2020年1月、2月、3月分の日記です。
2020年1月5日 日曜日
森永ダースチョコレート
J・J・エイブラムス監督作品「スターウォーズエピソード9 スカイウォーカーの夜明け」を観ました。
2015年公開の「スターウォーズ フォースの覚醒」、2017年公開「スターウォーズ 最後のジェダイ」に続く3部作の完結編であると同時に、1977年のシリーズ1作目から計9作品を通して語られてきたスカイウォーカー家をめぐる物語の完結編でもあります。
ジョージルーカスが日本の時代劇をベースにSFファンタジーとして創造した本作は、親子の葛藤に悩みながらも、友人や恋人と絆を結ぶことで自身の生きる意味を見出していく青年の成長を描いた群像劇として、主人公だけでなく父や母、友人の目線で観た時に違った感想を持てるファミリー映画という性格も持つ作品であることが、時代や世代を超えて愛される理由だろうと思います。
それにしても思うのは、MarvelにしろDisneyにしろ、今や娯楽映画のヒーローは男性から女性に変ったということです。もしかすると賢く、強く、勇敢かつ美しいヒロインということなのかも知れませんが、男らしく女らしく、なんていう概念はもはや過去のものになりつつあるのは確かです。
写真は森永チョコレート「ダース」です。スターウォーズの人気キャラクター、ダースベイダーをイメージした商品です。ブラックココアパウダーを練り込んだセンターチョコに、カカオ70パーセントのチョコを合わせた、かなりビターな仕上げになっています。ネーミングが完全にオヤジギャグになっているところが笑えます。

2020年1月19日 日曜日
映画「ラストレター」ポスター
岩井俊二監督作品「ラストレター」を観ました。昨年暮れに亡くなった女優、木内みどりさんの遺作になった作品で、小室等さん、水越けいこさんが出演されていることもあり、ぜひ観たいと思っていた作品です。小室さん、水越さんが実はミュージシャンだと知っている人は私と同年代だと思いますが、岩井監督らしい大人が楽しめるラブストーリーに仕上がっていました。
姉である未咲の葬儀を終えた裕里は、未咲の娘である鮎美から、未咲宛ての同窓会の案内状と未咲が鮎美に遺した手紙の存在を告げられます。未咲の死を報告するために卒業以来25年ぶりの同窓会に出席した裕里でしたが、学校のマドンナ的存在だった未咲と間違われてスピーチまでさせられてしまいます。その会場で自身の失恋相手であり、未咲に恋心を抱いていた鏡史郎と再会した裕里は、未咲になりすまして彼と文通することになってしまいます。やがて、その手紙が鮎美のもとへ届いてしまったことで、鮎美は母と鏡史郎、裕里の高校時代、それぞれの心模様をたどりはじめます・・・。
SNSでつながるのが当たり前の現代にあって、手紙とは何とも懐かしく、デジタルにはない情緒が作品全体を包んで、姉妹の高校生時代から25年の時を経て、生と死という運命の分け隔てや、そこに至るまでの残酷さ、またそれゆえの切なさなどが美しくノスタルジーと化しながら物語が進んでいく本作は、透明感のある美しい映像とロマンティシズムにあふれた岩井監督の真骨頂といえる作品でした。
この作品を見終えて目頭が熱くなった方は多いと思いますが、その方たちはきっと良い学生生活を過ごしてきたのだと思います。私もそのひとりです。

2020年2月2日 日曜日
映画「AI崩壊」ポスター
2017年から2019年にかけてEテレで放送された「人間ってナンだ?超AI入門」。東京大学教授の松尾豊さんの案内で、最新の人工知能(Artificial Intelligence)の基本的な仕組みを解き明かしながら、社会のあらゆる分野で進むAI化の波の中で、市民が知っておくべきエッセンスとAI研究から見えてくる人間の本質を考える番組で、AIがもたらす社会の変革はどのように進んでいくのか、医療や金融といった社会インフラ別に予測しているところが面白く、毎週欠かさず観ていました。
今回紹介する入江悠監督作品「AI崩壊」は最近の邦画では珍しく原作のないオリジナル脚本で、AIが社会に浸透している近未来を舞台に描いたサスペンス作品です。「人間ってナンだ?超AI入門」でもとりあげられていたAIと医療の関係性を中心に描かれており、松尾豊さんも冒頭に少しですが出演されていました。
AI研究者でシステムエンジニアの桐生浩介が亡き妻と一緒に開発を進めていた医療用AI「のぞみ」が2023年に完成、導入されます。それから7年経過して「のぞみ」は医療分野にとどまらず全国民の納税情報から犯罪歴など個人情報全般を管理するようになり、今や社会インフラとして欠かせない存在となっていました。その「のぞみ」が突然コマンドを受け付けなくなり暴走し、人間の生きる価値を設定し、基準に達しない人間を選別し殺処分するという事態が起こります。
警察庁のサイバー捜査官は、AIを暴走させたのは開発者である桐生と断定し、サイバーテロ犯として指名手配しますが、身に覚えのない桐生は逃亡をはかります。桐生は「のぞみ」を管理するHOPE社の社長で義弟でもある西村悟とひそかに連絡を取りながら「のぞみ」が暴走した原因を探ろうとしますが、警察庁が新規導入した犯罪捜査AIに追い詰められていくというストーリーです。
国民全員がウェラブル端末で個人情報を一元管理されるような社会は決して幸福とは思えませんが、スマートフォンの普及率を考えると少なくとも技術的にはすでに可能で、私たちは権力が何をしようとしているか、よく見ていないといけないのでしょう。

2020年2月12日 水曜日
短編集「生命式」の表紙
村田沙耶香さんの短編集「生命式」を読みました。2015年の消滅世界、2016年の「コンビニ人間」、2018年の「地球星人」と読んできましたが、本作はそれらの作品の原石の集まりのような印象を持ちました。
本作には、死んだ人間を解体して、みそ味の鍋などにして食べた後にセックスを行う、お葬式に代わる儀式を描いた表題作「生命式」、人間の皮や髪の毛などを素材として再利用する社会を描いた「素敵な素材」など、著者自身がセレクトした12編が収められています。
村田作品一番の特徴は「学校を卒業したら、就職して、結婚して、子どもをつくるのがふつうだよね?」といった多数派信仰に対するアンチテーゼというか、仮にそれが生来として人に備わったものであって、世の中では「常識」や「ふつう」と認識されているものについてまで丹念に疑うところから始まっていることだと思います。それは、現代社会が抱える問題や、人々がそこで感じる生きづらさを吸い取って広がるように、作品世界を創り出しているように思えます。
「消滅世界」では、恋愛、結婚、セックス、家制度、ジェンダーといった概念が次々と消滅していく近未来を描き、芥川賞を受賞した「コンビニ人間」では、常識という同調圧力の狂気に抵抗するため、コンビニと一体化する女性が登場しました。何が「ふつう」で、何が「異常」なのか?これからの村田作品が楽しみです。

2020年2月20日 木曜日
「インフルエンザなぜ毎年流行するのか」の表紙
2019年12月に中国(武漢市)で発見され、現在、東アジアを中心に世界的な広がりをみせている2019新型コロナウィルス。日本国内でも感染例が報告され、重症化すると肺炎から死亡に至る例もあるということで、マスクの買い占めや、感染者あるいは、感染者に接触した可能性のある人に対する差別、経済活動の停滞などが起っています。加えて新型コロナウィルスの持つ病原性そのものよりも、SNSのデマに代表されるように、人が感情にまかせて作りだした反知性主義の恐怖が広がっているように感じます。また、この状況を利用して、憲法改正における緊急事態条項の必要性を訴える政治家の動きもあり、気になるところです。
こんな時に市民に必要なこと、できることは感情にとらわれず知性で対処することですが、岩田健太郎著「インフルエンザなぜ毎年流行するのか」がテキストとして優れていると思うので紹介します。
著者の岩田健太郎さんは、神戸大学大学院医学研究科、微生物感染症学講座感染治療学分野教授を務める感染症の専門医です。コロンビア大学で研修の際に炭疽菌テロ、その後に医師として勤務した中国で、SARS(新型肺炎)流行時の臨床を経験されています。今回の新型コロナウィルスの件では、豪華クルーズ客船ダイヤモンドプリンセス号の汚染調査をされ、2月19日のTBSラジオ荻上チキSession22で報告されていました。
著書で岩田さんはまず、健康ブームにのったメディアの報道がウソだったり、ミスリーディングだったり、センセーショナルなだけだったりすることを痛烈に批判し、本書を執筆した目的を、
1.日本の人たちは、感染症をはじめ健康や病気についての正しい情報を持っていない。
2.そういう「正しい情報」は、別に専門家でなくても携えることは可能だ。
と述べています。確かにその通りだと思う反面、医師と患者の関係性は異文化コミュニケーションであるということを考えないと、医療側がいくら正しい情報を発信しても伝わらず、善意のすれ違いで終わってしまうと思います。
第1章は、本書のタイトルにもなっている「インフルエンザはなぜ毎年流行するのか」。第2章以下には「感染症予防のウソ・ホント」「抗生剤は有効か?免疫力はどう上げる?」「感染症の対策、どうなってるの?」「深刻な感染症の問題」のセクションを設け、世間に広まる正しくない情報を指摘しながら、正しい情報を紹介しています。
インフルエンザはなぜ冬に毎年流行し夏に流行しないのか。それはインフルエンザは寒く乾燥していると活動性が増すことが挙げられますが、実は季節に関係なく、オリンピックのような大きなスポーツイベント、宗教の巡礼などで信者の大移動など、人の移動に影響される流行のパターンも確認されており、冬に流行というパターンは大雑把にザックリ概観したものであって、正確には分かっていないのだそうです。
ワクチンの効果に関しては、本書で引用されている米疾病対策予防センター(CDC)がまとめた2017から2018年冬期のワクチン効果では36パーセント。つまり接種した100人中36人はインフルエンザにかからなかったということで、統計学的には微妙な数字だそうです。なので予防接種をしても感染は防げないわけですが、予防接種を受ける人が多いほど患者数は減り、それにより医療機関に余裕が生じるなど社会としてみると効果はかなり大きいといえます。
マスクの効果に関しては、2020年2月15日の「久米宏ラジオなんですけど」にゲスト出演された聖路加国際大学大学院公衆衛生学研究科准教授の大西一成さんが岩田健太郎さんと全く同じ見解を述べていて、マスクには衛生マスク(サージカルマスク)と防塵マスク(N95)があり、市販されている衛生マスクは、感染している人が感染予防を目的に着けた時に限定的(呼気中ウィルスの80パーセントはすり抜けてしまう)であるけれども効果があり、完全な予防をするなら防塵マスクで専門家の指導のもとで使わないと効果はないそうです。興味がある方は大西さんの著書「マスクの品格、だれも知らない、マスクの本質」をおすすめします。
コロナはインフルエンザとは別なウィルス感染症であり、未知の部分もまだまだ多く、専門家でも見解が違うこともあり不安を掻き立てられますが、こまめに手を洗うこと、十分な栄養と規則正しい生活を心がければ、それほど恐れることはないようです。

2020年3月2日 月曜日
赤外線体温計
2020年2月28日午前、新型コロナウィルス拡散予防を目的とした小中高の臨時休校を要請する安倍総理の会見があってから自粛ムードが高まり、SNSでは多くのデマが拡散し、世界は疑心暗鬼の暗い霧に包まれているようです。市民向けのアナウンスは病気に対する情報と同じで、科学的根拠にもとづいた事実と対処法をコンパクトに分かりやすく伝えればそれでよく、恐怖をあおってはダメだと思います。タレントの大竹まことさんはラジオ番組で、テレビ番組は新型コロナウィルスの話題を芸能人を使って盛り上げると視聴率が上がるという、現在の放送業界の内情を語っていましたが、賢明な市民は科学的態度や情報リテラシーを学ぶ丁度いい機会ではないかと思います。
そんな中、新型コロナウィルスの影響で献血者が減少しているので協力をしてほしいと血液センターからLINEに連絡があったので行ってみました。日曜の午後なのに献血者は数人しかおらず、輸血用血液は長期保存できないことを考えると、2次的に命の危機にさらされる人は相当な数になると思いました。
献血の手順もいつもとは違い、受付をする前に赤外線体温計による検温、手指消毒があり、医師による問診の際にも赤外線体温計による検温がありました。また、献血後4週間以内に新型コロナウィルス感染症または、その疑いと医療機関で診断された場合は、献血日、氏名、生年月日を血液センターに連絡をするように注意を受けました。
新型コロナウィルスに関しては現在の感染状況が正確に分からないのが不安を掻き立てる元凶で、日本国内の感染リスクを論じ政治的判断をするためには、まず基本となるデータが絶対必要で、各地からサンプルを取って統計学的に割り出してはどうでしょうか。短時間で精度の高いデータが得られると思うのですが。
新型コロナウィルスの病原性については、医師の大津秀一さんが自身のYouTubeチャンネルで、信頼できる医学誌(掲載されるには複数の専門家による査読審査を受ける)に掲載された最新の論文を解説しています。現時点で正しい情報を知りたい方はぜひアクセスしてみて下さい。

2020年3月12日 木曜日
「本当のことを言ってはいけない」の表紙
生物学者の池田清彦さんの著書は、いつも読み終える頃には、なぜか気持ちが楽になります。それなので書店で見つけると、つい買ってしまい、ここでも何冊か紹介してきました。
今回紹介する新書「本当のことを言ってはいけない」は、健康問題から地球温暖化、政治問題まで生物学者の視点での論考で、
1章「生と死の意味について」
2章「AIと私たち」
3章「市場原理と成果主義」
4章「動植物散策」
5章「短絡的正義がもたらすもの」
という構成です。
3章「市場原理と成果主義」での二酸化炭素による地球温暖化説と、それに伴う太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーに関しての懐疑的な見方は多くの読者の興味を引くところだと思いますが、1章「生と死の意味について」で、「〜のために〜をする」という機能主義に現代人は侵されており、個人の存在にすら意味を持たせないと納得できないようになっている。しかし、個人は何かの役に立つために生きているわけでもなければ、意味を求めて行動しているわけではなく、物事や存在するものにはすべて意味があるというのは妄想であるという生物学を通しての論考が心にひびきました。このあたりが池田さんの著書を読むと気持ちが楽になる所以ではないかと思いました。
存在するものに意味なんてなくてもいいという思想というか事実は、仏教の基本原理にも通じるものがあるように思えます。

2020年3月17日 火曜日
映画「感染列島」のポスター
2009年公開の瀬々敬久監督作品「感染列島」。未知のウィルスの脅威を描いたパニック作品です。
市立病院で働く救命救急医のもとに、季節性インフルエンザに感染したと思われる患者が来院しますが、あらゆる治療が効果を持たず患者は死亡してしまいます。この後、原因不明の感染症患者が押し寄せ、やがて病院スタッフや入院患者にも次々に感染が発覚し、院内感染を起こした病院は機能を失い、医療崩壊から徐々に社会システム全体が崩壊していくというストーリーです。
この作品のロケが行われたのは当時の新潟市民病院で、公開された3か月後の4月には、実際に新型インフルエンザが流行し話題になりました。
ウィルスに感染するかも知れないという恐怖にさらされた市民がマスコミのあおり報道で暴走し、実際は何の落ち度もなかった人が責められ自殺においやられたり、組織の人間関係が感染封じ込めの支障になったり、疑心暗鬼のなか情動だけで動いて、さらに状況を悪化させてしまう人間のおろかさと、理性と信頼で困難を克服していく人間の勇気のコントラストが印象に残る作品です。
さて、3月11日、WHOは新型コロナウィルスによるパンデミックを宣言しました。幸い日本では映画「感染列島」で描かれているような事象は起こっていません。しかし、そこにつながっていくような気配は感じます。マスクや消毒薬の異常な買い占めが原因で、一番必要としている医療機関や介護施設に不足が起こったり、SNSでデマが拡散しトイレットペーパーの買い占めが起こったり、情動にまかせて自分の利益だけを考え、それが結果的に不利益をもたらすことに多くの市民は気付いているのに、それに引きずられているように感じます。そこには健康不安はもちろんとして、それ以上に感染者と呼ばれて社会から差別されることを恐れる気持ちがあるからで、いじめが起こる原因と共通するものがあると思います。
そこに陥らないようにするには、まず、考える礎となる信頼できる情報が必要ですが、TBSラジオ番組「荻上チキSession-22」2020年3月12日、木曜日放送のアメリカ国立衛生研究所(NIH)勤務でウィルス学者の峰宗太郎さんの解説がわかりやすくてよいと思います。音声ファイルがネットにアップされているので、興味がある方はぜひ聴いてみて下さい。

2020年3月27日 金曜日
「どこまでやるか、町内会」の表紙
換気の悪い密閉空間に人が密集し、近距離での会話をするような場所に行かないことが新型コロナウィルスの感染防止のために重要であると政府が見解を示したこともあって、大きなイベントだけでなく、町内会レベルの集まりまで自粛するところが増えていますが、私の住む団地では例年通り町内会総会を開催しました。約120世帯のうち参加は30世帯というところでした。
今回の議事のトピックは役員手当の減額についてで、役員手当については会計規則があり、現在、年額51万円となっている会長手当を41万円に減額したいという執行部からの提案がありました。理由は、町内会三役(会長、会計、事務)が改選の度に選出に難渋するという長年の懸案事項があり、先般の臨時総会で執行部が示した、各班から役員を1名増やして2名選出してもらい、役員全体の数を増やして三役を選出しやすくするという方法が解決策として承認され、次年度からの導入が決定しました。結果、役員手当が全体として増額してしまうことになりました。そこで、増やした役員に作業をできる限り分担し、執行部全体として町内会の運営に取り組むことを前提に、トレードオフとして会長手当を減額してはどうかということです。
どこの町内会でも役員の引き受け手がないことは大きな問題だと思いますが、紙屋高雪さんの著書「どこまでやるか、町内会」は、そんな悩みを抜本的に考え直すテキストとして参考になる良書です。以前、公民館の書記を引き受けた時に、総務省のサイトや文部科学省のサイトと共に紙屋さんの著書「町内会は義務ですか?コミュニティーと自由の実践」を読んで、そもそも公民館とは、町内会とは何かという、法的な枠組みを含めた基本的なことから、行政との関係性まで幅広く知ることができました。
町内会は任意団体であるということが倫理的なベースになります。(公民館は社会教育法で規定されています)なので、町内会が担う事業は住民に対する責任を果たすという水準から見ると、基本的に絶対不可欠というものはありません。本来、行政サービスとして提供されるべきものが町内会に任されて、作業の量が増えることが、役員の担い手がいない原因になっていると紙屋さんは指摘します。
本書は、その作業を減らす基準を示すと同時に、住民が納得して、役員も確保でき、長く続けられる町内会はどうしたら創られるのか、そのヒントも示しています。
大きな災害が起こると「絆」とか「地域力」という言葉で、町内会の大切さが無条件で説かれる言葉があふれますが、町内会の事業は「必要不可欠ではない」ということを論じることが、実はみんなが気持ちよく暮らせることにつながると思いました。

長岡市では家庭ごみの引き取りは有料で、各地域にごみステーションが設置してあり、ここにごみ収集車が回収に来ます。ごみステーションの管理は各町内会が担っており、防犯灯や冬季の滑り止めなどの設置は町内会費でまかなわれ、清掃は住民が1週間交代の当番制で行っています。ということは、町内会に加入していないと、ごみは出せないと思えてしまいますが、家庭ごみの回収については行政サービスとして提供されているので、町内会に所属していなくても保障されるべきものなのです。

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