2023年1月、1月、2月、3月分の日記です。
2023年1月5日 木曜日
デルのパソコン
昨年のゴールデンウィークにDELL社のセールで買ったデスクトップパソコン、inspiron3891。これまで使っていた自作マシンがハードウェアの不調が原因で頻回にハングアップするようになったこと、基準が満たせずWindows11が使えないことなどから、面倒なことにならないうちに後継機として購入しました。しかし、そのわりには半年も手つかずで、昨年末、大雪で臨時休診した際にやっと重い腰を上げ、ネット環境を含め、ほかに使っているPCとのリンク、周辺機器の組み込みや、各ソフトウェアのセットアップ、古いパソコンからのデータの移行などを終え、使える状態にしました。
スペックは、CPU IntelCorei3 3.7GHz、キャッシュ6MB、メインメモリ8GB、ドライブはSSD 256GB、HDD 1TBで、Office2021、Photoshopが付いて送料込み8万円を少し切るくらいでした。
これまでは解像度を低くして使う必要性から、グラフィックボードが選択できる自作をしてきましたが、パーツをそろえることが面倒なことと、台湾製の安価なマシンで試してみて、どうしてもダメだったらグラボのみを追加するのも費用的にアリだと考えました。
結果、オンボードのGPUでは解像度の問題は満足いかないまでも、グラボは追加しなくても使えました。ただ、会計ソフトで仕訳帳の行数が4日分くらいしか表示できないのが残念ですが、これは今まで使っていたディスプレイがスクエア型だったのに対して、今使っているもの(何年も前にヨドバシカメラの特価品で買って使っていなかった)がワイド型であることも関係しています。まぁ、とりあえず使えているのでディスプレイまで新調するのはあきらめます。
使い勝手はCPUファンが回る音が静かで、付属のキーボードが思いのほか叩きやすいです。ドライバも自動的にDELLのサイトから最新のものがインストールされるようになっていて面倒がなく、マザーボードはATXだと思いますが、ボディが小さく軽いので机が広く使えるようになりました。
Windows11のインターフェースはWindows10からかなり変更されており、特にMicrosoft社が提供している5GBまでは無料で使えるクラウドサービスOneDriveが、ローカルドライブと同じようにシームレスに使えるのは便利だと思います。
細かいところではタスクバーの位置が変更できないこと(システムファイルを書き換えればできるかも知れません)、マウスのホイールにユーザー補助の機能を割り振る機能がなくなったのは残念です。

2023年1月15日 日曜日
映画「そして僕は途方に暮れる」のポスター
三浦大輔監督作品「そして僕は途方に暮れる」を観ました。原作、脚本ともに三浦監督で、本作は三浦監督が主宰する演劇ユニットが上演した作品を映画化したものです。 三浦監督の作品は2018年公開の「娼年」を観ていますが、とても湿り気のある表現を本作でも感じて、それが独特の世界観を創っていると思います。

主人公の菅原裕一は、いわゆる大人になろうとしないモラトリアムな人間です。裕一は鈴木里美と長く同棲生活をしていますが、里美が出勤するのを毎日見送り、自身は家事をするでもなく、働くでもなく、他の女性と浮気をしています。
しかし、LINEを里美に見られた裕一は浮気を問い詰められ、今後のことを話し合いたいと迫られます。しどろもどろに話を逸らそうとした裕一でしたが、突然、リュックに荷物を詰め込み、部屋を飛び出し自転車に乗り、あてもなく走り出します。
裕一がたどり着いたのは、北海道から一緒に上京してきた幼稚園からの友人、今井伸二のアパートでした。ここでも裕一は何もせず、金も払わず、仕事で疲れたという伸二に洗濯までさせます。しかし、真夜中までテレビを見続ける裕一は怒りをぶちまけられ、またしても荷物をまとめて逃げ出します。
大学時代の映画サークルの先輩で、元バイト先の先輩でもある田村修の部屋からも逃げ出し、後輩で映画の助監督として働いている加藤や、昔から折り合いの悪い姉の香にまで、裕一は一夜の宿を求めて訪ねますが、香りには母親に金の無心をすることを問い詰められ、すべて不調に終わってしまいます。
とうとう行く宛のなくなった裕一は、フェリーに乗り故郷である苫小牧の実家にたどり着きます。実家には母の智子がクリーニング店に勤めながら一人暮らしをしていましたが、リウマチで体が不自由になった智子は新興宗教に染まっており、そこからも裕一は逃げてしまいます。
クリスマスも近い雪の降る中、バス停で途方に暮れていた裕一が出会ったのは、かつて家族から逃げていった父の浩二でした・・・。

本作は、主人公が延々と現実から逃避する物語です。浮気を暴かれた同棲相手から逃げる。友人から逃げる。その他先輩や後輩、自分を責める姉、故郷に戻るも母から逃げる。とにかく主人公が逃げて逃げて逃げまくります。 その結果、人とのつながりが次々に壊れて、独りで彷徨う主人公の姿がひたすら描かれていきます。果たして裕一は最後はどこへとたどり着くのか、後半、二転三転の展開もありますが、観ているうちに主人公の行動から目が離せなくなり、いつのまにか主人公の心情が、なんとなくわかってくる。そんな感じでした。
「でも、コイツは、なんだかんだ壊せる人間関係があったからまだマシ。最初からボッチは壊すものさえねえよ」こんな感想も多いのではないか。そんな気もしました。

2023年1月24日 火曜日
血液検査結果報告書
2023年1月13日、関東甲信越ブロック血液センターより2022年12月11日献血時の「検査結果のお知らせ」が届きました。
内容は梅毒血清学的検査が陽性であり、過去に梅毒に感染したが現在は治っている状態、あるいは「擬陽性」であること。感染を示す検査結果として、

CLIA法(TPHA抗体) 陽性
RPR法 陰性

とあり、今後の献血はご遠慮下さいと書かれていました。
びっくりしましたが、過去に梅毒を含めSTDに罹患したことも治療を受けたこともなく、自覚症状もなし。2022年は3月、7月にも献血をしており、感染の機会もなかったことを考えると、検査の誤りである可能性が高いとすぐに思いました。しかし、血清学的検査の詳細は調べてみるべきだし、医療機関で精査してもらう必要はあるだろうと判断し、1月17日に長岡市内の医療機関を受診し精査をお願いしました。そして本日、TPHA抗体検査、RPR検査、ともに陰性であり、感染していないとの結果がでました。
梅毒の血清学的検査はTPHA検査とRPR検査を実施し、両方とも陽性であれば陽性として、医師は保健所に第5類感染症として届け出義務があります。
TPHA検査は特異度0.1パーセントくらいで、ほぼ擬陽性はないようです。しかし、治療により完治しても抗体に反応するので、検査をすると陽性になり、治療効果の判定には使うことはできません。一方、RPR検査は感染の有無と治療の効果を値の増減で判定することができます。
一般的に感染初期には、まずRPRが陽性になるといわれているようですが、最近の論文ではTPHAが先に陽性になる例も報告されていて、今回のようにCLIA法陽性、RPR法陰性であっても感染初期の可能性はあるということです。
梅毒は過去のものというイメージを持っている方も多いと思いますが、新潟県内でも感染者数が増えていて、2022年1月から12月までに確認されたのは137人と、過去最多だった2018年の65人を上回り過去最多となりました。男女別では男性は100人、女性は37人となっています。
献血は50回を目標にしていましたが、2022年12月11日、42回目をもって終了しました。残念ですが、おかげで性感染症について勉強できたのでよかったとしましょう(笑)

2023年1月31日 火曜日
「いつか必ず死ぬのに なぜ君は生きるのか」の表紙
立花隆さんの著書「いつか必ず死ぬのに、なぜ君は生きるのか」を読みました。立花さんは2021年4月30日、急性冠症候群で逝去されました。享年80才でした。
初めて立花さんを読んだのは高校の終わり頃で、背中に沁みついて離れることがない劣等感をなんとかしたくて、書物にすがる毎日のなかで手に取った一冊の中に「知のソフトウェア」がありました。立花さんは単行本にとどまらず、彼だけを特集した雑誌や、DVD付きのムック本も刊行されるなど、ジャーナリストとして扱うテーマの幅広さ、掘り下げ方は、まさに「知の巨人」であったと思います。同時に読者のすぐ隣にいて語ってくれているかのような文体は、難解なことをどう表現すれば意味を損なわずに平場に伝わるかを懸命に考えているようで、学者ではない、最高のジャーナリストであったと思います。
どの著書で語っていたかは忘れましたが、「僕の仕事は勉強することなんです」という言葉がとても印象に残っていて、取材対象が人であれば、著書や論文を読み込み、わからないことがあれば専門書を調べてから取材に臨んだといいます。「調べて書く、発信する」という行為こそが勉強である。インプットするだけではダメ、アウトプットしなければ意味がないという思考が、立花隆さんという人を語るときにベースになることではないかと思います。

本書は、
第1章 人間とはなんだろう?
第2章 死とはなんだろう?
第3章 人はなぜ生きるのか?
第4章 人はどう生きるのか?
第5章 考える技術
第6章 いまを生きる人たちへ
という構成で

立花さんの膨大な著作の中から厳選したテキストがダイジェストで収録され、立花さんが終生追い続けた「人間とは何か」「死とは何か」を振り返り、そこから「ではなぜ、どのように生きるか」を考えていく内容となっています。
私は科学分野を扱ったものを一番読んでいますが、1988年刊行の「脳死」は、渡辺淳一さんの処女作「ダブルハート」とあいまって、脳死という言葉が社会に浸透するきっかけになった著作です。立花さんは脳死判定において単純にゼロリスクを求めるのではなく、「社会が許容し得る誤判定リスク」の水準を自ら示した上で、当時の判定基準の不備を科学的見地から批判しました。
コロナ禍やワクチンのリスクをめぐる報道を含め、科学技術と社会のあるべき交点をどう考えるべきか、立花さんのように思索し、考えることの重要性を私たちは忘れていないか。本書を読んで思いました。

2023年2月15日 水曜日
「手を眺めると、生命の不思議が見えてくる」の表紙
植物学者の稲垣栄洋(イナガキ ヒデヒロ)さんの著書「手を眺めると、生命の不思議が見えてくる」を読みました。
稲垣さんの著書は2022年5月に「生き物の死にざま はかない命の物語」を紹介しています。本能に従い、「今この一瞬」だけを懸命に生きる生き物たちの、時にはかなく、時に残酷にも思える生涯と死にざまの物語は、人間もまた同列にいる、小さく弱い存在であることを思い出させてくれました。
本書は、手にまつわる話を足がかりに、死んだ細胞である「爪」はなぜ伸びるのか?「指毛」は何のために存在するのか?自分自身が生まれる奇跡的確率、人はなぜ「老いて死ぬ」のか?などなど、人体の進化と生命の神秘、そして「ただ生きている」ことの尊さが伝わってくる「生き物の死にざま」の人体版といった内容です。目次は、

第1話 夏の夜のできごと(蚊と人間のかかわり)
第2話 尊く美しい分身たち(血小板の一生)
第3話 死に体の運び屋(赤血球の献身)
第4話 爪の悲しい細胞(死ぬために生まれてきた)
第5話 不老不死以上(死は画期的なシステム)
第6話 昔の私はどこにいる?(去年の脳と今の脳は別物)
第7話 指と指の間にあるもの(指ができるまで)
第8話 個性があることの意味(多様性の価値)
第9話 イヌの指は何本?(ここに自分がいる奇跡)
第10話 謎に満ちた「目」(見えるのは植物遺伝子由来?)
第11話 つかむための進化(親指の進化)
第12話 指毛と戦いの歴史(戦争をやめることができない)
第13話 手に汗にぎる(汗をかく理由)
第14話 私と世界との間(感覚の不思議とマトリックス)
第15話 あなたという名の生態系(皮膚常在菌、腸内細菌)
第16話 コップをつかむ不思議(世界を作っているのは原子)
第17話 名前のない指(薬指の名前の由来)
第18話 一兆分の一の紋様(指紋の不思議)
第19話 ナンバー1になる確率(自分の存在の陰に無数の敗者)
第20話 じっと手を見る(与えられた命を楽しむ)
どの話もそれぞれ生物学的トリビアを盛り込みながら、私たちの体をつくる細胞たちが、命を守るために懸命に「生きている」ことが語られています。(カッコ書きの部分は内容を想像しやすいように私が勝手につけたものです。)
新型コロナウイルス感染症が流行して以来、週刊誌の表紙は「免疫力をあげる〇〇」なんていう言葉で飾られ、免疫が注目されるようになりました。医学的には免疫力という概念はありませんが、免疫細胞が体を細菌やウイルスなどから守っているのは事実です。しかし、命を守っているのは免疫だけでないことが本書を読むとよくわかります。
以下、全体を総括する第20話からの抜粋です。

どんなに死にたいと思っても、心臓は鼓動を打ち、血液はめぐる。
どんなに死にたいと思ってみても、胃腸は働き、腹は減る。
どんなに、つらく苦しくても、朝には目覚める。
私たちが何もしなくても、私たちは生きている。
私たちが何もしなければ、私たちはそのまま生きていくのだ。

頑張れと、人は言うけれど、頑張っていない人はいない。
体の中のあなたの細胞は、もう、すでに頑張っている。
生きているというだけで、もう、相当に頑張っているのだ。

人類は脳を発達させながら、先を読む能力を発達させてきた。
人類の想像力は、人々に冒険心や挑戦心を育んだ。
しかし、人類が手に入れた想像力は他の生物にはない悩みをもたらした。
人間は、「自らがいつか死ぬ」という遠い未来まで想像できるようになってしまった。
すべての生き物は、自分がいつかは死ぬことを知らない。
今、目の前にある命を生きているだけだ。

「死んだらどうなるのか?」とか、「なんのために生まれてきたのか?」とか、そんなことはどうでもいいことだ。

命があるのだから、その命を生きればいい。
生きて死ぬ、ただそれだけのことである。
ただ、それだけのことなのに、どうして悩む苦しむのか。

稲田さんや生物学者の池田清彦さんなど、科学者が説く人生論は、まず世界を客観視するところ(本書で言えば細胞の働き)から始めるので、説得力があって、かつ、やさしく感じ、それは仏教が説くところに似ていると思います。読み終わった後に、なんだか気持ちが楽になるのは、そんなところにあるのかも知れません。

2023年2月21日 火曜日
iPod
長年使ってきたiPod(第6世代)がとうとう壊れてしまい、新調しようとしたところ、iPodは2019年に発売になった第7世代を最後に製造中止になっていることを知りました。音楽もスマホを使いストリーミング再生で聴く人が多くなり、専用のデバイスは要らないということなのでしょう。しかし、一方ではレコードの製造が年々増えているといいますから、音楽の聴き方もお手軽とマニアックに二極化しているのかも知れません。でも、そのわりにはハイレゾの楽曲が増えていない気もしますが。
まぁ、そういうわけで探したらiPodの新品もありました。しかし、発売当時の価格約2万円に対して、希少であるという理由で6万円は出す気にならず、中古で第7世代のiPodを1万2千円で購入しました。iPodはポッドキャストとradikoを聴くのがメインで、音質にはこだわらないので中古で十分です。
近年、ポッドキャスト、クラブハウス、オーディオブックなどネット配信の音声メディアが注目されています。利用者の内訳をみるとZ世代だけでなくシニア世代にも人気があるようです。この背景には青春時代を「深夜放送」とともに過ごした経験があるからかも知れません。
私もニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイヤング」、TBSの「ヤングタウン東京」などメジャーな番組も聴いていましたが、ちょっと異質で印象に残っているがMBSの「ぬかるみの世界」です。笑福亭鶴瓶さんと大阪大学の先生が、リスナーから届く人生相談のハガキに、答えるというよりも「悩み」を語るという番組で、自分と同世代の人たちから届く、時には「死」という言葉が出てくるディープな悩みを聴いていると、なぜだか心が落ち着きました。
当時、海外の短波放送局に受信報告書を送ると、ベリカードという放送局オリジナルのカードがもらえるBCLブームがありました。私もカードは欲しかったのですが高価な短波ラジオなど持っていません。そこで試しに地元のAM放送局BSNに送ってみたところ、トキの写真のベリカード(ハガキ)が送られてきて、国内のAM放送局でもベリカードがもらえることがわかりました。そこで、聴ける範囲のAM局に送ってみたところ、民放はカードをくれましたが、なぜかNHKは音沙汰なしだったことを覚えています。
今、ボッドキャストでよく聴く番組は、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」ニッポン放送「辛坊治郎ズームそこまで言うか」radikoは「リリーフランキー・スナックラジオ」などです。いずれも楽しい番組ではありますが、テレビやネットとは質が違う情報が新鮮で、ひとつの事象でも見る角度によって景色が違うことを意識できるようになります。
たまには視覚情報から離れて、頭の中でイメージを膨らませるのも楽しいものです。

2023年3月2日 木曜日
「バカと無知」の表紙
「宝くじ」とは愚か者に課せられた税金である。
これを聞いて、みなさんはどう思うでしょう。テレビでは人気タレントが宝くじの宣伝をしているし、年末になると宝くじ売り場に行列を作っている人の映像が流れます。でも、テレビでは宝くじを買う人を「愚か者」とは言いません。実はこの言葉は橘玲(たちばな あきら)さんが著書「バカと無知」で語っている言葉です。
橘さんの著書は「言ってはいけない」「無理ゲー社会」を過去に取り上げていますが、本書も世の中のタブーの森に分け入って、芸能人と正義に関するニュースがどうして人気コンテンツになるのか?三人寄れば文殊の知恵が実は成立しない理由、なぜ差別はなくならないのか?などといった様々なテーマを取り上げ、近年の脳科学、社会心理学などの科学的知見を駆使し、徹底した現実主義の視点から社会や人間の「残酷すぎる真実」を浮き彫りにしています。
本書は、著者が2021年8月から22年6月にかけて「週刊新潮」に連載した「人間、この不都合な生きもの」に加筆、修正のうえ、付論2編を加えた内容になっており、論拠となる論文の出典もしっかり記載されています。

PART1 正義は最大の娯楽である
1なんでみんなこんなに怒っているのか
2自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」
3なぜ世界は公正でなければならないのか
4キャンセルカルチャーという快感

PART2 バカと無知
5バカは自分がバカであることに気づいていない
6「知らないことを知らない」という二重の呪い
7民主的な社会がうまくいかない不穏な理由
8バカに引きずられるのを避けるには?
9バカと利口が熟議するという悲劇
10過剰敬語「よろしかったでしょうか?」の秘密
11日本人の3人に1人は日本語が読めない
12投票率は低ければ低いほどいい
13バカでも賢くなれるエンハンスメント2.0の到来

PART3 やっかいな自尊心
14皇族は「上級国民」
15「子どもは純真」はほんとうか?
16いつも相手より有利でいたい
17非モテ男と高学歴女が対立する理由
18ほめて伸ばそうとすると落第する
19美男・美女は幸福じゃない
20自尊心が打ち砕かれたとき
21日本人の潜在的自尊心は高かった
22自尊心は「勘違い力」
23善意の名を借りたマウンティング
24進化論的なフェミニズム
PART4 「差別と偏見」の迷宮
25無意識の差別を計測する
26誰もが偏見をもっている
27差別はなぜあるか?
28「偏見」のなかには正しいものもある?
29「ピグマリオン効果」は存在しない?
30強く願うと夢はかなわなくなる
31ベンツに乗ると一時停止しなくなるのはなぜ?
32「信頼」の裏に刻印された「服従」の文字
33道徳の「貯金」ができると差別的になる
34「偏見をもつな」という教育が偏見を強める
35共同体のあたたかさは排除から生まれる
36愛は世界を救わない

PART5 すべての記憶は「偽物」である
37トラウマ治療が生み出した冤罪の山
38アメリカが妄想にとりつかれる理由
39トラウマとPTSDのやっかいな関係
40「トラウマから解放された私」とは?

付論1 PTSDをめぐる短い歴史
付論2 トラウマは原因なのか、それとも結果なのか?

という構成です。
タイトルになっているPART2 バカと無知の内容を少し紹介すると、「論理的思考能力はある方ですか?」という問いで自分の能力と世間一般の平均を比較したとき、多くのの人は、自分は人並み以上の能力を持っていると答えるそうです。このことを著者は“人並み以上効果”と呼び、恋愛や仕事での成功の見込み、我が子の才能など、あらゆることについて、「平均と比べてどうですか?」と聞かれると、人並み以上と答えてしまうのが人間の習性だといいます。ここで重要なことは、この習性は人によってその出方にばらつきがあり、より強く出るのは”平均よりもかなり能力の低い人”だということです。

ある実験で、学生に対して“論理的推察能力”に関するテストを行いました。このテストは、最低点0点から最高点100点、平均点50点になるように設定されたテストです。まず、これを受ける前に学生たちに、「何点くらい取れそうか?」と質問をします。

その自己評価の平均は、66点でした。これは先ほど説明したとおり、人並み以上効果によるもので、自分を平均点以上だと予測した結果、本来の平均の50点を大幅に超えた66点になっています。

面白いのはここからで、成績下位25%の学生たちの平均点は12点でしたが、このグループはなんと平均して68点取れそうだと答えたそうです。実際は12点の人が、予測の段階では68点、つまり、自分の能力を5倍以上過大評価してしまっていたのです。一方で、成績が上位25%の学生たちの平均点は86点でしたが、予想時の平均点は74点。

成績上位者は逆に、自分の点数を低く見積もっていたのです。成績上位者が点数を低く見積もるのは、「自分がこれだけ解けたから、他人も解けているだろう」と、他者を過大評価したがゆえの見積もりだということだそうです。

この研究から、能力が低い人は自分の能力を過大評価し、能力が高い人は他者の能力を過大評価することが分かりました。注目すべきは、能力が低い人が自分の能力を、とてつもなく過大評価していることです。これは論理力のテスト以外でも同じで、文法問題などについても、同じ結果になるそうです。

つまり、能力が低い人は、多くのことで能力が低いことに気づかないということです。本書ではこれを、「バカの問題は、自分がバカであることに気づかないこと。なぜなら、バカだから」と結論付けます。

このバカの問題を知って、みなさん、どう思うでしょうか。他人のことを”バカだな”と、さも自分はバカじゃないと思えるのは、自分自身がバカであることを知る術はないからで、平均以上はできるだろうと思っている能力のほとんどが、平均以下であるという認識を持ち、自分自身を客観視しすると同時に、低く見積もりがちな自分が得意なこと、長年続けてきたことなら、ある程度自信を持つことも大切ではないかと思いました。
世の中「キレイごとにはウソがある」ことは、生きていく中で肌感覚で分かってくるものです。本書はそれを客観的に説明しているもので、たしかにその通りと納得はしました。でも、なぜか元気がでません。
確率論でいえば「宝くじ」などドブにお金を捨てるようなもの。余剰資金があるなら投資するほうがマシ。これが分かる人が増えれば世の中、今よりもマシになるのかも知れません。でも、能力値が低いあなたはベーシックインカムを受給して、会社には週2日だけ来てくださいという未来はきてほしくない。そう思います。

2023年3月11日 土曜日
「#真相をお話しします」の表紙
子供の頃、Oヘンリが好きでした。ユーモアとウィットとペーソスに彩られた物語の、最後のページで待っている思いもかけない結末。後に映画「街の灯」を観たとき、Oヘンリを読んだ後と同じ残り香を感じ、もしかしたらチャップリンもOヘンリが好きだったのかも知れないと思ったものです。
さて、今回読んだ、結城真一郎さんのの短編集「#真相をお話しします」は「思いもかけない結末」はOヘンリと同じですが、こちらは背筋がゾクッとするミステリーです。ミステリーも嫌いではないのですが、トリックが後出しだったり、合理的にありえなかったりすると、なんだかシラケてしまいます。しかし、本作は後出しは一切なく、限りなくフェアな筆致で読者の推理をあざ笑うかのような結末で「あれが伏線だったかぁ!」と悔しいけれども気持ちいい、これぞミステリーという感じでした。
本作は、中学受験専門の家庭教師のバイトをする大学生、パパ活をしてる女子高生の父親、オンライン飲み会に興じる若い会社員、不妊治療中の夫婦、YouTubeに夢中な小学生など、どこにでもいそうな主人公と、彼らのごくありふれた日常を描きつつ、読者はとんでもない結末に連れていかれます。
どの作品も、今の世の中の空気感というか、時代の気分のようなものが描かれています。「マイナンバーカードは個人情報の漏洩が心配だ」とか言いながら、みんなSNSはやめないし、出会い自体は以前とは比べものにならないほどの出会いがあるけれど、相手については彼、彼女の自己申告を信じて付き合うしかない。こんな現代社会の不安や矛盾。そして、とっても異常な事だけど、これはどこかですでに起きてる、あるいは、起きてしまうことではないか。ページをめくるにつれ、そんな気配が迫ってくる、ミステリー好きにはおすすめの一冊です。

2023年3月12日 日曜日
映画「Winny」のポスター
テレビのニュース番組でも報道されたので、コンピューターに関心がない方も知っていると思いますが、アメリカの非営利団体OpenAIから対話型AI、ChatGPT Ver4.0がリリースされました。インターネット以来のイノベーションという評価をする専門家も多く、Windowsがそうであったように、いよいよ私たちの生活の中に急速にAIが入ってくることになりそうです。
日本でも20年くらい前、こういった革新的な技術の芽が生まれていましたが、その芽は育たなかったどころか、国家によって潰されてしまうという非常に残念な事件(Winny訴訟)がありました。堀江貴文さんや西村博之さんなどは、そのまま研究が進んでいたら日本発の技術が世界を席巻し、他のG7国と同じくらいの経済成長が見込めたのかも知れないと指摘します。
松本優作監督により映画化された「Winny」は、2002年に実際に起きた事件を基に、革新的なフリーソフト「Winny」を開発し罪に問われた技術者、金子勇さん(ネット上では47氏)が、無罪を勝ち取るまでを描いています。
「Winny」とは、サーバーを介さずに個人のPC間で直接データファイルを共有することができる通信技術「P2P」を使ったファイル共有ソフトで、金子さんが逮捕されたのはWinnyを開発したことが理由ではなく、Winnyを使って著作権のあるデータを公開した人を助けた「著作権法違反幇助」という容疑でした。
WinnyはインターネットでつながったWinny同士(多くは個人所有のPC)で動画、写真、音楽、ソフトウェアなど、多種多様なファイルを簡単に共有することができました。しかし、複数のPCを経由する匿名性の高さから、著作権を無視して市販の映画、CD、ソフトウェアなどを公開してしまう人が増え、著作権侵害容疑の逮捕者も多数出る騒動となりました。また、Winnyは指定したフォルダの内容だけが公開される仕組みなのですが、公開フォルダに入れていないファイルを公開したり、ファイルを勝手に公開フォルダに入れたりするウィルスがWinnyを介して感染し、個人情報や機密情報の流出が社会問題となりました。
当時、小泉内閣の官房長官だった安倍晋三さんは会見を開き「情報漏洩を防ぐ最も確実な対策は、パソコンでWinnyを使わないことです。」と呼びかけるなど、恐ろしい面ばかりが報道された影響もあり、Winnyは悪いソフトという認識が急速に広まっていったように記憶しています。しかし、Winnyで公開、ダウンロードしたファイルが違法ファイルでなければ、基本的にソフトの利用自体には問題ないはずだし、PCにWinnyがインストールされてるからといって罰せられることもありません。つまりは、「使う人の問題」であって、ソフト開発者に責任を問うのは筋違いだという意見は当時からありました。
新しい発想の開発を制限するような判決や、世の中の空気感が、IT技術開発の分野のみならず、イノベーションが起こる素地を委縮させ、日本が世界に遅れを取る要因のひとつになったことは否めないと思います。ではなぜ、検察はそこまでしてWinnyを抹殺しなければならなかったのか。当時からの疑問に対する答えは本作でも一切触れられていませんでした。なんだかこのあたりはライブドア事件や、カルロスゴーンさんの事件と似ていると思いました。

2023年3月19日 日曜日
EVバス
令和5年3月19日より、長岡市街地を走る中央循環バス(通称くるりん)が電動バスになりました。新潟県内の路線バスでは初めての導入となります。
バスに積んだ総電力量296kwのバッテリーをフル充電すると最大296qを走行可能で、コンセントが6つあり、災害時の非常用電源としても利用できるスグレものです。
乗ってみた感想は、天井が高く窓が大きいので広く感じます。車体中央の乗車口はステップがこれまでより若干低く、間口は広くなっており、車いすユーザーも使いやすくなったと思います。車体前方の降車口はドアが開くと、ドアに取り付けられたバーにつかまりながら降りることができます。窓側の座席の壁にはUSBポートが取り付けてあり、見た感じTypeAのUSB2.0で充電用だと思いますが、乗車時間の短い市内循環バスでは使う人は少ないと思います。
シートはちょっと固めで、走行音はとても静かです。一番ガソリン車との違いを感じたのは、動き出す時、止まる時の、あの「ギツッ」という感じを全く感じないところで、実にスムースで快適な乗り心地でした。
子供の頃作ったマブチモーターと単三電池で、カタコト動いたタミヤの1/24の自動車。アレと同じ原理で動くバスに乗っていると思うと不思議な気がしました。

2023年3月26日 日曜日
映画「ロストケア」のポスター
前田哲監督作品「ロストケア」を観ました。原作は葉真中顕(はまなか あき)さんの同名小説です。
前田監督の作品は2018年公開の「こんな夜更けにバナナかよ」2021年公開の「そしてバトンは渡された」「老後の資金がありません!」を観ています。これらの作品は明るいトーンで描かれて気持ちが和むものでしたが、本作は、人は誰でも心に冬を隠していて、辛いけれど、苦しいけれど、それと正面から向き合わないとならない時が必ず来る。その時の覚悟があなたにありますか?そんなことを問われているようで、ジャンル的には社会派サスペンスの娯楽映画になるのだと思いますが、とても重いテーマが流れる作品でした。

冒頭で本作のキーとなるシーンが描かれます。
検事である大友秀美は古い木造アパートの一室に駆けつけます。部屋中にゴミ袋の山が積まれ、あふれたゴミが散乱しています。秀美は悪臭に鼻をハンカチで覆いつつも、人型にシミのできた床から死体袋に入れられて運ばれる、孤独死した遺体を凝視しました。警官の話では亡くなってから2ヵ月は経過しているだろうということでした。

同じ頃、ある訪問介護ステーションに斯波宗典(しば むねのり)は勤めていました。彼は介護福祉士として優しく利用者とその家族に接し、誠実に仕事をこなし、周囲から信頼されていました。
ある日、訪問先の老人が亡くなり、斯波は担当スタッフと一緒に通夜に行きました。その帰りの居酒屋で、看護師の猪口が「ポックリ逝ってくれて娘さん助かったわよねぇ〜」と亡くなった老人の話をします。それに対して、「そういう言い方はないと思います」と反論する若い介護福祉士の足立由紀を、斯波は無言で見つめていました。足立は斯波に尊敬以上の感情を抱いているようでした。

斯波が勤める訪問介護ステーションでは、訪問先は独居老人宅が多いため、各家のマスターキーを預かっており、訪問から戻ると、そのキーを事務所に返納することになっていました。
ある日の朝、訪問先の家で老人と訪問介護ステーションの施設長の死体が発見されます。発見者は老人の娘である洋子でした。彼女はシングルマザーで、認知症があり独居している父親の介護のため、パートに行く途中に様子を見に来たのでした。
老人は自室のベッドで死んでいましたが、施設長は階段の下で死んでいました。施設長は窃盗目的でマスターキーを使って老人宅に侵入し、階段から転げ落ちたようでしたが、警察は事件として動き出し、大友秀美検事の元へ依頼がきました。その後の調べで、施設長はアルコール依存症で金に困っていたこと、老人は毒殺されていたことがわかり、やがて捜査線上に浮かんだのは斯波宗典でした。

大友の取り調べに対し当初は黙秘をしていた斯波ですが、そのうちに「老人の具合が心配だったので様子を見に行ったら、施設長が盗みをしている現場を目撃し、気づいた施設長と揉み合いになっているうちに、施設長が階段から転げ落ちた。あれは事故だった」と話し出しました。
大友は斯波の話を検証すべく、彼の身辺を調べ始めます。その中で、この訪問介護ステーションを利用している老人の死亡者数が他の施設に比べ異常に多く、今回を含め2年間で41人もの老人が亡くなっていたことに気づきます。さらに勤務シフト表を調べると、斯波の休日に限って老人が亡くなっていたことが判明します。
大友は斯波を追及し、これまで調べた状況証拠を突きつけます。老人殺害の件と聞いても落ち着き払った態度の斯波は「今までに、42人殺しています」と自ら犯行を自供します。

大友の母は、有料老人ホームに入居していました。彼女は離婚後、一人で大友を育て、「骨折して歩けなくなったから」と自ら希望して入居したのですが、認知症も発症していました。そんな親を抱える大友は「身体が不自由で生活に助けを必要とし、抵抗できないお年寄りを、あなたは殺したのです!」と斯波に対峙します。しかし、斯波は「殺すことで彼らと彼らの家族を救いました」「僕がやったことは介護です」「喪失の介護、ロストケアです」と穏やかに答えたのでした。

その後、大友は被害者遺族として洋子を聴取しました。「最愛のお母様が、献身的な介護に関わらず、卑怯な手段で殺されたんです。無念ですよね」という大友の言葉に対し、洋子は「私、救われたんです。たぶん、母も」と答えます。 「介護の負担が重く、本人も家族も苦しんでいる者を選んで殺した」と主張する斯波。しかし、確認できた被害者は「41人」であり、1人足りないことに大友は気づきました。
大友は斯波の過去を調べ、彼が印刷会社を退職して訪問介護ステーションに就職するまでの3年間の間、認知症の父親の介護をしていたことを知ります。そして、斯波の最初の殺人が父親であったことも・・・。
「実の父親を殺したことも正しいというの?」と大友。それに「はい」と答え、壮絶な介護体験を語り始める斯波。
物語は法廷へと移り、大友は殺人として斯波を追及し極刑を求めますが、斯波はこれまでと同じ主張をするのでした。この後、どんな判決が下ったのかは描かれず、大友が拘置所に斯波を訪ねる、この作品のキモともいえるラストシーンを迎えます。

本作は大友の鋭い社会正義と、それに対し斯波が訴える「社会が掬い取るのできないどん底からの叫び」によって構成されています。法的救済には大きな落とし穴があり、全ての人が救済を受けられるとは限らず、最終的に<ロストケア>にしか救いがなかったとしたら、それを責めることができるのか。考えてしまいました。また、介護の問題だけなく安楽死や尊厳死、命の問題、社会格差、行政のあり方、国のあり方など、日本の抱えている問題が凝縮された作品だと思います。
ラストシーンを含め、大友と斯波が対峙するシーンに圧倒される作品ですが、斯波が逮捕された後、大友が斯波のアパートを調べるシーンが印象に残りました。いくら男の一人暮らしの部屋とはいえ、聖書と介護の参考書、自分が介護した老人たちを詳細に記載したカルテのような何冊ものノートが入った本棚、それに机と椅子。それ以外何もない部屋。それはまるで刑務所のようで、斯波は自分の行為を決して正義だとは思っていない、償う気持ちがあることを現していると感じました。

介護保険が導入されて23年が過ぎますが、、介護が抱える問題は山積みです。実際に介護に起因する心中事件や殺人事件も後を絶たず、2025年には65才以上の高齢者の約5人に1人は認知症を患うと見込まれています。

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