2023年7月、8月、9月分の日記です
2023年7月13日 木曜日
「精神現象学」の表紙
5月のEテレ、100分de名著はヘーゲルの「精神現象学」でした。
カントの「純粋理性批判」ハイデガーの「空間と時間」以上に難解な哲学書として知られる本書。19世紀初頭に活躍した哲学者ヘーゲルは近代哲学の完成者といわれ、彼が確立した哲学は「ドイツ観念論」と呼ばれて、現代思想にも大きな影響を与え続けてきました。
ヘーゲルが生きた19世紀のドイツはフランス革命の真っ最中で、この頃、国家の体をなしていなかったドイツはナポレオンに侵略されつつありました。そんな激動の時代、どうしたら理想的な共同体を実現することができるのか、その共同体の中で人間はいかにして真の自由を獲得できるのかを考え、ヘーゲルは哲学の立場から、人類の営みの総体をとらえうる理論を生み出そうとして「精神現象学」を執筆したといいます。
今回の解説者である哲学者、斎藤幸平さんは、価値観や世界観が分断し、対立を深めつつある現代社会でこそ「精神現象学」を読み直す価値があり、ヘーゲル哲学には互いの差異を認め合い、自身も変容しながら、新しい次元での対話の可能性を拓くために何が必要なのかを考えるためのカギがあると指摘します。
番組では、ヘーゲル哲学を今、起こっている現象(国家間の分断、人種間の分断、経済格差による分断など)に当てはめて解釈し、「自由とは何か」「互いに認め合うとはどういうことか」「多様で自由な共同体を築くには何が必要か」を読み解きました。
いつもは番組進行に合わせてテキストを1回読めば、おおよそのところは理解できていましたが、今回はテキストを3回読んでも、なかなか理解が進みませんでした。というのも、精神、弁証、承認、教養、啓蒙、信仰、告白などの語句が、ヘーゲル哲学においては一般的に使われる意味合いとは少し異なるため、まず、そこを理解しないと文脈を捉えらられないからです。(私の能力値が低いことは当然として)

第1回は、ヘーゲル哲学の基礎ともいえる「弁証法」という概念を理解することがテーマでした。
例えば「人間とはなにか」という問いがあるとして、
解答A「人間は感性をもつ身体的存在である」
解答B「人間はものを考える精神性に本質がある」
この解答はどちらも正しい。けれど、対立しています。だから対立を回避するには新しい考え方が必要になる。弁証法を私流に解釈するとこんな感じです。

第2回は、社会が分断と対立に陥るメカニズムを明らかにし、私たちがそれを避けることはできるのかがテーマでした。
日本の戦前のように、与えられた秩序をただ受け容れ、人々の役割もあるていど固定されていた社会に対して、現代は伝統や既存のルールから距離を置き、物事を自立的に考えはじめた社会です。作家の橘玲さんは「能力主義社会・リベラル化社会」と表現していますが、私たちは自由を得ましたが、絶対的基準は存在しなくなり、社会が分断と対立に陥っていく危険性も出てきたわけです。ヘーゲルは「疎外」「教養」といった独自の概念を使って、そうした状況を克明に分析しています。

第3回は「啓蒙」「信仰」という概念を通して、人々が互いの差異を認め合い、豊かに共存していくためには何が必要かがテーマでした。
キリスト教を信仰する人にとって、パンはキリストの肉、ワインはキリストの血です。しかし、信仰のない人にとってはパンは小麦からできた炭水化物であり、ワインはレスベラトロールを含んだアルコール飲料です。理性によって迷妄(?)を一刀両断し「信仰」を批判する「啓蒙」。しかし、「啓蒙」は「信仰」にも人々を豊かにする側面があることを見落としているとヘーゲルは指摘します。これは医療ではエビデンスが重要視されますが、ナラティブ(人生の物語)にも医療的価値はあるということと似ています。
ヘーゲルはいきすぎた科学主義や啓蒙がないがしろにしがちな芸術や宗教といった「人生を豊かにするもの」を認め、科学だけでは説明できないものを大切に考える精神としての理性が必要だと考えました。

第4回はヘーゲルが到達点として求めた「絶対知」の現代的な意味を明らかにし、オープンで多様な知や社会のありようがどんなものなのかを考えるとともに、それが実現するためには何が必要かを考察しました。
「絶対知」とは、全知全能である神の視点というわけではありません。相互承認によって対立はなくならいけれども、緊張関係から生じる対立を相互承認で調停して、問い直していくというプロセスを永遠に続ける。この「新たな知へと開かれた始まり」こそ「絶対知」だとヘーゲルは考えました。
相互承認とは「自分も間違っていた」と認める態度なので、自分から進んで疑い、学ばなければなりません。しかし、半世紀以上生きてきて、凡人には難しいことだと肌感覚で知っています。

現代社会は、理解できない出来事や他者に対して、容易くレッテル貼りしてわかったつもりになり、アタマから否定し切り捨てて、ハイ終わりという風潮に覆われているように思えます。番組で取り上げた「なんでも論破すること」などもその一つのように思えます。(ひろゆきさんは、論破などしなくてよいと言っています)ただ、論破する、それだけでは不毛であり、相互承認がなければ社会の発展も、自分の成長もないのは確かなことでしょう。
ヘーゲル哲学を「国家と癒着した哲学」「全体主義の芽の一つ」「個を圧殺する体系哲学」などと揶揄し、弁証法や相互承認は悪の権化とする考えを示している思想家も多いようですが、社会的に弱い立場からすれば、強い立場にある人にはぜひ、ヘーゲルの考え方を学んでもらいたいと思います。

2023年7月15日 土曜日
「マイナンバーカード」のチラシ
市役所から「マイナンバーカードを健康保険証としてぜひお使いください!」というチラシが届きました。
マイナンバーカードをめぐっては、新潟日報14日朝刊の記事によると、総務省が公表している「マイナンバーカードの交付枚数」約8800万枚は、取得者の死亡などで廃止された約500万枚も計上された数字だそうです。
これは有効ではないマイナンバーカードの枚数を現在も有効であるように過大に計上していたということであり、こうした水増し(?)によって、マイナンバーカードがあたかも実数よりも多くの国民に配布されているようにみせているということでしょう。そしてそのことがマイナンバーカードを正当化する理由の一つとして使われてきたということは問題だと思います。
また、厚生労働省は健康保険証とマイナンバーカードを一体化する「マイナ保険証」をめぐり、発行済みの現行保険証を、一体化の猶予期間が終わる2025年秋まで一律で使えるよう各保険者に対応を要請する方針で、現行保険証が使えなくなる時期が2024年秋から事実上1年間延びることになります。会社員やその家族が加入する協会けんぽなどの、有効期限が定められていない発行済みの保険証は、25年秋まで使用できることになりそうですが、マイナンバーカードには有効期限があり、期限が切れると、他の証明書としても「使えない」状況になります。2025年ごろから、この問題が顕在化する可能性がありますが、このことについて触れている報道はあまりありません。
私は有効期限切れで、更新手続きをしたことがありますが、マイナンバーカードの更新には運転免許証や保険証など、ほかの公的な証明書がなければ更新手続きできない仕組みになっており唖然としました。
政府が主張するようにマイナンバーのシステムが安全であるなら、まず取り組むべきは保険証や運転免許証ではなく、選挙でデジタル投票ができるようにすべきではないでしょうか。納税はマイナンバーカードでデジタル署名ができているわけですから、投票も同じことだと思うのですが。

2023年7月16日 日曜日
「ユトリロ展」
新潟市新津美術館において開催されている「生誕140年ユトリロ展 白の時代を中心に」を鑑賞しました。
モーリスユトリロは1883年(明治16年)生まれで、1955年(昭和30年)に72才で亡くなった、日本でも人気の現代フランス人画家です。
彼の母親であるシュザンヌも画家として成功しましたが、美しく、恋多き女性でもありました。ユトリロは彼女が16才の時、私生児として誕生しました。(父親は不明)
ユトリロは8才の頃、医師から精神薄弱であると診断を受け、専門施設での教育を勧められますが、プライドの高いシュザンヌは、これまで同様、自分の母にユトリロを預け(ネグレクト?)、自分は芸術と恋愛に没頭しました。
ユトリロの祖母は酒好きで、ユトリロにも「薬として」飲ませました。そのためか10才になるころにはアルコール依存症になってしまいます。ユトリロが13才になる頃、シェザンヌは資産家のパトロンと再婚し生活は安定します。しかし、ユトリロは生来の気難しさと激情、それにアルコール依存症が重なって度々問題を起こし、成績は優秀であったといいますが、17才で学校は退学になり、パトロンから世話してもらった職場もクビになってしまいます。
18才でアルコール依存症の治療のため医師からすすめられて絵筆を握ります。これがユトリロの画家としてのスタートでした。ただ、シェザンヌに手ほどきを受けたことはなかったようです。
ユトリロが20才になった頃、シェザンヌはパトロンと離婚します。この頃はユトリロの病状も安定していたようです。
数年後、シェザンヌはユトリロから親友のユッテルを紹介されますが、後に、シェザンヌはユッテルと結婚をします。ユッテルはユトリロより3才年下でした。
このことにショックを受けたユトリロは、再びアルコール依存症が悪化し入退院を繰り返すようになります・・・。

ユトリロの作品を大まかに分けると、
18才〜「モンマニーの時代」
25才〜「白の時代」
35才〜「色彩の時代」
晩年
で、展覧会のメインになっている「白の時代」は、母の愛を乞い続け、孤独に悩まされ、それゆえにアルコール依存に陥り、癒してくれる友まで”母に奪われた”、ユトリロの人生にとって、もっとも辛い時期にあたります。
写真の「可愛い聖体拝受者」、トルシー・アン・ヴァロワの教会はユトリロが29才頃の作品で、私が一番好きな作品です。自分の中にある孤独を肯定してもらっている感じがして、見ているだけで落ち着きます。この作品は絵具に石こうや貝殻などを混ぜて教会の白壁を描いているそうですが、この質感は本物でなければ味わえないと思いました。
ユトリロは第一次世界大戦の終戦後(1918年)アルコール依存症は回復してきたにもかかわらず、創作に対する意欲は逆に失われていったといいます。
芸術の都パリの激動の時代に、孤独にカンバスへと向き合い続けた画家ユトリロの人生は幸福なものであったとは言えません。しかし、彼が残した芸術は人を幸せにしている。それは確かなことでしょう。

2023年7月28日 金曜日
お祭り練習場の様子
毎年、8月20、21日に開催される地元の白山神社秋季大祭に向けて、実行委員会は6月から準備を進めています。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが起こったのが2020年で、お祭りも中止を余儀なくされ、今回は4年ぶりの開催となります。
各地域ごとに山車が出ますが、これに小学4、5、6年生の男の子によるシャギリ(お囃子)と、同学年女の子による踊りが加わって、祭りの中心的なイベントとして賑やかに華やかに祭りを盛り上げます。夜には花火も上がり、神社の参道にはテキ屋さんが軒を連ねます。
シャギリと踊りの練習が小学生が夏休みに入ると同時に始まり、長岡まつりとお盆、日曜日を除く毎日、夜7時になると男の子は白山集会所に設置した練習場に、女の子は児童交流会館に集まり、指導する大人たちも加わって、夏の到来を告げるタイコが夜空にひびきます。
毎年、持ち回りで担当町内(計画実行を仕切る)が変わりますが今年は5丁目で、町内幹事になっている私も自動的に祭り役員となり、子供たちが集まる前に練習場の準備やら、もろもろの準備をするために6時過ぎには集会所に向かわないとならず、7月26日から8月11日の間、診療時間を受付5時半までとさせていただいています。

2023年8月18日 金曜日
ハンチバックの表紙
市川沙央さんの小説「ハンチバック」を読みました。 文学として秀逸であることは当然として、読書のバリアフリーと障害者の性の問題を、重度障害の当事者が小説という形で世に問うたという点で、しかも、それが第169回芥川賞という「一般的な」文学賞を得たことにより、医療や福祉関係者など関心がある人だけにとどまらず、広く世間に対して「できて当たり前」という常識が、実は間違っていることを知らしめることになったという点で、快挙であったと思います。

主人公は井沢釈華、43才、女性、独身。
14才より先天性ミオパチーによる、筋萎縮と強度の脊柱側弯のため、人工呼吸器と車椅子を使い生活しています。タイトルの「ハンチバック」とは「せむし」という意味で、差別的なニュアンスを含んでいるように感じます。
釈華は他界した資産家の両親が彼女のために残した身体障害者向けのグループホームで暮らしています。グループホームを含め、親から相続した数棟あるマンションの家賃収入と数十億はある預貯金で、経済的には困っていません。
釈華は有名私大の通信課程に在籍し、タブレット端末でしがないコタツ記事(アダルトコンテンツ)を書いては収入の全額を寄付したり、18禁TL小説をサイトに投稿しています。SNSでは釈花というアカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」「妊娠して堕胎したい」などと、つぶやいていました。
そんなある日、グループホームの男性ヘルパーである田中に、SNSのアカウントを知られていることが発覚します。そして新型コロナ感染症の影響で女性ヘルパーが確保できないという理由で入浴介助も田中が担当することになり、物語は思わぬ方向に流れていきます・・・。

2023年7月31日、社会学者の立岩真也さんが62才の若さで亡くなりました。立岩さんなら「ハンチバック」にどんな感想を述べただろうと、思いをめぐらせます。
私が「障害学」を知ったのは立岩さんの論考からで、30年以上前のことです。立岩さんが佐渡出身で同世代であるということと「障害学」という聞きなれない学問をやっていることに興味がわき、無学な私でも理解できそうな関連書籍、論文を読みあさりました。
当時「障害学」は単なる言葉遊び、サブカルの一種だと思われていたフシもありましたが、東大で開催された学会に参加して、イギリスのリーズ大学(佳子様の留学先として日本では有名)Simon Prideaux先生の招待講演を聴いて感激し、すべての国立大学に講座を置くべきだと思ったものです。
市川さんは釈華に自身を投影したのは30パーセントほどだと芥川賞の授賞式で述べていますが、「紙の本に怒りさえ覚える」という釈華の言葉は、市川さんの読書バリアフリーについて率直な思いを現していると感じました。
実は「読書バリアフリー」は、私が障害学に出会った当時から研究テーマとしてマストで、パソコン通信の会議室では当事者、出版関係者を交えてよく議論になっていたし、学会誌でも論文としていくつも掲載されてきました。
なので釈華が14才の時、すでに「読書バリアフリー」という概念はありました。ただ、世の中はそれを受け入れず、今に至っているというわけです。
それはなぜか。著作権に伴う違法コピーの問題、コストの問題だけなのでしょうか。

高齢ドライバーの免許返納問題で、地方では車がないと、買い物や通院など、生活に大きな支障がでるから返納できないという意見に対して、車を持てない視覚障害者は生活できているわけだから、彼らの生活の知恵なども参考にできるのではないかと意見すると、多くの場合「そんな特別な人と比べてもダメだ」と切り捨てられます。また、車の運転ができることが社会的に「一人前の証」であるから、それを取り上げられるのはさみしいという意見もあります。これらに共通するメンタリティとは能力主義で人に優劣をつけるということであり、これこそが「読書バリアフリー」が進まない根源ではないか。そう思うのです。

2023年8月31日 木曜日
客観性の落とし穴の表紙
村上晴彦さんの著書「客観性の落とし穴」を読みました。
現代社会ではエビデンス、主観、客観といった言葉が、日常的に使われています。医療の世界でも、EBM(Evidence-Based Medicine 科学的根拠に基づく医療)という概念が浸透しています。これ自体は正しい考え方だし、そうあるべきだと思います。しかし、そこから外れてしまう事も考えないと、患者さんは不幸になってしまう。多くの医療者は肌感覚でそれを知っているはずです。
本書は、私たち自身を苦しめる発想の原因を、数値と客観性の過度な信仰のなかに探り、客観性とは何か、客観性のメリットとデメリット、客観性が見落としてしまうものについての論考です。

第1章 客観性が真理となった時代
第2章 社会と心の客観化
第3章 数字が支配する世界
第4章 社会の役に立つことを強制される
第5章 経験を言葉にする
第6章 偶然とリズム―経験の時間について
第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景

という構成で、現在の社会では、客観的なデータや数値的なエビデンスが真理として受け入れられているが、客観的なデータがなくとも意味のある事象は存在することを最初に示し、客観性を重視する傾向は、数字に支配された世界で人間が序列化されることにつながっていくこと。そこでは社会的に弱い立場の人は排除され、多くの人は競争に縛り付けられ苦しめられていることを論じ、個人の生き生きとした経験が引き出される生々しい「語り」を受け取る方法を探りながら、誰も取り残されない社会のあり方について考えています。

印象に残ったのは、社会的に弱い立場の人に厳しくあたる傾向は、客観性を重視する傾向と無関係ではなく、両者は数字に支配された世界で人間が序列化されているという点で共通しているという指摘です。
冒頭、医療業界ではEBMという概念が浸透していることを書きましたが、NBM(Narrative Based Medicine)個々の患者が語る物語から病の背景を理解し,抱えている問題に対して全人格的にアプローチするという概念もEBMを補完するという意味で重要であると認識されつつあります。
客観的=良い・高次元、主観的=ダメ・低次元という捉え方は、本当に見なければいけないものや、本当に探究しなければならないものを見落としてしまう可能性があるのは確かなことで、俯瞰的な知と経験の意味を探る知の両方の視点から考えるべきだと、本書を読んで改めて思いました。

2023年9月14日 木曜日
「疼くひと」の表紙
松井久子さんの小説「疼くひと」を読みました。
初版は2021年2月で、今週の新潟日報の広告に10万部を突破したとありました。有名な文学賞を受賞したわけでもない作品が、ここまで売れたのは最近では珍しいと思います。
松井さんは、憲法やフェミニズムをテーマにした作品で知られる映画監督で、本作は処女作となります。

主人公の唐沢燿子は古希を目前にした放送作家。離婚後、一人娘を育てるシングルマザーとなり、「年齢よりも才能がものを言う職業を」とシナリオライターの養成講座に通い45才で脚本家デビューします。テレビ局から引く手あまたの存在となりましたが、還暦を過ぎて仕事の依頼は極端に減りました。老いの不安と孤独を感じていた時、燿子のファンで沢渡蓮と名乗る、札幌に住む55才のトビ職だという見知らぬ男性から「またあのようなドラマを見たい」とSNSでメッセージが届きます。最初は訝しく思いながら型通りのお礼だけで済ませていた燿子でしたが、そのうち沢渡は自身の写真はもとより、極めてプライベートなことも書いてくるようになりました。そんな沢渡の存在が燿子の中で次第に大きくなり、それはいつしか恋愛感情に変わっていきました。そんなある日、沢渡から東京まで会いに行きたいと懇願されますが・・・。

このコーナーでも取り上げた若竹千佐子さんの芥川賞受賞作「おらおらでひとりいぐも」は、これまでになかった老年文学というジャンルの先駆けとして注目されました。本作は高齢女性の性愛に視点を当てたという点では異色なのかも知れませんが、老年文学においても性愛はタブーではないことを示した、そして10万部という発行部数は、それに共感するかどうかはともかく、関心を持つ人は確実にいるということを示していると思います。
松井さんのお仕事が映像関係であったことと関係があると思いますが、会話の流れや、揺れる思いなど、リアルに自然に描かれていて、性描写も大胆で、まるで当事者のように感じられました。また、料理を作るシーンが頻繁に出てくるのですが、それだけで、絶対美味しいとわかるような絵が、音と共に脳内に再現される。それぞれのディテールが、昼メロを見ているかのようでした。
本書は性を愉しみ、そして解放され、他者と共有していく姿が描かれています。人生経験豊富だから、分別をわきまえている年代だからという世間一般の価値観は、それはそれで美しいことだし、良いと思いますが、時にはそれが豊かな人生の妨げになることもあるかも知れません。

おとなの恋愛小説といえば、一番に思い浮かぶのは渡辺淳一さんです。松井さんとの違いはエロスというものを表現したときに、渡辺さんは直接的な表現はしないで読者の想像力をかきたてる筆致にあると感じます。私はこちらのほうが好きだし上品に感じます。(松井さんが下品だというわけではありません)
松井さんのようなフェミニストには渡辺淳一が描く女性は、男がこうあってほしいという女性像を描いているだけだと言われそうですが、そうなのかも知れません。ただ、どちらも性を描いて、生を描くことは共通している。そう思いました。

2023年9月30日 土曜日
「世界はなぜ地獄になるのか」の表紙
橘玲さんの著書「世界はなぜ地獄になるのか」を読みました。
これまで橘さんの著書は「言ってはいけない、残酷すぎる真実」「バカと無知」「無理ゲー社会」を紹介していますが、社会統計学的、医学的なデータを駆使して「世の中」の構造を解き明かしてみせる手腕は今作でも健在で、市民が肌感覚で感じている「世の中」と、橘さんの論説は合致して、とても説得力があると感じます。
「無理ゲー社会」では人種や性別、性的指向などに囚われず、誰もが自分の望むような生き方ができて、それをすべて受け入れてくれるリベラルな社会は理想のように思えるけれども、自分らしく生きられるリベラルな社会の実現が、かえって「不自由」な社会を作っていないか論じていました。本書はこの続編といえる内容で、リベラル化した社会が抱える問題点を論じています。
具体的には、

1.格差の拡大
社会が豊かで公平になればなるほど、環境による影響よりも遺伝による影響が強まり、遺伝的に優位な人と優位でない人との差が広がってしまう。

2.社会の複雑化
個人が自分らしさを求めた結果、ひとりひとりが固有の利害を持つようになり、従来の仕組みでは対応できなくなる。

3.孤独になる
共同体による拘束から解放され、個人は自由になるため、出会いは刹那的になって長期の関係を作るのが難しくなる。(婚姻率や出生率の低下はそれを裏付けるデータ)

4.アイデンティティが衝突する
LGBTQなど自分らしさを受け入れさせようとする運動が起こり、衝突や軋轢が発生する。

本書では特に衝突するアイデンティティの問題が軸として語られています。自分らしく生きるためのポリコレ(社会正義)運動が、他の異なる考え方をする個人を攻撃し、社会的地位から引きずり下ろそうとする方向に働き、SNSでは誰もが、誰かを引きずり下ろすタイミングを息を潜めて待っていると橘さんは指摘します。そして、このような感情のメカニズムは脳に埋め込まれた基本設計であり、心がけや道徳教育で変わることのないものだと解説しています。(このあたりは脳科学者の中野信子さんも同様のことを述べています)
リベラルな社会がはらむ問題は、リベラルな手法では解決できないのは当然でですが、ではなにか解決する方法を私たちは持っているのでしょうか。
仏教では「無知」がすべての苦しみの根源であるという十二縁起という概念があります。また、老子の考え方なども参考にならないかと、無知な私は考えます。

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