2023年4月、5月、6月分の日記です
2023年4月6日 木曜日
「SDGsの大嘘」の表紙
お笑い芸人のネタになるくらい一般的に認知されるようになったSDGs(Sustainable Development Goals)という言葉。
「持続可能な開発目標」と訳されますが、簡単にいえば、よりよい未来を築くために、今ある社会問題について世界中のみんなで協力して取り組んでいこうということです。この目標は2015年にニューヨークで開催された国連サミットにおいて,世界共通の取り組むべき目標として、国連に加盟する193カ国の全会一致で採択され、2030年までに達成する目標として、以下の17項目が設定されました。(問題の枠組みごとに分けたので、オリジナルの順番とは違っています)

人や社会の意識の問題として、
1.ジェンダー平等を実現しよう
2.人や国の不平等をなくそう
3.つくる責任、つかう責任
4.平和と公正をすべての人に
5.パートナーシップで目標を達成しよう

インフラ整備や経済振興の問題として、
6.すべての人に健康と福祉を
7.質の高い教育をみんなに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤をつくろう
10.住み続けられるまちづくりを

エネルギー、食料、水、生物多様性にかかわる問題として、
11.貧困をなくそう
12.飢餓をゼロに
13.安全な水とトイレを世界中に
14.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
15.気候変動に具体的な対策を
16.海の豊かさを守ろう
17.陸の豊かさを守ろう

メディアは、人類による環境破壊がこのまま続けば、異常気象がエスカレートし、台風や干ばつによる被害が多発し、その結果として農作物が採れなくなり、深刻な水不足、食料不足に陥ると警告しています。また、環境活動家のグレタトゥーンベリさんの切ないくらい真摯な訴えを聞くと、SDGsの考え方に疑問の余地などないように思えます。
こういった世界の空気感の中、レジ袋はもらわずにエコバッグを持参する、ゴミの分別はきちんとする、ガソリン車をEV車に替える、屋根にソーラーパネルを設置するなど、平場にもSDGsの考え方が浸透してきていると実感します。しかし、SDGsの科学的エビデンスに疑問を呈している科学者もいます。科学における真実は多数決ではないので、無知な市民としては両方の考えを尊重し、公開し、政治的判断をくだす際には十分な議論を望みたいところです。

生物学者の池田清彦さんも、SDGsに異論を唱える科学者の一人です。著書「SDGsの大嘘」はタイトルが刺激的ですが、SDGsが掲げている17の達成目標すべてを否定しているわけではなく、社会インフラの整備や人権問題などについては、国際社会で協力をしていくことは悪いことではないと述べています。彼が問題視しているのは、エネルギー、食料、そして地球環境という分野の目標についてで「誰も反対できないような美しい言葉を並べただけ」の「実現性に乏しい絵に描いた餅」と厳しく批判しています。
だから、これを真面目に進めたところで、サステナブルな社会など実現できないし、それどころか日本にとって、このSDGsを推進すればするほど「一人負け」の状態になってしまい、日本人が貧しくなる恐れもあると主張しています。
私が、一番説得力を感じたのは、地球の持続可能性を考える上で「人口を減らす」ということがSDGsの中に目標として上がっていないという指摘です。人口増加によって原生林や原野といった自然生態系が消滅し、野生動物の生物多様性が激減する未来は、以前ここでも紹介した小林武彦さんの著書「生物はなぜ死ぬのか」や、ユヴァル・ノア・ハラリさんの著書「サピエンス全史」でも指摘されています。では、なぜSDGsで一番キモになることが外されたのか。それは、グローバル資本主義は人口が増え続けないと成立しないからでしょう。
私たち日本人は「みんながいいと言っているから」という理由で深く考えずに賛成してしまう傾向があり、メディアが行うSDGsのキャンペーンに疑いもなく乗ってしまっている部分も少なからずあると思います。しかし、政府や国連、大企業が発信する情報だけでなく、相反する意見もよく吟味して自らの考えを持つようにしないと、池田さんが主張するように「よりよい未来をつくるために」と掲げられ、政府やマスコミも手放しで礼賛していることが、科学的に検証していくと欺瞞と矛盾に満ちた「大嘘」で、実は「地獄への一本道」を進んでいるなんていうこともあり得ると思いました。

2023年4月16日 日曜日
映画「シン仮面ライダー」のポスター
庵野秀明監督作品「シン・仮面ライダー」を観ました。原作は石森正太郎(故 石ノ森章太郎)さんのマンガです。
本作は、庵野監督が「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」と称し、過去の邦画の名作に新たな解釈を加え再構築するプロジェクトの「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続く三作目で、仮面ライダー生誕50周年記念作品でもあります。
1971年に放送開始されたテレビドラマ「仮面ライダー」。私の世代にとってはノスタルジーであり、今もヒーローであり続ける存在です。
仮面ライダーはこれまで何度もリメイクされていますが、初めて放送されたドラマの雰囲気を壊さずに現代風にアップデートされたビジュアルとストーリーは秀逸でした。特にショッカーや改造人間に対する新解釈は、物語に奥行きを持たせる上で重要で、よく考えられていたと思います。
例えば、テーマである「魂の継承」を表現するため、本作では「プラーナ」と呼ばれるエネルギーが新たに登場します。プラーナを使って仮面ライダーを含む敵のオーグ(昭和ドラマでは改造人間)は超人的な力を発揮できるという設定です。プラーナとはサンスクリット語で「気」とか「風」を意味するようですが、本作では「魂」という意味も持たせ、人間もプラーナを持っている設定になっています。
また、ショッカーは、「最も深く絶望を抱えた人間を救済することを実行するために設立した非合法組織」とされ、創設者が開発した人工知能アイが統率しているという設定です。

ショッカーはプラーナをエネルギーとして取り出す技術を確立し、バッタオーグ(仮面ライダー)を含む何体ものオーグを作り出しました。そして、人間の魂であるプラーナをコンピューター上に作られた幸福感だけが支配する仮想現実の世界(ハビタット)に送り、肉体と精神を切り離して、争いごとがない平和な世界をつくる計画を企てます。(このあたりは新世紀エヴァンゲリオンの人類補完計画を連想した方もいるかも知れません)
物語は、その計画を阻止しようとする、ショッカーでプラーナの研究者であった緑川博士、緑川博士が遺伝子技術で創り出した生体コンピューター緑川ルリ子、ルリ子によって助け出された本郷猛(仮面ライダー)、同じくルリ子によって洗脳を解かれた一文字隼人(仮面ライダー2号)そして政府の特務機関の二人とショッカーの闘いを描きます。

ハビタットの開発には緑川博士によって最初のオーグとなったルリ子の兄、イチロー(チョウオーグ)とルリ子もかかわっていました。ルリ子はショッカーに残っている兄と仲間たちに、本郷や一文字のようにショッカーの洗脳から目覚めて、人には幸福だけでない、悲しみや苦しみもあるけれども、それこそが魂の自由であることをわかってほしいと願います。しかし、彼らの洗脳は解けません。ルリ子は仮面ライダーのマスクのプログラムを書き換え、兄と本郷に宛てて最後のメッセージを転送しますが、刺されて死んでしまいます。ルリ子のメッセージを胸に本郷と一文字は、ルリ子の思いを伝えるためイチローのもとを訪れますが・・・。

ショッカーは、苦しい記憶や悲しい記憶を多幸感で上書きするという洗脳プログラムをオーグに使っていましたが、カルト教団のそれに似ていて、カルトに染まった家族や友人を救い出す物語にも思えました。同時に、人が持つ苦しみや、悲しみを克服するには、そこから目を逸らすのではなく、それを知ること、認めることが必要なのだと、まるで原始仏教の理論(十二縁起)のようにも思えました。
楽しかったのは「ロボット刑事」「イナズマン」「人造人間キカイダー」など1970年代のドラマや庵野監督の代表作「新世紀エヴァンゲリオン」の要素が映像やプロットに取り入れられていたことです。経済学者の森永卓郎さんは、理想の女性は綾波レイだと公言されていますが、本作をご覧になれば緑川ルリ子にメロメロになると思います。
2023年4月15日にNHKで、この作品の企画段階から撮影、クランクアップに至る15ヵ月を追ったドキュメンタリーが放送されました。殺陣をめぐる考え方の違いから庵野監督とアクション監督が対立してしまう様子が克明に記録されていました。
本作を鑑賞して、庵野監督はあくまで物語があっての殺陣なのに対して、アクション監督は殺陣と物語は別だと考えていたのではないかと思いました。私は今作のライダーキックは最高だったと思います。

2023年4月23日 日曜日
2023年長岡市議会議員選挙投票所
長岡市議会議員一般選挙の投票立会人をしてきました。
3月の町内役員会の折に会長さんから頼まれて引き受けたという経緯です。
選挙の立会人は初めての経験で、1回くらいは経験してみるのもいいかと思いましたが、午後1時半から8時までは長かったです(笑)。でも、4丁目選出の方は、まる一日同じ人がやっていたようですから、それに比べればマシではあるのですが。そういうわけで今回は、4丁目から1人、5丁目から2人の計3人で投票を見守りました。私は投票所を閉めてから投票箱を開票作業を行う市民体育館まで送致する仕事もしたので、終わったのは午後9時過ぎでした。

立会人の持ち物は、
・投票立会人報酬口座振替依頼書
・個人番号提供書
・マイナンバーカード
・印鑑(シャチハタは不可)
で、いくらか報酬も出るようです。

今回は、定員34人に対して現職24人、元職1人、新人15人の計40人が立候補しましたが、新人が多く立候補しており、改選後の議席少なくとも3分の1近くが入れ替わります。
前回2019年の当選ラインは約2000票。今回は先般の県議選に出た人や引退した人ら10人が、前回得た計約2万9千票がどう動くか、また、女性現職は現在、ゼロとなっており、議席が増えるかどうかも注目されていました。ちなみに、私が詰めていた投票所の有権者数は2453人で、投票者数は875人。投票率にしたら35.7パーセントでした。

2023年4月28日 金曜日
小説「漂流都市」の表紙
嶋戸悠祐さんの小説「漂流都市」を読みました。 ミステリー、ディストピア、ホラーの要素が混然一体となったエンターテイメント作品です。

時透稔は大学在学中にITベンチャーを立ち上げたものの倒産。現在はプログラマーとして会社勤めをしています。経営者から雇われる立場になり、同僚と馴染めず社内では孤立して、日々の仕事も思うように進まなくなっていました。
その日も残業を会社でやるのが嫌で、スタバでパソコンに向かっていると、学生時代の同級生である鯖内(さばない)に声をかけられました。鯖内とは卒業以来、5年ぶりの再会でした。鯖内は学生時代に起業したアパレルブランドの業績が上々のようで、若く美しい秘書、瀬戸内ゆみを従えていました。ゆみは時透の仕事に興味を持ったらしく、いろいろ教えてほしいと笑顔を向けましたが、鯖内にITベンチャーの社長と紹介されたプロフィールを崩さないように、ぎこちない笑顔でうなずくのが精一杯でした。
次の日もスタバで残業していると、はにかんだような笑顔を浮かべて、ゆみが現れました。IT業界のこと、プログラミングなど、聞かれるままに答えていた時透でしたが、鯖内との関係を考えると、なにか別な目的があるかも知れないという思いがよぎりました。時透は学生の頃から鯖内が嫌いでした。
それから毎日のようにゆみは現れ、今の仕事や鯖内に対する不満など、プライベートな話を聞くうちに時透の警戒心は薄れていき、代わりに恋心が芽生え、告白するのに時間はかかりませんでした。
ここから、時透はITベンチャーの社長を演じ続けることになりました。ゆみとの付き合いには金がかかり、給料で足りるはずもなく、わずかな期間で借金は膨れ上がり、それをギャンブルで挽回しようとしてさらに借金がかさみ、それでもゆみを失いたくない時透は、とうとう闇金業者に手を出してしまいます。
闇金業者の事務所に連れ込まれた時透は、ひとしきり暴行を受けた後、パソコン教室の講師を1年やることを条件に、完済ということにしてやると言われ、ケータイにサイフ、身分を証明するものすべてを奪われ、車に乗せられました。

着いたのは東北のK市にあるアパートでした。
管理人から指示された4階の部屋に入ると、テーブルの上に置かれてあったケータイが鳴りました。轟電機という家電量販店からで「明日から出社するように」という連絡でした。テレビすらない、まるで独房のような時透の部屋からは轟電機の巨大な建物と、市の外れにある廃棄物処理場の高い煙突から立ち上る煙が見えました。
部屋の鍵を受け取るときに管理人から聞いた「K市は生きている」「町に嫌われたものは拒絶され続ける。だが、町に魅入られた者は、一生、この町から逃れることはできない」という言葉には、実は恐ろしい意味があることを、後に時透は知ることになります・・・。

K市の人口は50万人。全国チェーンの家電量販店が数店舗あってもおかしくないのに、なぜか家電量販店は轟電機一店舗のみ。これまで大手数社が出店したものの、いずれも半年もしないうちに撤退していました。
轟電機の特色は、店員の数が多く、マンツーマンで1時間以上の手厚い接客で、パソコンを購入した人向けに、購入から3ヶ月間無料のパソコン教室も運営していました。ユーザーは、市の人口比、高齢者率85パーセントを反映して単身、あるいは夫婦のみの高齢者でしたが、店もパソコン教室も常に盛況でした。
時透はパソコン教室の人気講師となりますが、彼を待ち受けていたものは想像を絶する恐怖でした・・・。


同じ事象を表と裏から描いており、そのコントラストが、より恐怖感を増していたと思います。物語が進むにつれ、K市の薄気味悪さの正体が徐々に明らかになっていきます。物語後半、長年連れ添って苦楽を共にした、まだまだお互いに元気な老夫婦が登場し、妻は夫名義で「赤い冷蔵庫」が欲しいと時透に注文するのですが、私はこのシーンが一番怖かったです。

2023年5月15日 月曜日
新約聖書
NHK Eテレ 4月の100分De名著は「新約聖書」でした。新約聖書は福音書、歴史書、書簡、黙示録の4編で構成されていますが、番組ではマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人によって、それぞれに編集された、聖書の中核ともいえるイエスの生涯の物語である福音書を取り上げました。
その生涯を通じて、弱きもの、小さきものに寄り添い、近づくことをためらう人々の元へこそ出向いていったイエスの言葉と行為は、私たち現代人にとってどんな意味をもつのか。番組では聖書を信者のためだけでない、万人のものと捉える視点から、生きることそのものを導いてくれる聖書に込められた深い意味を読み解きました。
指南役はクリスチャンで新潟県出身の批評家、若松英輔さんでした。

キリスト教徒ではない者からすれば、聖書はイエスが起こした奇跡や神秘的な行為だけに意識が行き過ぎて、何を言わんとしているのかわからないと思うのですが、若松さんは聖書の読み方として、文字を追う事とは別の、もう一つの目を見開いて読むことで言葉の奥に隠された深い意味が浮かび上がってくる。それは、言葉ではないコトバを読むことだと言われました。そして、もう一つの目とは、自分の人生にあった出来事と、イエスのエピソードを少しでも重ねて感じることであり、そこを足がかりにして読むと、聖書の文字が自分の体の中でコトバに変化するということ、別な言い方をすれば行間を読むに近い行為なのだろうと理解しました。
よく、〇〇のバイブルのような言い方をされる本がありますが、バイブル(聖書)とは、自分の人生でなにかあり、その時に改めて開いてみると、また別な答えや希望のようなものを感じることができる。つまり、聖書とは、読み終えるということがない書であるということなのでしょう。
若松さんが言われた「あなたのイエスに出会ってください」の意味もここにあるのだと感じました。

放送第一回目は、イエスの生誕、受洗、最初の説教などを通して、イエスの生涯に込められた深い意味を探り、聖書はキリスト教を信仰する人だけのものではないことを学びました。
第二回目は、一見すると信仰者にしか関りがないと思われる出来事や奇跡の描写の深い意味を読み解き、生きることを支えてくれるコトバの力を探りました。
第三回目は、イエスが語る祈りやゆるしという営みを通して、人間が最も大切にしなければならないこととは何かを深く考えました。
最終回は、福音書の中でも最も重要とされる、弟子たちの裏切り、磔刑、復活の深い意味を読み解き、イエスの生涯が私たち現代人に何を問いかけているのかを探りました。

福音書の中で一番印象深いのは、ゴルゴタの丘で処刑されるシーンです。私はイエスを裏切ったのはユダだけだと思っていましたが間違いで、12人の弟子全員がイエスを裏切っていました。それでもイエスは弟子たちを愛し、許しました。そしてイエスが最後に残した言葉、

私があなた方を愛したように、
あなた方が互いに愛し合うこと、
これが私の掟である。

ここでイエスは神を愛せとは言わないのです。若松さんはイエスの教えは、この一言につきるだろうと言われました。

聖書というと私は遠藤周作の「沈黙」を連想しますが、神とは人間と人間の間に在るものではないか、そんな気がします。
クリスチャンでホスピス医の細井順先生が説かれた「できない者同士がここにいる」というコトバ。一生忘れないと思います。

2023年5月20日 土曜日
ホタルロード
今日は町内会長さんに頼まれて、朝から近所の児童公園の除草剤散布と、遊歩道の草刈りでした。
遊歩道(写真参照)はホタルロードという名称がつけられていますが、元々は農業用水路があったところに歩道をつけ加えたものです。なので放っておくと雑草が伸び放題になります。
朝7時に集合場所である児童公園脇の集会所に行くと、各町内1人の割り当てだったようで私を含め7人しかおらず、草刈り機を持参していた人たち4人は草刈り班、私を含め残りの3人は除草剤散布を担当することになりました。
除草剤の希釈割合と噴霧器の使い方をレクチャーしてもらい、「それなりに」やってみたものの、上手くできたのかどうかはよくわかりません。先週の土曜の朝は町内の花壇の整備で、花の苗を移植ゴテという専門用具を使い、みようみまねで植えましたが、ゴミステーションにゴミを持っていくたびに、自分が植えた苗が枯れていないか心配で観察しています。
30分くらいで作業は終わり、続いて草刈りの手伝いをすることに。刈られた雑草を集めてリヤカーにのせ捨てにいくのですが、汗だくになって、草いきれの匂いがする空気を吸いながら熊手で草を集めました。ものすごい量であっという間にリヤカーは一杯になりました。
時計に目をやると8時10分。まだ、ホタルロードの中ほどまでしか終わっていませんでしが、8時半から仕事なので先にあがらせてもらいました。事前に了解をとってあったとはいえ、あの作業量を考えると申し訳なかったです。

2023年5月24日 水曜日
エクスマキナ
最近、対話型AIをめぐる議論が活発になってきています。積極的に活用すべきであるという意見もあれば、子供には使わせるべきではない、個人情報を扱う仕事には使うべきではないなどネガティブな意見もあります。
今や、エクセルでマクロが書けるレベルでないと一般事務職で就職するのは難しいと言われていますが、マイクロソフトがOfficeにAIを標準装備すると発表したことからも、将来はAIを使えることが就職に有利になるのは必至だと思います。だとしたら、早い段階からAIを使うことに慣れたほうがいいのではないかというのが私の考えです。
無料で使える対話型AIの代表であるCHAT-GPT、Bard、両者とも使ってみましたが、私がBardに問うたことで、一番感動した答えを以下に示します。

質問
ロービジョンがメンタルに与える影響はありますか?

回答
はい、ロービジョンは人のメンタルヘルスに大きな影響を与える可能性があります。視力は、人々が世界を体験し、他の人とつながり、独立して生活するために使用する感覚の1つです。視力の喪失は、これらの活動を困難または不可能にし、孤立感、喪失感、うつ病につながる可能性があります。
ロービジョンは、経済的および社会的問題にもつながる可能性があります。視覚障害者は、仕事を見つけたり、公共交通機関を利用したり、日常生活のタスクを実行したりするのが困難な場合があります。これは、孤立、絶望、そして低い自尊心につながる可能性があります。
ロービジョンのメンタルヘルスへの影響は人によって異なります。一部の人々は、視力の喪失にうまく適応し、充実した生活を送ることができます。しかし、他の人々は、喪失感、絶望感、うつ病に苦しむかもしれません。

ロービジョンのメンタルヘルスへの影響を管理するためのヒントをいくつか紹介します。

専門家の助けを求めてください。うつ病や不安に苦しんでいる場合は、専門家の助けを求めることが重要です。セラピストは、感情に対処し、対処メカニズムを開発するのに役立ちます。
サポートグループに参加してください。視覚障害を持つ他の人と交流できるサポートグループを見つけることができます。これらのグループは、あなたが経験していることを理解している人々のサポートと理解を提供することができます。
自分を大切にしてください。十分な睡眠をとり、健康的な食事をとり、定期的に運動するようにしてください。自分を大切にすることは、メンタルヘルスを管理するのに役立ちます。
現実的な目標を設定する。自分の能力に応じて、自分自身に現実的な目標を設定します。達成可能な目標を達成することは、自信と達成感を高めるのに役立ちます。
自分を甘やかしてください。リラックスしてストレスを解消する時間を見つけてください。これには、読書、散歩、音楽鑑賞などが含まれます。
ロービジョンは人生を変える経験になる可能性がありますが、それは人生を生きる方法を止めるものではありません。ロービジョンのメンタルヘルスへの影響を管理し、充実した生活を送る方法はたくさんあります。

文章に少しおかしなところもありますが、起こりうる問題に対する対処法まで言及しているところはスゴイと思いました。

2023年5月31日 水曜日
「ウイルス学者の絶望」の表紙
2023年5月8日、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の分類が2類相当から5類へ引き下げとなり、マスクの着用も原則的には個人の判断に任されることになりました。
新型コロナワクチン接種に関してWHOは2023年3月28日、接種指針を改定し、健康な成人や子どもには定期的な追加接種を「推奨しない」としました。
具体的には接種対象者を優先順に3つのグループに分類しています。

第1グループ(最優先されるグループ)
高齢者、重い併存疾患がある成人、免疫不全の人、妊婦、医療従事者を挙げ、6ヵ月から12ヵ月ごとの定期接種を推奨する。

第2グループ
健康な成人らで、1回の追加接種は推奨するものの、2回目以降は、公衆衛生上の効果が比較的低いとして、推奨しない。
第3グループ
生後6か月から17歳の健康な子どもについては、ワクチンは安全で効果はあるものの、感染したとしても負担が軽いことから、接種は費用対効果などにより国ごとに判断する。

私は、いわゆるブースターと呼ばれた3回目の接種までは受けましたが以降は受けていません。ウイルスや免疫、ワクチンについて信頼に足ると思われる情報に基づいて調べると、mRNAワクチンの作用機序、効果と副反応について疑問に思うことも多々あり、また、山中伸弥さんのサイトで公開されていた海外のデータによると、私の年齢では4回目の効果は期待できないことがわかったことがその理由です。当時、政府は医療従事者は受けるようにという指針を出しており、接種券も届いていましたが、個人の判断が優先されるべきと考えました。もっとも、今回のWHOの指針改定によれば3回目さえ必要なかったことになります。
新型コロナウイルス感染症に対して、mRNAワクチンの効果はどのくらいあったのか、副反応により就労就学も含めた日常生活に支障があった人の実数と割合はどのくらいなのか、これらの公式なデータが出てこないのはなぜなのか、とても気になるところです。

さて、今回紹介する「ウイルス学者の絶望」は、京都大学医生物学研究所附属感染症モデル研究センター准教授である宮沢孝幸さんがウイルス学の現役研究者としての立場から新型コロナウイルスとワクチンについての論考です。宮沢さんの著書は2022年10月に「コロナワクチン失敗の本質」を紹介していますが、本書ではより専門的な解説が多くなっており、日経サイエンス、ニュートンなど一般向け科学雑誌のウイルスや免疫に関する特集記事などで基本的な知識を押さえてから読むと、より理解が深まると思います。
ずいぶん緩和されてきたとはいえ、日本だけがいつまでも「コロナ騒動」を引きづっているのはなぜかという疑問が時々話題になりますが、メディアの情報統制により「真実」を語る者の声が封印され、国民がウイルスに対する過剰な恐怖心を植え付けられたからではないか、新型コロナウイルス感染症が正しく理解されていなったからではないかと指摘する識者もいます。
本書は、マスクなど感染対策はまだ必要なのか。本当にコロナワクチンは「安全」なのか。ウイルス学研究の最前線にいる宮沢さんが科学的見地から記した、新型コロナウイルスとワクチンの最終結論です。
印象に残ったのは「ウイルス学が生かされなかった・・・」という件で、日本で無意味な感染対策がまかり通った原因は多くの人たちがウイルスと細菌の区別がつかず、専門家がその間違いをたださなかったからだという指摘です。

以下引用 栄養さえあれば増殖する細菌とは異なり、ウイルスが増殖するには生きた細胞が必要です。お札からうつる可能性があると言った大臣もいましたが、お札の上ではウイルスは増えません。お札についたウイルスが手についてうつるわけでもありません。大量にウイルスが指について、その指を鼻の穴に突っ込んだとしても、よほどのことがない限りうつりません。つまり、通常の生活では接触感染についてはあまり考える必要はないのです。飛沫感染についても、顔に大量の飛沫をかけられても鼻から飛沫を吸い込まない限りうつらないでしょう。
動物コロナウイルスの知見からすると、1個の細胞にウイルス粒子100個以上が侵入しないと感染しません。ウイルスが人に感染するためには、少なくとも1000〜1万個のウイルス粒子が必要です。1ミリリットルあたり1000万個の大量のウイルス粒子があったとしても、感染するためには、計算上は1000万個以上の微小飛沫粒子(1粒子あたり5マイクロメートルとして)が必要ということになります。自分が吸い込む微小飛沫粒子を10分の1に減らすだけでも、感染リスクは大幅に減るはずです。それには換気あるいはウイルスを捕捉する空気清浄機を設置することが大切です。飲食店などに設置されたアクリル板やスーパーのレジのビニールカーテンは換気の妨げになるばかりか、声が聞きづらいために大声になることでエアロゾルが出やすい環境に拍車をかけた。その点は、意味がないどころかマイナスだったと思います。
引用終わり

確かに、流行当初は感染経路についてさまざまな報告がなされていましたが、2021年ごろには専門家の間で主な感染経路はエアロゾル感染であることのコンセンサスができており、あらゆるモノをアルコールで拭く必要などなかったということです。このことについては岩田健太郎さんが早い段階で指摘されていました。

これからも未知の感染症によるパンデミックは起こりうるのでしょうが、科学は多数決ではないことをふまえて、疑問に思うことは自分で調べてみることが大切だと思います。
少し話題からはそれますが、先般ジャニー喜多川さんによる未成年者に対する性暴力の問題が、海外のメディアにより指摘されて私たちの知るところとなりました。しかし、なぜか国内のメディアではほとんど取り上げられることもなく、検察が動くこともないようです。これはなぜなのか。
専制主義の国で報道に自由がないことを私たちは恐れますが、この国のメディアは本当に自由なのでしょうか。もし、何かの力によって真実が捻じ曲げられてしまうようなら、命にかかわる感染症に対する報道など頭から信じてしまうのは危険な事かも知れません。

2023年6月4日 日曜日
映画「渇水」のポスター
高橋正弥監督作品「渇水」を観ました。原作は河林満さんの短編小説です。本作は、2013年公開「凶悪」2022年公開「死刑にいたる病」の白石和彌監督が初プロデュースをした作品です。

舞台は群馬県前橋市。主人公の岩切俊作、36才は、妻と子供の3人暮らしで、市の水道局で働いています。
岩切は自身が子供の頃、親との関係性が悪かったせいか、自分の子供を愛せないことに悩んでいます。そのことは妻も知っており「私たちは新しい関係性を築けはいいのだから」と諭されますが、理性ではわかっていても感情がついていかず、半年ほど前から妻は子供を連れて実家に帰っていました。
岩切は水道料金を滞納している家庭や店舗を回り、料金徴収と水道を停止する「停水執行」の業務に就いていました。連日35度を超える猛暑日が続く夏、市内に給水制限が発令される中、滞納世帯を訪問しては忌み嫌われる日々を送っていました。そこに妻子との別居生活も長く続き、寂しさが募り、心は渇いていくばかりでした。
そんなある日、職場の後輩である木田とともに、市営住宅に住む小出秀作の水道を停水執行している時、小出の子供である小学生の久美子と妹の恵子が帰ってきます。これまでも何度か督促に訪問していましたが、秀作も母親の有希もいつも不在でした。関係書類と手紙を置いてきましたが、読まれた気配はなく、姉妹はネグレクトされているようでした。
「お水が止まってしまうの?」と聞く恵子に、「規則だからね」と答え、久美子にバケツとか洗面器に水を溜めるように言いました。停水してから木田に買ってきてもらったガリガリ君ソーダ味を4人で食べながら有希が帰ってくるのを待ちましたが、とうとう有希とはその日も会えませんでした。
実はこの時、すでに秀作は蒸発しており、有希はSNSを使い売春をしていましたが、お客に「オバさんはNG」と断られた深夜のファミレスで知り合った男と逃げてしまっていたのでした。
両親に置き去りにされている姉妹の日常を知ってしまった岩切は、自分の子供の姿を彼女たちに重ね、やるせない思いを噛みしめます。数日後、岩切はスーパーで久美子がペットボトルの水を万引きして捕まっているところを目撃します。
「空気と、太陽と、水くらいタダでもいいのにな」というのが岩切の口ぐせでしたが、この後、岩切のとった思いもかけない行動が、姉妹の運命と自身の生き方を変えていきます。

姉妹が水道を止められ、夜の公園までバケツをもって水汲みに行き、それをぶら下げて帰る時「お水って重いね」という恵子のセリフ。久美子が転んでしまい、こぼれた水を見た恵子が泣き出すシーン。あまりにも不条理で悲しくなりました。
本作は、貧困問題、家族の在り方など様々な社会問題を含んだ作品ですが、現代を生きる私たちに欠けてしまったもの、必要なものとは何か、それを問いかけてくるようでした。
ラストシーン。岩切の職場の机の上に置かれた姉妹からの手紙と大切にしていた金魚鉢。あなたのことを想っている人はたしかにいる。そんなメッセージが込められていたように思いました。

2023年6月11日 日曜日
映画「怪物」のポスター
是枝裕和監督作品「怪物」を観ました。
本作は川村元気さんがプロデュース、坂本龍一さんが音楽を担当しています。
タイトルの「怪物」とは何か。これが本作のテーマだと思います。怪物の正体が観る人によって違ってくる懐の深さがあり、登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの物語の果てに、観客は何を見るのか。その結末に心揺さぶられる圧巻のヒューマンドラマに仕上がっています。
主な登場人物と生活背景は、

麦野早織 夫は不倫相手と車で事故死。クリーニング店に勤めながら一人息子の湊を育てるシングルマザー。
麦野湊 小学5年生。同性を好きになる自分にとまどっている。
星川清高 有名大学を卒業、上場企業に勤務している。息子の依里が同性愛者であることを感じているが、それを受け入れられず虐待をしている。
星川依里 麦野湊のクラスメート。クラスでいじめられている。
保利道敏 湊、依里の担任教師であり、職場を離れればありふれた若者。
伏見真木子 保利の上司で校長。誤って自分の孫を車でひいて殺害したが、校長という地位を守りたいため夫を身代わりにしたと噂されている。

舞台は地方のキャバクラくらいはある町。物語は湊と依里が教室でケンカをし、湊が怪我をするところから始まります。ささいな出来事で終わるはずが、子供の主張、親の主張、教師の主張、それぞが食い違い、いつしか学校全体、果てはマスコミまで巻き込んだ大事件になっていきます。
この流れを早織、保利、湊と依里、それぞれの視点から描いていきます。

早織の視点
・保利による湊への体罰や暴言を認めず(湊から先生から殴られたと聞いた)事なかれ主義で問題をあやふやにしようとした伏見。
・湊へ虐待を行い、湊を自殺未遂にまで精神的に追い詰めた保利。

保利の視点
・真実を語らず、ウソで自分を陥れた湊と依里。
・学校を守るために事実を明らかにすることなく、問題を大きくしてしまった伏見たち学校関係者。
・我が子への信頼がゆえに、事実が見えなくなってしまった早織。

湊と依里の視点
・自分を認めるどころか異常者であるとなじる依里の父親。
・普通の家族を持つことを求める早織。

このように誰の視点で物語を語るかによって、怪物の姿が入れ替わってしまいます。それぞれの視点においては、視点の持ち主が絶対的な正義として描かれていますが、他者の視点になると事実が180度異なって見えてしまいます。
見る人の視点によっては、人間ではなく怪物に見えてしまう、人は自分の見たいものだけを見る、ということが痛烈に実感させられました。
「自分は正しい」この思いにとらわれたら一歩引いて、考えてみることの大切さをかみしめる作品でした。

障害とは、その人の体の内にあるのでなく、他者との関係性にあるという障害学の言葉。
神は、あなたと隣人との間におられるという聖書の言葉。
このふたつの言葉は実に真理であると、本作を観て改めて思いました。

2023年6月19日 月曜日
被保険者記録照会回答票
2022年5月、iDeCo(確定拠出年金)の加入年齢が60才未満から65才未満に拡大されたことにより、国民年金加入者(基礎年金)の場合、任意加入被保険者であれば65才までiDeCoで掛金を拠出できるようになりました。
私もこの制度を利用しており、国民年金の任意加入期間が終了したので国民年金基金同様に、iDeCoの方も自動的に終了するものと思っていました。ところが証券会社から契約に不整合があると通知があり、調べてみると国民年金の任意加入が終了しているのにiDeCoは終わっていなかった事が判明しました。問い合わせると、任意加入期間が終了した時点で加入者が証券会社に届け出する必要があるとのことで、証明書類として「被保険者記録照会回答票」を年金事務所で交付してもらい、マイナンバーカードのコピーを添付して証券会社に送付したところです。
iDeCoに加入する際に基礎年金番号、マイナンバーカードのコピーも提出しているので、国民年金基同様に日本年金機構とリンクしているのだろうと思っていましたが、勝手な思い込みだったようです。

2023年6月30日 金曜日
「プリズンドクター」の表紙
刑務所。私たちの日常から遠く離れたこの場所を取材したテレビのドキュメント番組が過去、何度も放送されています。自衛隊とか宝塚音楽学校と同じ並びで、上下関係と規律が重んじられる、へたれな自分には到底耐えられそうもない異世界になぜかひかれて、この手の番組をよく見ます。
2年ほど前に見た番組では、刑務所も高齢化が進んでおり、受刑者の中には収監されることを目的に、無銭飲食など軽犯罪を繰り返す高齢者もいるようで、刑務官の「一般の福祉施設は断れますが、うちは断れませんからね」というコメントが印象に残っています。
今回紹介する、おおたわ史絵さんの著書「プリズンドクター」は、刑務所で行われている医療や、そこで働く医療スタッフと受刑者とのかかわりを、刑務所に勤務する医師(矯正医官)という立場から追ったルポルタージュです。
おおたわさんは内科医で、私は2010年8月の長岡リリックホールでの講演を聴いたことがあって、この時は医師でタレントという肩書でしたが、まさか矯正医官になっていたとは、実に意外でした。
本書で、おおたわさんは矯正医官という仕事を「天職」だと言います。開業医であった父の後を継ぎ医師になったけれども、それは母親の望みにそったもので、医師になることに強い動機があったわけではないそうです。そんなおおたわさんにとって、慢性的な医師不足により切実に医師が求められている刑務所は、自分の獲得した「医師免許」の重さを、より強く感じられる環境だったといいます。
驚いたのは、おおたわさんの母は医療薬物の依存症(オーバードーズ)だったということです。芸能人が覚せい剤事件を起こすたびに話題になるので知っている方も多いと思いますが、刑務所における累犯でもっとも多いのは薬物依存症の人たちです。そうした疾病に理解のある立場だったことも、おおたわさんが矯正医官を選んだ理由の一端でもあるようです。
本書は深刻なテーマが少なくありませんが、それでもおおたわさんの筆致はどこかユーモラスで、一緒に塀の中を体験するツアーに参加しているような感じで、一気に読めてしまいました。
カルテには刺青や指詰めを確認する項目があり、実際に指を食いちぎってしまった男がいたり、薬物で入ってきた年若い女性受刑者の背中にあった見事な刺青を見て暗うつな気持ちになったり、玉入れ(歯ブラシの柄を球状に削ったものを、ペニスに少し傷をつけて埋めること)に熱中する受刑者がいたり、知的障害者なのに福祉に繋がれず、軽犯罪を繰り返している累犯障害者や、いわゆるケーキの切れない非行少年たち(境界知能)も多いといいます。また、LGBTQの受刑者をどうするかという、世相を反映したような問題があることも語られて、刑務所の診察室は、さながら現代社会を裏側から照らし出す鏡のように思えました。
印象に残ったのは、女子刑務所での境界知能と思われる高齢女性受刑者とのエピソードです。知的障害ゆえに罪人という生き方しかできない彼女が、おおたわさんに言った「せんせい、わたしはね、次に生まれてくるときはね、せんせいみたいに、頭がよくって、きれいで、ちゃんとした仕事ができるひとに生まれたい」という言葉に、彼女が欲しているのは裕福や贅沢ではなく、ふつうの人間ができる、ふつうのことであることに気が付いたそうです。このことについて、本文を引用します。

ここで診察をはじめてからというもの、どんな風に生まれ落ちたか、どこでどうやって育ったかが、人間にとってどれだけ重要かを思い知らされている。それが犯罪へとつながっていくことを痛いほど教えれらたのだ。
人生が平等だなんて、まったくの嘘だ。
裕福と貧困、明晰と暗愚、美形と醜悪、この世に生を受けた時点から、人間は不平等の下に置かれている。
己の努力によって、それを払拭できるひとなんて、ほんの一握りに過ぎない。みんな、その偏見と差別の下で生きる道を模索するしかないのだ。
法律に代表されるたいていの決まりは平均的な人間のレベルで作られている。だから、ふつう以上の能力のあるひとにとってはそれを守って暮らすのは難しいことではない。けれどもそのレベルに満たないひとにとっては、その”ふつう”がものすごく難儀なのだ。
大部分のひとはそのこと自体に気付かない。
世間に社会的弱者というカテゴリーがあるならば、私は医学的弱者という存在にも目を向けたい。身体的、知能精神的に標準的な力を持たない人々だ。
彼らの罪に対して必要なのは法の裁きや懲罰だろうか? いや、違う。それに彼らを変える力はない。
本当の意味で犯罪を食い止めようとするならば、私たち自身が彼らが罪を犯さずに済むような救いの意識を持つことなのだ。
引用終わり。

障害学は、損傷はその人の中にあるが、障害はその人と社会のかかわりにあると指摘します。私は自身が経験したことががないことに対して、共感をもつことはできないと考えていますが、理解することは可能で、なりたい自分になれない人に対して、社会はもっと寛容であるべきだと本書を読んで思いました。

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