患者も満足できる医療につながるのではないかと思うのです。そして これを考えるヒントとして2015年9月にこのコーナーで紹介した吉峰文俊先生(呼吸器内科医、新潟県立十日町病院院長)が提唱されている「健康ファイル」が参考になるのではないかと思います。
吉峰先生を知ったのは前出の「済生会新潟第二病院勉強会」で、当時、吉峰先生は新潟大学医学部特任准教授で、所属されている総合地域医療学講座の若い先生方と「健康ファイル」を、なんと寸劇で笑いを交えながら解説され、とても大学病院の先生とは思えない人柄に拍手喝采でした。
健康ファイルとは何か、その具体的な作成法と使用法はCaseFileのコーナーに掲載しているので参照していただければと思います。
押川先生は、がん治療が上手くいくかどうかは、主治医との関係性に左右されるとコメントされていますが、健康ファイルは医師と患者の異文化コミニュケーションを円滑にするツールとして期待できる機能を持っていると思います。

2019年12月12日 木曜日
歯科医院
脳血管疾患は日本人の死因第4位で、死に至らなくても片麻痺や言語障害を合併することが多く、仕事の継続が難しくなることも少なくありません。
高血圧や脂質異常症、糖尿病などの生活習慣病や喫煙により発症リスクが高まることはよく知られていますが、歯周病も脳梗塞の発症リスクになることが近年の研究で明らかになってきました。
日本では30代の約8割が歯周病の疑いがあるというデータもあり、老後という概念が無くなるこれからにあっては、お金の問題もさることながら、やはり病気リスクは減らしたいものです。
そういうわけで、歯科の先生にチェックをお願いしました。症状がないと足が遠のいてしまうのは私だけではないでしょうが、症状がないうちが大切です。中年以降で歯医者さんはご無沙汰だという方は、症状がなくても歯科健診をおすすめします。

2019年12月15日 日曜日
長岡北入口バス停
センタープラザ前16:45分発の路線バス、シートに座り目を閉じた。しばらくすると聞き覚えのないバス停を案内する音声。窓の外に目をやると中央循環バスなら見えるはずのない「ウオロク」の看板。慌てて降車ボタンを押し、止まったのが「長岡北入口」関越道の高架橋の下。ステップを降りバスが走り去るのを待っていると、閉まらないドアの向こうで何やら運転手に尋ねる若い声。どうやらマヌケは自分だけじゃないかもと思っていると、降りてきたのは少女だった。
「間違えて乗っちゃった?」と聞くと、
「はい。でも、ここどこですか、なんか泣きそうです」と本当に泣き出しそうな声で答える。
「実は私も、」と笑い、道の反対側に渡って時刻表を確認した。
「よかったぁ、駅行き、もうすぐ来るよ」
「でも、お金が足りないかもです」
さて、こんな時どう対応するべきか。ケータイを貸して親に電話させようとも考えたが、あと数分でバスは来る。それで「じゃ、バス代をおごってあげるよ」ということになった。
彼女は長岡市内に住む中学三年生で、あまり出歩かないからバスに乗ったことがないこと、門限が6時であること、父親はJR職員で来年引っ越すため新潟市の高校に進学するつもりであること、YouTubeをよく見ることなどを話してくれた。
そんなキラキラした、一期一会の彼女に、どんな言葉をかけたらいいのかわからずに、西村ひろゆき(通称ひろゆき)、荻上チキを紹介した。
日も傾きかけた冬のバス停での出来事であった。

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