2020年7月、8月、9月分の日記です。
2020年7月5日 日曜日
映画「マザー」ポスター
大森立嗣監督作品「マザー」を観ました。
本作は実際に起きた17才の少年による祖父母殺害事件がモチーフの映画オリジナル脚本です。
社会のすみで、いびつな愛情で結ばれた母と息子の姿が、怖く、悲しく、センセーショナルな物語として描かれていました。
主人公の秋子はシングルマザーで、幼い息子に自分なりの愛情はかけるものの、仕事はしないで親や妹に金を無心しながら、その場しのぎの日々を送っていました。ゲーセンで知り合って意気投合し、一緒に暮らし始めたチンピラも秋子が妊娠したことを知って逃げてしまいます。
数年後、17才になった息子と幼い娘を連れた秋子はホームレスになり、簡易宿泊所に流れ着きます。自動相談所の若い女性職員が息子のフリースクールでの就学を支援しようとしますが、秋子は息子が新しい世界に出ていくことを許しません。やがて、頼る先もお金もすべて失った秋子は、息子に祖父母を殺して金を奪ってくるよう命じます・・・。
余りに壮絶で負のエネルギーに圧倒される作品ですが、冒頭、すりむけて血がにじんだ息子の膝を、大きく舌を出してベロリと舐めて笑う秋子の表情と、ラストシーン、刑務所の面会で自動相談所の若い女性職員の問いかけに、息子が淡々と「お母さんが好きだ」と答えるシーンに、この作品が凝縮されていると感じました。
母と息子の間にあったものは深刻な共依存なのか、それとも他人の理解を超えた特別な愛情なのか。母性というものへの確信と疑いの間で揺さぶられる作品でした。

2020年7月17日 金曜日
NPO法人オアシスの声のおたよりCD
2020年7月16日、東京都の新型コロナウィルス感染者は286人と過去最多を更新し、東京都は警戒レベルを4段階のうち最も深刻な「感染が拡大していると思われる」に引き上げました。しかし、政府は経営危機に陥っている観光業者を救済するという目的で、宿泊費の補助をする旅行キャンペーンを予定通り7月22日より実施するとしています。再び全国に緊急事態宣言が出されるような事態にはならないでほしいと願うばかりです。
さて、メディアで取り上げられることは少ないですが、視覚障害のある人の暮らしや支援の現場でも困難な状況が続いています。休止を余儀なくされる通所福祉施設も増えています。
新潟市にあるNPO法人オアシスもその一つで、糖尿病など主に病気のために中途失明した人が自立した生活を送ったり、働いたりするための幅広い支援を行っています。利用者の多くが公共交通機関で通っていて、移動には手すりなどを触ることが欠かせないため、感染のリスクが高いことをふまえ、自分たちの役割と感染の危険性を天秤にかけた苦渋の決断だったようです。
それでもオアシスのスタッフは、普段から大切にしている「こころをつなぐ」ということを止めないために電話による声かけと、「つながる声のお便りCD便」を作成し、会員に送付する取り組みを始めました。今回は会員さんによるハーモニカ演奏、自作の俳句朗読、料理のレシピ、小説の朗読といった内容で、いつものオアシスのあたたかな雰囲気が伝わってきました。
オアシスでは会費および行政からの補助金はすべて運営費に充てられ、スタッフは無報酬です。つまり、オアシスはお金の介在がないつながりだけで存在しています。これは現代の奇跡です。
2000年公開のミミレダー監督作品「Pay it Forward」という映画があります。
11歳の少年トレバーは、社会科の授業中、担任のシモネット先生から「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と宿題を出されます。悩んだ末にトレバーはあるアイデアを思いつきます。それは"Pay it Forward"他人から受けた厚意をその人に返すのではなく、まわりにいる別の人へと贈るというアイデアでした。やがて、トレバーの考えたユニークなアイデアは広がっていき、心に傷を負った大人たちの心を癒していくという物語です。
映画の世界で描かれる奇跡に、人は涙を流し共感しますが、これは映画の話で現実はそうはいかないと考えてしまうものです。でも、オアシスには”Pay it Forward”「次に渡せ」のこころが本当にあります。

2020年7月26日 日曜日
映画「もののけ姫」ポスター
宮崎駿監督作品「もののけ姫」を観ました。
「もののけ姫」で描かれる物語世界には、善と悪のような分かりやすさがないことが一番の魅力です。
主人公のアシタカは、タタリ神の呪いをかけられたことから故郷の村を追放され、女性リーダーのエボシが統治する製鉄で栄えている村「たたら場」に行き着きます。そこでは女たちの威勢が良く、製鉄所は女たちが管理し、男たちは造った鉄を町で売って食糧などを買ってくる交易をしていました。同時にエボシは鉄から強力な兵器も作っており、自然を傷つけて鉄を造ることに怒りを表す神々さえ、この兵器で倒せると考えています。
アシタカは最初、タタリ神を生む元凶となったエボシに敵意を持ちますが、女たちの働く様子を見て一緒にフイゴを踏むうちに、エボシを恨む気持ちが薄れていきます。エボシは自然を傷つけて鉄を造っていますが、ここで働く人たちは売春婦として売られたり、人間社会で理不尽な差別を受け見捨てられた人たちで、エボシはそんな人たちを「人」として扱い、仕事を与え、尊厳を持って生きる場所を提供する社会のセーフティネットとして、たたら場を守っていることを知ったからです。
さて、エボシは悪者なのでしょうか?

この作品が公開されたのは1997年7月。2004年10月に新潟県中越地震、2007年7月に新潟県中越沖地震、2011年3月に東北大震災とそれにともなう原発事故、2016年4月に熊本地震、近年では毎年のように激甚災害級の水害にみまわれ、そして2020年春、新型コロナウィルスが世界中にまん延し、いまだ有効なワクチンも治療薬もありません。こんな状況で世界はアメリカと中国の対立を中心にナショナリズムの波が広がり、私たちは出口が見えない不安の中で暮らしています。
「もののけ姫」の世界では「呪い」となっていますが、これは致死率が高く治療薬もない当時の伝染病のメタファーではないか。「タタリ神」とは、環境破壊を繰り返す人間への警告であり、自然災害を具現化したものではないか。現実世界と重ねて本作を鑑賞された人も多かったのではないでしょうか。
テレビのワイドショーやSNSなどでは、わかりやすい短い言葉の応酬で物事に善悪をつけようとしますが、世の中というのはそれほどわかりやすいものではないし、むしろ、わかりやすさに危うさがあることを「もののけ姫」は教えてくれます。

2020年8月11日 火曜日
「読む」って、どんなこと
高橋源一郎さんの「”読む”って、どんなこと?」を読みました。なんだかややこしいですね。
高橋源一郎さんといえば、元新潟県知事の米山隆一さんと先ごろ結婚された室井祐月さんの元ダンナ。今春までNHKラジオの朝の番組「すっぴん」で金曜日のパーソナリティをやられていました。番組内に「源ちゃんの現代国語」というコーナーがあり、いろいろなジャンルの本の紹介をするのですが、高橋さん一流の少し斜めからの解説が面白くて欠かさず聴いていました。(radikoのタイムフリーは便利です。)
本書はまず、小学校で習う「文章の読み方」を学年別に15項目挙げ、それは否定しないけれども、それだけでは読めない文章もあるというところからスタートします。
坂口安吾さんの「天皇陛下にささぐる言葉」や武田泰淳さんの「審判」などを例題に、本来は、個人を自由にするために文学や詩はあるのに、学校を含めた「社会」は、「社会にとって都合のいい思想のみ」を良いものとしていなか。時にそれが戦争のように、本来、善良な人にまで非人道的なことをさせてしまうことにつながってはいないかと、高橋さんは思索します。
確かに、「社会」の声に従っていくと、何でも「読め」て、問題に出たらいい点が取れて、いい成績が取れます。しかし、それは「社会」や学校では「こういうふうに考えた」ということであって、それが真実とは限らず、むしろ自主的に読む能力を削いでしまうことになるのかも知れません。
「読む」ということは本来1人のはずで、そこには「社会」の声といったものがまったくありません。(当たり前ですね)「こう解釈されているけど、私は違う」と読むようになることが「何かを読む」ことじゃないかと思います。

2020年8月15日 土曜日
映画「瞽女GOZE」のポスター
瀧澤正治監督作品「瞽女GOZE」を観ました。本作は全編新潟ロケで、新潟県は先行上映されました。
瞽女とは、三味線を片手に村から村へ旅して歩き、瞽女唄を演じることで生活の糧を得ていた視覚障害者の女性たちの呼び名です。
瞽女の歴史は古く、江戸時代から昭和中期までにおよび、日本各地で活動していたようですが、中でも新潟県は瞽女の一大拠点として知られています。冬の長い期間を雪に閉ざされ、幼い子供が先天性の障害や麻疹などの病気のために、弱視や失明に至るケースが多くあったからではないかと考えられています。
本作は新潟県三条市出身で、最後の瞽女といわれた小林ハルさんの半生を描いた作品です。
生後3ヶ月で先天性白内障により失明し、7才で瞽女になり、幼少期から数々の辛苦をすべて受け入れて歩む瞽女の道は壮絶で、目の見えない我が子がひとりで生きていけるよう、涙をかくして厳しく育てた母の愛情が胸を打ち、涙が止まりませんでした。
幼くして瞽女を目指すハルさんに母は、ひとりで何でもできるように、鬼になると決意します。目が見えないハルさんに対し、針の穴に糸が通せるようになるまで食事をさせず、重い荷物を背負って歩く練習は山道の階段を使い、情け容赦なく叱りました。
そんな母も早くに病死してしまいますが、鬼のようであった母に、ハルさんは涙を流しませんでした・・・。

視覚障害だけでなく、厳寒の許での厳しい瞽女修業、他人から受けた酷い仕打ち、愛するものとの死別など、人生の辛苦をすべて受け入れ、運命を恨まず、人の幸せを妬まず、人を羨ましがらず、人に楽しみを与える。そんな愛と慈しみに生きた人、小林ハルさん。健気な心で人生を生きた姿に心から感動しました。
障害とは、その人の体のつくりにあるわけではなく、社会との関係性において生まれてくると障害学は教えますが、「一緒に歩く人がいい人なら祭り、悪い人なら修行」というハルさんの言葉は、それを言い当てていると思います。

私は子供の頃、実際に瞽女さんの演奏を聴いたことがあり、独特の風貌と、低く迫力のある音が印象に残っています。母によれば、うちで演奏したその人こそ、本作の主人公である小林ハルさんで、瞽女さんの奏でる音楽を本来の形で聴けたのは幸運でした。

運命を恨まず、
人の幸せを妬まず、
人を羨ましがらず、
人に楽しみを与えなさい。

この言霊、忘れないです。

2020年8月29日 土曜日
「透明な夜の香り」の表紙
千早茜さんの「透明な夜の香り」を読みました。たまにタイトルと装丁に惹かれて本もジャケ買いすることがありますが、不思議なもので後悔したことがありません。今回も例外ではなく、女性が好みそうなライトノベル風の、ドラマ化されることを前提に書かれたかと思うくらい映像が脳裏に浮かぶ作品でした。

街ですれ違った他人の体臭を嗅いで、名前すら定かでなくなった過去の人のことを思い出すなど、特定の匂いや香りを嗅ぐことで、遠い昔の出来事や、その時感じていた感情まで思い出した経験は誰でもあると思います。本作は、この嗅覚をめぐる物語で、その不思議を鮮やかに描いています。
超人的な嗅覚の鋭さと、あらゆる香り、匂いを再現できる天才的能力を使い、古い洋館で香水のオーダーメイドをしている調香師、小川朔。彼のもとへ仕事兼家事手伝いとして、元書店員の若宮一香が雇われるところから物語は始まります。
朔がワケありの依頼人たちからのオーダーを次々と叶えていくのと同時に、一香が囚われていた過去が徐々に顕わになっていきます。朔は彼女の不可侵だった記憶への回路を匂いによって開かせますが、それは朔が自身の過去と向き合うためでもありました。

人はどれほど理性的に洗練を極めたとしても、動物としての本能の部分は手放しきれず、理屈より先に、人に惹きつけられることはよくあることです。それは本能が相手の匂いに反応するからかも知れません。
愛するものを捨てた罪と、捨てられたものの孤独が溶けた透明な夜の香り。ドラマチックな作品でした。

2020年9月1日 火曜日
nanacoカード
本日から総務省によるマイナンバーカードを持っている人を対象とした、マイナポイント事業が始まりました。
マイナポイント事業とは、マイナンバーカードを使って事前に申し込みと予約をすることで、2020年9月1日から2021年3月31日の間に申し込み時に選んだ特定のキャッシュレス決済サービスを使ってチャージや買い物をすると、上限5000円分(利用金額20,000円に対し25パーセント還元)のポイントがもらえるという制度です。
私はnanacoカードを選んで登録してみました。
パソコンで登録するには使っているブラウザにマイナポイントの拡張機能をインストールする必要がありますが手続き自体は簡単です。
でも、ちょっと気になることは、マイナポイントの背景にあるマイキープラットフォーム構想です。図書館カードや施設利用カードなどに個別に登録されていた各サービスIDを、マイキープラットフォーム上でマイキーIDとして紐付ける仕組みは、図書館やスポーツ施設の利用者カード、民間企業のポイントカードなどの各サービスIDを、マイキーIDで呼び出すことができるため、マイナンバーカード1枚で、さまざまなサービスの利用が可能になります。総務省としてはマイキープラットフォーム構想の実現のためのマイナポイントなのでしょうが、市民に対する説明が足りないと思います。

2020年9月6日 日曜日
映画「人数の町」ポスター
荒木伸二監督作品「人数の町」を観ました。
脚本も荒木監督による、原作のない映画オリジナル作品で、いわゆるディストピアを描いたミステリーに仕上がっています。一見、清潔そうに見える町が、よく見るとグロテスクで、染み出るような恐怖が潜んでいて、それが映画館のスクリーンを超えて現実世界と地続きになっているかも知れないと感じさせる、社会風刺的な面白さがある作品でした。

借金まみれで闇金業者に追われる蒼山は、黄色いツナギを着たヒゲ面の中年男に助けられ、ある町に行かないかと誘われます。その町は一般社会から隔離され、住人は簡単な仕事と引き換えに、衣食住と性の満足が保証されていました。
その仕事とはネットに、絶賛もしくはディスりを大量に書き込む、ステルスマーケティングや、たまに連れて行かれる一般社会の投票所で、指示された候補者に投票すること。 蒼山はこの奇妙な町を戸惑いつつ受け入れるも、不信感を拭えずにいました。そんなある日、失踪した妹を探しに、この町に来たという紅子と出会い、気持ちが揺らぎ始めます。

町の住人は、様々な事情で一般社会には居られなくなった人たちで、「私」という個人の人格を放棄するかわりに、何者かが支配する町の「人数」のひとりになることで、不安や苦痛から解放されます。
支配者にとって、個人の考えや思想を持たない「人数」は実に都合がいい存在でしょう。ネットの書き込みも投票も、その目的は明かされませんが、人々の意識にのぼらないところで粛々と進む多数派工作や世論形成。
人間が人数に変わる恐ろしさを、リアルなものとして感じたのは私だけはないと思います。

2020年9月23日 水曜日
マンガ認知症の表紙
9月は世界アルツハイマー月間です。現在、日本国内には軽度認知障害の方も含め、約370万人の認知症の方がいると言われており、2018年の統計では65才以上の7人に1人が発症しています。
認知症を発症する代表的な原因疾患であるアルツハイマー病の研究は、新潟大学脳研究所をはじめ、世界各国の大学や研究機関で行われていますが、いまだ発症メカニズムの完全な解明には至っておらず、したがって根治療法はありません。病理学的には発症する20年前くらいから脳に病的な変化が起こっていることは解明されています。つまり、認知機能に異変を感じた時には、すでに脳は取り返しがつかない状態になっているということで、発症前診断の確立が望まれています。
予防という観点では、運動やポリフェノール、EPAの摂取、日記をつけるなどが疫学調査から有効ではないかと言われており、今はこれらを生活に取り入れて、少しでもリスクを減らすことしかありません。
それでも認知症を発症してしまったら・・・。

今回紹介する「マンガ認知症」は、認知症の祖母の介護経験を持つマンガ家、ニコニコルソンさんと心理学者の佐藤眞一による共同執筆で、誰もが認知症当事者になるかもしれない今、認知症の人の気持ち、介護に携わる人の気持ち、どちらにも寄り添いながら、心理学的アプローチで認知症の人の心のなかを解き明かしています。
印象的だったのは「プライド」についての考察で、人は自己否定につながることは素直に認められないし、老いによる能力の低下に向き合うことは難しく、それだから、理解できないことを、とりつくろったり、プライドを守るために他者を攻撃してしまったり、排泄の失敗を受け入れられなかったりと、プライドに関わる根深い問題が介護をより難しいものにしているということです。
当たり前ですが、認知症の患者も「心」を持っています。周囲が理解不能だと決めつけてしまったら、介護は「無間地獄」になってしまいます。
相手の心を理解することは、介護する側も楽になることだと教えられました。

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